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2015年2月25日水曜日

こーひーるんば

僕は珈琲というものが特に好きでもなく、かといって嫌いでもなく、まあ、あれば嬉しいけど無くても構わないといった感じで生活している。だだし朝、珈琲の香りが部屋に漂っているとなんとなく幸せな気分になるのでそれは好きなのだけど。

珈琲といえば喫茶店だが、これは”どっちでもいい”という珈琲の価値観よりはもう少し明確で、”苦手”である。いや、雰囲気とか場合によってはその内装とか、そこに流れる時間は好きなのだけど、すぐに飲み干してしまうんだな、珈琲を。(まあそれが紅茶でもジュースでも)


つまるところ、それから時間を持て余す。そのまま小一時間以上、ぼんやりと過ごす人もいるのだけど、いや寧ろそっちが多数派か…僕にはそれが出来ない。故に途中で”大人の飲み物、例えば麦のジュースとかに移行したい衝動に駆られる。


もしかしたら職業病の一種かもしれないけど、グラスが空いたまま長く過ごすと店に悪い気がして、すぐにお代わりを注文する。一時間いれば珈琲、紅茶を三杯は飲むことになり、店を出る頃にはお腹がちゃぷちゃぷになる。更に店が混んでると”早く出て席を空けてあげないと”と思うし、ドアが開いてお客さんが入って来るたびに身体が反応してその方角に意識が行き、たまに「いらっしゃいませ」と言いそうになる。

そんな訳で喫茶店で過ごす時間は実に神経をすり減らし、それが”カフェ”と呼ばれるものになると更に”こんなお洒落なところに野暮ったい自分が居てもいいのだろうか? 浮いてないか?”という不安がプラスされて苦手度は喫茶店の倍となる。そして自然に生活から珈琲はどんどん縁遠くなっていくのだ。


あとよく、「この人(この店)の淹れる珈琲は美味しいよ」と連れていってもらうことがままあるのだけれど、確かに”なんとなく美味しいな”とは思う。でも珈琲の数を飲んでいないので、それが”この人が淹れたから美味しい”のか(技術)、”このコーヒー豆の味や香りが自分に合っている”のか(品質)よくわからない。嗜好品を理解するには経験値が重要なのだ。



さて普段、自分で珈琲を淹れることはまずないのだけれど昨日今日と珍しく自分で珈琲を淹れて飲んでいる。

別に、夕べアラブの偉いお坊さんに出会った訳ではない。

実は先日、あるきっかけで珈琲を飲むことがあって、それがとても美味しく感じた。多分、過去最高に。なんとそれは”自分で淹れた珈琲”だった。

これはどういう事かといえば、もしかしたら僕は努力なしに珈琲を淹れる天才か?!
…の可能性はまず無くて、きっと豆の特徴が自分の嗜好によく合ったのだと思う。

その特徴というのが飲んだ時に珈琲独特の味がせずに、飲み干してから上がってくる香りがいくつもの果実のニュアンスで、それは実に上質なシングルモルトウイスキーの特質と似ていた。

その珈琲豆は一回分しかなかったので、もう一度確かめるべく以前に買った近所の珈琲ショップに行き、昨日もう一度試してみた。

ところが何か違う。飲み干した後から上がってくるフルーツフレイバーは確かに同じ種類のものだ。でもこの前のはもっと果実味が強かったし、何より口に入れた時の”珈琲の味”が強すぎる。でも豆は確かにこの種類であり、買った店も同じなのだ。

謎―――ではない。

簡単なことだった。最初に淹れた珈琲は一年前に友人が家に泊まりに来たとき、その珈琲好きな友人のために買ったもので、そのときの残り(豆を挽いたもの)を冷凍庫に入れっぱなしだったもの。新鮮な珈琲の香りは消え去り、最も強い果実の特徴的な香りだけが残っていた、珈琲党からすればそれは”劣化した”珈琲に違いない。

間違ってるな。
珈琲音痴であるからこその美食感だ。

でもそこにモルトウイスキーと同じ匂いを得たのは収穫で、今、どうにか一年ほど冷凍庫で挽いた豆を”熟成”(劣化だW)させた香りを再現できる淹れ方はないものかと、たぶん珈琲好きの人間が聞いたら張り倒されるような邪悪な研究を開始し、今朝も自分で珈琲をコポコポ淹れたのであった。

一応、補足として。

タバコやお酒も最初から美味しく味わえる人は稀で、数を重ねるうちにその本質的な味を理解できるようになるのが多くの嗜好品の特徴であるので、僕ももう少し珈琲を飲み続ければ、この”珈琲具合”wと”果実香”のバランスがもっといい場所で取れてくると思うのだけど、果たしていつになるだろうか? 邪悪な研究が完成するより先にそうなってくれることを願う。









2015年2月10日火曜日

ぷちぷちはお好き?

よくBarに行くとお酒とともに小皿に盛られたピーナツとかチョコレート、ドライフルーツなどが出されますね。

いわゆるチャームというやつです。

このチャーム、お客様によっては様々で、すぐに全部を食べ切る人、必ず少し残す人、まったく手をつけない人などなど…

意外に思われるかも知れませんが、まったく手をつけない人は結構いらっしゃいます。

飲むのに専念したいのでしょうね。

お腹が膨らむと酒が美味しくなくなるという方も多いですし、食べ物の味で酒の味が分からなくなるという方もいらっしゃいます。



ところが最近、面白いことを発見しました。

”殻付”のアーモンドとか、ピーナツをチャームにお出しすると、普段は食べない人もポリポリと皮を剥いて食べ始めるのです。

最初はなんとなく殻付のチャームはあまり残らないなあと思っていただけなのですが、どうも偶然では済まないくらいに普段、まったく手をつけない人もきまって殻をポリポリと剥くのです。

それで考えました。

荷物を包装するときに対ショックのために保護する、”ぷちぷち”といわれているビニールのもの、ありますよね?


あれって、本来の目的とは違って、指でぷちぷちと潰して音を立てて遊ぶの、誰もが一度はやったことあるでしょうけど、一旦やり出したら止まりません。

殻付のチャームに手をつける人が多いのはあれと似ているからではないでしょうか?

つまり、人間は指先を使うのが好きなんですね。それゆえに大脳が発達して人類は進歩してきたんだと、場末のBarの片隅でそんなことを考えてみたりして…

殻付チャームに手を出すか、出さないか。
それであなたの大脳の発達具合が分かるかも?