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2017年9月1日金曜日

火のないところに煙は立たず

結婚式のスピーチ、定番中の定番。

『3つの袋』の話。

会社の上司とか、お偉いサン、よくある退屈な話だ。

おもしろくもないし、けっこう長い。

早く乾杯したいんだよ。

せっかくのシャンパンの泡が抜けてしまうじゃないか!

胃袋さん、給料袋さん、お袋さん…

さて、それとは別バージョンで、『3つの坂』の話というのもある…らしい。

らしい、というのは、僕が今まで招いてもらった結婚式で、『3つの袋』の話は聞いたことがあるけど、『3つの坂』の話を聞く場面にはまだお目にかかったことはないからだ。

曰く、「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして…魔さか』(このあと説明云々…)

        魔さか

そう聞いても、「あー、そーゆーの、あるある、あるよなー」くらいにしか思わなくて、平常時では取り立て切羽詰まった実感はない。

これまでの人生で『魔さか』の瞬間はいくつもあったはすなのに、時間の流れがそれを何処にでもあるような公園の人目につかない銅像のように、硬く動かない何かに変えてしまう。視界に入ってはいても、過ぎ去った『魔さか』はもう見るこはできないのだ。

その『魔さか』を昨日、見た。

8月の終わりは、夏の終わりを意味する。日差しは昨日よりも弱く葡萄の葉を透かして、涼しくなった風がそれらを揺らしながら吹き抜けていく。8月30日はそんな夏の終わりにふさわしく穏やかな日であったし、時計の針が重なり、31日にかわった時も、店は同じように静かに1日の終わりに向かっていた。

25時半を過ぎた頃、カウンターには常連の女性客がひとりいた。彼女は他の店でビールを約10杯分飲んできていて、かなりクタクタだった。だけど自分では「今日、わたしはそんなに酔ってません!」といっていたので、もしかしたらクタクタなのは、たんに夏の終わりのせいだっただけかもしれない。ただ何れにせよ、その日は平日にしては忙しく、一日中座る間もなかったので、僕もかなりクタクタだった。

だから彼女がピスタチオを齧りながら、その日の通算7回目のアクビをし終わったとき、「もうそろそろ帰ろうか? (閉店時間も過ぎてるし)タクシーを呼ぶよ」と確認して、タクシー会社に電話をして、彼女のチェックを済ませてもらった。(『甘やかすだけが優しさではない』が、この店のモットー第23条だ。もちろん相手にもよる)

やがてタクシーがきて、階段を降りて店の外までいき、彼女を見送る。夏の間、夜中でも鳴き続けていた蝉の声はもうそこにはなかった。

本日最後のお客さんを乗せたタクシーが、御池通りを曲がったのを見届けてから、僕はポケットからキーを取り出し、看板代わりに店の入り口にぶら下げている月の人形の鎖を外した。

そのとき風が吹き、ふっと異臭がした。

最初、タクシーの排気ガスがまだ漂っているのかもしれないと考えてたのだけど、その臭いは排気ガスのそれとは明らかに違っていた。プラスチックなどの化学物質が燃える臭いだった。少なくとも僕はそう思えたのだった。

そこで僕は考えた。外した鎖を手に持ちながら。

『プラスチックの燃えるイヤな臭いは、燃えているときより、火が消えてから、その後の煙の方がよく臭う』

だから最初、「この辺りで、誰かプラスチックを燃やしたんだ。それで”今は消えているから”、こんなに臭うんだ」と…

でも待てよ、こんな夜中に、いったい誰が路上でプラスチックなんかを燃やすのだ?
…ありえない。

でもその化学物質が燃えるような臭いは、微かだけど、まだ辺りに漂いつづけている。
僕はクタクタに疲れているんだ。早く店の掃除を済まして家に帰って寝転がりたい…”魔さか”近所の家が火事なんてことはないだろう。

”魔さか”この近くで、誰かが冷徹な含み笑いをしながら、裏路地の人目につかない物陰で放火をしている最中だなんてことはないはずだ…と考えた。

『魔さか』

…ない、ない。

それで僕は手に電飾人形を持ちながら、階段を上がりかけた。

…いったい何が僕を引き止めたか。

たぶんそれが”ニオイ”の疑問だったからだ。ニオイの判断を誤るのは、自分の職業的生命線に関わる大問題だ。

そのニオイは絶対にそこにあってはならないニオイだった。たとえ夏の終わりの風に乗って遠くから運ばれてきた僅かな異臭だったとしても。

どうしても気になったので、僕は月の電飾人形を手に持ったまま、店の周りの路地を一周して火や煙がどこかの家屋から出ていないか、注意深く見てまわった。

まだニオイはする。

でも周りの家からは、どこからも火の気配はなく、住民はみんな夏の終わりの最後の夜を満喫して静かに眠っているようだった。

路地をひと回りして、店の階段までもどってきた。1階の居酒屋はもうとっくに閉店していて誰もいない。入り口はガラスの格子ドアで、外からドア越しに店内を見ることができるのだけど、今夜はもう電気は消してあり、中は真っ暗だ…

真っ暗…のはずだった。

『魔さか!』

奥の厨房にあるはずのない、ある種の”明かり”が点いていた。その明かりは人工的な電気の明かりではなく、命を持っているように揺ら揺らと蠢く明かりだった。やわらかな夏の終わりにはふさわしくない、強く悪意を含んだ炎のユラメキ。

『魔さか』

下の店が火事だったなんて。

魔さかのとき、だいたいにおいて人はパニックに陥る。僕の場合、8割方パニくっていて、残り2割程は変に冷静だった。

まずパニクって何を考えたか?

☆消防車を呼ぶために電話する。(その間に燃え広がったらどうする? それが最善か?)
☆自分の店の消火器を持ってきて、ドアか窓ガラスを壊して、自分で消火する。(個人プレーで消しきれなかったらどうする? 責任負えるのか?)

☆消防車を呼ぶにせよ、ドアを壊して自分で消火するにせよ、”そもそも本当に火事なのか?” 何かしらのオブジェが光っているだけだったらどうするんだ?)

☆この家屋、古い木造だから、たぶんあっという間に燃え落ちるだろうな。

☆店、再開できるだろうか?

☆今のうちに少しでも貴重品を運び出すか? いやいや、通報が先だろ? でも貴重品ってなんだ? そんな高価な酒も置いてないし、でも備品はみんな平等に大事だよなあ…

☆あっ!、蓄音機をどうしよう。青木さん(手染メ屋の)に謝らなきゃなぁ… 1人では運べないけど、多少傷がついてもいいから、階段から滑り落とすことができないか?

☆まてまて、蓄音機本体はお金さえあればもう一度手に入るが、SP盤の方が2度と手に入らないから貴重なんじゃないのか?

☆いや、でもSP盤も大事だけど、自分のLP盤も運び出したい。

☆それはきっと1人では困難な作業だ。

☆青木さんに電話して事情を話したら手伝いに出てきてくれるか?

「あ、もしもし青木さん。夜分にお休みのところを本当に申し訳ないのだけど、…実は月読の下の店が火事でね。いや、どうやら僕が第1発見者みたいなんだけど、とりあえず蓄音機とSP盤だけ先に運びだしたいので来てくれるかな? 悪いんだけど」

☆違う、違う、消防車と消火器の二者選択だろ?

☆消火器で本物の火事を消すなんて初めてだ。上手くできるのか? 大仁田厚が消火器を使うときも「ファイヤー」っていうんだろうか?

☆これはきっと火事じゃない。勘違いだ。だから気がつかなかったフリして、さっさと家に帰ろう。

☆いや、そのまえに裏の隣接する家に知らせなきゃ、大惨事だ。

☆火災保険、いくら出るんだろ?

↑ 以上のことが、たぶん3秒くらいのあいだに僕の頭の中を駆け巡って、絡まって、絡まって、そして何処かに消えていった。


その後、冷静な2割くらいの部分で考えた。

☆なんらかの火災的事象が起こっているのは間違いない。

☆でも煙はそれほど上がってないし、火の手は広がってはいない。ずっと同じ規模で燃えているみたいだ。

☆それはどういう状況?

☆おそらく金属のような大きな不燃物の台座(シンクとか)の上で、それより小さいな可燃物が燃えている。

☆下の店の店長の名刺をもらっていたな。

☆彼はよく店を早仕舞いしたときには、まっすぐに家に帰らずに、何処かで飲んでいる。
☆近くにいたらドアを開けて、消火器で消せばいい。

☆遠くにいたら、状況を話して、それから聞いて、場合によってはドアを壊して入る確認をとる。

☆(もう一度見て)やはり火の手は広がっていない。(燃え続けてはいるけど)

☆最初に異臭に気がついてから、これまで相当に時間が過ぎている。(こんなものでは済まないはずだ)つまり状況判断は”当たっている”

↑ 以上の理由で、僕は店に戻り、下の店の店長の名刺を取り出し、電話をかけた。(携帯のナンバーが記されているのは何故か覚えていた)

案の定、彼は酒場にいたみたいだった。受話器の向こうからは、それらしきザワザワした人々の酔った声が聞こえてきた。

「もしもし、おたくの店の厨房が火事みたいなんだけど…」

こんな間の抜けた会話を自分がするとは思ってもみなかった。

彼は「わかりました、すぐ行きます!」といって電話を切ったのだけど、いったい彼はどこの酒場にいて、”すぐ”ってどのくらいなんだ?

彼を待つ間、僕は用意した消火器を階段の隅に置いて、ドア越しに揺ら揺ら燃え続けている明かりを見ていた。(思った通り、火の手は変化していない)

やがて下の店の店長が走ってやってきた。(1分くらいして)

どこで飲んでいたのか知らないが、予想以上に早かった。彼は居酒屋の店長なんかやめて、東京オリンピックを目指すべきかもしれない。秘められた才能は誰にでもある。

しかし彼もそうとうパニクっていたのだろう、店の前まできたとき、彼が最初にした行動は、僕に向かって「お疲れさまです!」と挨拶をしたことだった。

礼儀正しいのは彼の長所の1つだ。だけど早くしないと、僕も君も明日から”疲れる場所”がなくなる。

僕は彼に「お疲れさま」とはいわずに、ドア越しの厨房を指差して、「あれ、火が出てないか?」といい、彼は慌てて裏口の鍵を開け、店内に駆け込んだ。

事の顛末としては、彼がフライパンを洗って、乾かすためにコンロに火をかけ、空焚きをして火を消し忘れた。その結果、フライパンの取っ手の部分が熱に耐えきれなくなって火がついたようだ。

魔さか、の初歩的なミス。

でももし、お客さんの帰るタイミングが違ったら、タクシーの来るタイミングが違ったら、風が逆に吹いていたら、僕が風邪をひいていて、鼻が利かなかったら…

人の運は一定量だとよくいうけれど、もしそれが本当なら、きっと僕の運はこの先10年分ほど使い切ったに違いない。(その意味においては、今週末の競馬がとても心配だ)


さて、

結果オーライだったにせよ、自分の判断は危険だったのではないか?(早く消防署に連絡をすべきだったのでは?)

電話をするとき、指が震えた。消火器の扱いが迅速にできなかった。(日々の訓練の重要性)

近所付き合いは大切だ。(自分だけではカバーしきれない事が多々あるし、カバーしあう事で惨事を最小限にすることができる)

…等、今回の一連の出来事で学ぶべきことはたくさんある。

たくさんあるのだけど、もっとも重要な教訓は、『結婚式で上司のスピーチはためになるから黙って聴け』ということに他ならない。

3つの袋についても再考すべきだ。

人生では、シャンパンの泡が抜けることくらい大したことじゃない。我々若輩者はもっともっと我慢するべきなのだ。

写真のカクテルは『ポンピエ』

カシスとベルモットをソーダで割った、かなり優しいカクテル。

意味はフランス語で、消防士。


2017年8月21日月曜日

真夏の夜の夢

昨日の夜はとても蒸し暑い夜だった。それは肌に何か得体の知れない、生温かいものがベットリと纏わりつくような、年にそう何度も経験することのない嫌な暑さの夜だ。

こんな夜は2年ほど前に旅行で行った埼玉県、浦和の夜を思い出してしまう。

その年の夏、沖縄県在住で画家を生業にしている友人がいて、彼から毎年恒例にしている浦和での個展を観に来るように誘われたのだ。(浦和は彼の実家がある)

京都に住んでいると、浦和はそんな機会でもないとなかなか行くこともないので、嫁と2人して、「じゃあ、行こうか!」ということになった。

新幹線とホテルの手配は嫁がしてくれた。だいたいいつも彼女に任せっきりなのだ。

旅は2泊で、食事も友人たちと共にするので、宿泊先に予算をかける必要はない。嫁が選んだホテルは”駅と個展会場からなるべく近くにある”という条件のもと、かなり古びたビジネスホテルだった。

そこはアメニティは普通に満足できるものだったのだが、両隣を立派な観光ホテルに挟まれて、奥に少し窪んだような場所にひっそりと建っており、真正面からみると、まるで「こんなところにいて申し訳ありません」とでもいいたげに、ビルが頭を下げているようにも見えた。

そのオドオドしたビジネスホテルは改装中のため、壁面が木材で組まれた工事用の足場で、びっしりと覆われていた。

荷物を持って入り口の前に立つと、お世辞にも「ここに泊まりたいなあ」という気にはならず、「なんだかなぁ…」という印象は否めなかった。でも滞在中はほとんど外出するので、寝床だけ確保できれば十分だったし、それ以上深く考える必要もなかった。

仕方がなかったのだ…

部屋は405号室だった。

受付でキーを預かって、嫁と2人で部屋に向かう道すがら、「ふつうホテルって、縁起が悪いから4階の表示は無しにするんじゃなかったっけ?」と聞くと、嫁は「こんなホテルでそんな気の利いたことはしない」と一蹴された。



部屋は思っていた以上に綺麗に整っていた。ただ唯一存在する窓は外側に工事のための木枠が組んであり、もともと小さな窓がさらに細分化されていて、殺風景なことこの上ない。まあ、どっちにせよ、すぐ目の前に隣の豪華なホテルの壁が迫っていて、何ひとつ窓としての実用性をはたしてはいなかったのだけど。

ただ不思議だったのは、その窓の構造上、”もともとは開く仕様”になっているのに、なぜか今は開かないように向こう側から何かでストップがかかるようになっていた。ただこの時は深くは考えはしないで、「外で工事をするので、安全のためにそうなっているのだろう」くらいにしか思っていなかった…

荷物を置いてから、空調や冷蔵庫、クローゼット、タオルなどの点検をした。小さな机があったので、引き出しを開けてみると、そこにはお約束の聖書が1冊。かなり古くから使い込まれている様子で、少し汚れが目立っていたので、綺麗に整えられた部屋にしては、何かしら違和感があった。でも僕らはキリスト教徒ではないので、そのことについてもさしたる疑問は持ち得なかった。

荷物をおいてそこそこに、僕らは友人の個展会場に向かった。部屋を最後に出たのは僕だった。ドアを閉めるとき、木で組まれた足場だけが見える窓からぼんやりとした明かりが差し込む部屋に、ふと何かがいるような気配がした。それはほんの一瞬のことだった。

「!…?」

でも先に出ていた嫁がエレベーターのスイッチを入れて、僕を急かすように呼んだので、そんなことは気のせいだと思い、その後、忘れてしまった。

個展会場で友人家族と半日過ごし、閉館後、食事に向かった。浦和といえば鰻を食べないわけにはいかない。有名な鰻屋をはじめ、友人に色々と案内をしてもらい、二次会、三次会と進み、ホテルに帰ったのは夜中の1時をまわっていただろうか。ポツポツと小雨が降り出し、まるで雲の中を歩くような蒸し暑く不快な夜になっていた。

部屋に戻って、交代でシャワーを浴びた。

僕は前日の夜中まで仕事をしていて寝不足だったし、もちろんその夜は友人たちとかなりの酒量を飲んでいたので、寝床に入るとすぐに猛烈な眠気に襲われて、考える間もなく秒殺で深い眠りに落ちたのだった。

何時間が経っていたのだろうか?

僕は突然、何かの気配で目が覚めた。

身体は寝不足と酒のために重く、怠かった。

部屋の電気は消されていて(たぶん嫁が消したのだろう)、嫁は隣のベッドで寝息をたてているのが分かった。意識はハッキリしているのだけれど、疲れのために瞼が思うように開かない。木枠の足場が見える小さな窓から、薄明かりが差し込んでいて、部屋の中が微かに明るいのがわかる。

暫くすると、机の方向から声が聞こえてくるのがわかった。

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

意識は半分くらいハッキリしない。

身体は重い。

その状態で、

「ああ、あの汚れた聖書の入った机の方か…」

と考えていた。

でも余裕があったのはそこまでで、

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

という声は机(足元)の方から確実にこちらに近づいてきているのが、その声の大きさで理解できた。

徐々に徐々に声は近くなってきていた。

「うーーぅーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー うーぅーーー」

僕は焦った。

まず電気を点けたいのだが、自分で消したのではないから、咄嗟にスイッチがどこにあるのか判らなかった。

次に逃げることを考えたが、声が近づいてきている机のその向こうにドアがあった。残された唯一の外界への出口は木枠の組まれた窓だけだったが、あの窓は”開かない”ようになっていた。それに何より、横で寝ている嫁を置いていくわけにもいかない。

そうこうしているうちに、「うーーうぅーー」という声は僕の顔のすぐ近くまできてしまった。

どうしよう? どうしよう? どうしよう?,と焦って考える頭の中に、なぜかまたあの
古く汚れた聖書が浮かんだ。

十字でも刻んで祈ればいいのだろうか?

しかし何度もいうが、僕らはキリスト教徒ではないので、そんな付け焼き刃でなんとかなるはずないではないか?

そのときたぶん、声はもう僕の顔の数十センチ近くまできていた。

そこで僕は閃いた。

「僕はキリスト教徒ではないが、神社はたまに行く!」

そう考えて、目の前の不気味な声のするあたりを目指して、柏手を大きく1回だけ打った。
「バシッ!!」という音が部屋に響き渡った。

その音を聞いて嫁も目が覚めたらしく、身体を起こして、枕元にあった部屋の電気のスイッチを入れたのだった。そして心配そうに聞いてきた。

「どうしたの?」

僕は明かりのついた部屋で、自分の両手のひらを開いて眺めてみた。

そこには僅かに血がついていた。

嫁がもう一度、聞く。

「どうしたの?」

「…やっぱり、蚊がいた❤︎」

まだまだ蒸し暑い日が続きますが、残り少ない夏をお楽しみ下さい。

夏はやっぱりモスキート…ではなく、『モヒート』ですよね。



2017年7月26日水曜日

やがて悲しきローハイド

bar月読のご常連さんであるK氏は生粋の江戸っ子だ。だから銭湯と同じで、バーでも長湯…いや、長居はしない。まだ陽が沈みきらないうちからマティーニやウイスキーを数杯飲んで、さっと風のように去っていく。粋である。

会話も洒脱だ。知的エッセンスとユーモアがあり、若い女性客からの人気も高い。綺麗どころとカウンターで隣り合わせても、もちろん長居はしない。軽妙な会話で女性客を楽しませたあと、頃合いを見計らってサッと席を立つ。実に粋なのである。

K氏はまた、たいへん博識でもある。ついこのあいだ、映画『ブルースブラザース』の話題になって、僕がローハイドを「ローレン、ローレン、ローレン〜」と口ずさむと、
「あれはローレンと聞こえて、みんな間違って理解しているけど、正確には”Rollin', rollin', rollin'”で、”ローリン”がホントです」と教えてもらった。牛や馬を追って操る、かけ声ということらしい。


さて、月読のまわりに牛や馬はいないが、野良猫は多い。あるとき、K氏がチェックを済ませて店の階段を降りて外に出ると、通りの向こうに野良猫の子どもがいた。

そこでK氏はその子猫に歩み寄りながら、

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

という(そういう風に僕には聞こえた)なにかの擬音を早口で子猫に話しかけた。

その音はとても新鮮だった。

『北の国から』で蛍がキツネに向かって

「るー、るるるるー」

とやってるけど、猫に向かって、

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

と、かけ声? をするのは初めて聞いた。

これは愛猫家のスタンダードなんだろうか?(K氏は昔、トラちゃんという名前の猫を飼っていた)、それとも伝統的な江戸っ子の流儀なのか?

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

と早口で子猫をあやすK氏の後ろ姿を見送りながら、なんだローハイドの「ローリン、ローリン、ローリン…」みたいで、とてもカッコよく思えた。そして実際に自分でも使ってみようと心に決めたのだった。

後日。
僕の住んでいる古い借家の庭には、野良猫の”クロちゃん”が遊びにくる。



クロちゃんは生粋の野良猫である。エサをやってもいっこうに媚を売らない、とても愛想の悪い猫だ。エサを食べ終えたら、庭のトタンのワク木をツメでガリガリとやって帰っていく。

だから今度、クロちゃんが庭にきたら、例の「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」という、『ネコ・ローハイド』を試してみたいと思っていた。操れるかもしれない。

しかしそんなときに限ってクロちゃんはこない。何日か待ったけど、やっぱりこない…
でも僕は「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」をどうしても試してみたくて仕方がなかったのだ。

クロちゃんがこないとなると、うちには僕のほかには嫁しかいない。

彼女は実家でコジマという猫を飼っていて、実は本人自身も猫(という生き様)に憧
れている。

だいたい”憧れる”時点で、そこからは程遠いものなのだが、実際的に彼女は猫より、かなり”イヌ”的なキャラクターだった。嬉しいときにシッポを振っているのが丸見えになる。

その話題をなんどか彼女としたことがあるのだけど、僕がそういうといつも、

「違う、私は猫。女豹や!」

といい張る。(だいたい豹は猫とは違うし)

なので今回は妥協策として、ネコのクロちゃんの代わりに”女豹の嫁”で試してみることにした。

台所仕事をしている彼女の背中に向かって、K氏のように

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
というかけ声をやってみた。

彼女はyoutubeから流れるオザケンのラブリーを口ずさみ、機嫌よく野菜を切っていたのだが急に手をとめ、血相かえて僕に歩み寄ってきた。

「いま、私に向かって、ブス、ブス、ブスっていったやろう‼︎」

いや、いってない…Kさんがな…

「Kさんが女性にブスっていうはずないやろ!」

いや、ネコにな…”ぷすっ”ってゆーたはったんや。

「人間はブスで、ネコはプスッなんて聞いたことないわ!」

ローリン、ローリン、ローリンー

「歌ってごまかすなー」

牛や馬と違って、女豹はカンタンには操れない。

畳敷きの部屋にブルースがこだまする。


Kさん、ブルースブラザースはやっぱりローリンじゃなく「ローレン、ローレン、ローレン」と歌ってるんじゃないだろか?

ネコの名前のついたカクテルは、あんまりパッとしたのがないので、今回はソルティードッグで。



塩辛い犬。

ほんとはイギリス海軍の上官が、塩まみれで働く下級甲板員を揶揄したスラングで、たぶんあまり”いい言葉”ではないのだろう。それでもユーモアがあっていいのかもしれない。たぶんローハイドを歌うよりはずっとましに違いない。





2017年6月15日木曜日

最短距離をゆく

「北極へ行くには、どっちの方向ですか?」

こういったのは、大学時代につき合っていた彼女だった。かれこれもう30年くらい前の話だ。

それは映画の上映開始時間を待っている間、喫茶店で時間つぶしをかねて、遅めの昼食をとっているときだった。

僕はこれから観るであろう映画についてぼーっと考えていた。だから彼女が話しかけている内容についてはずっと右から左に聞き流していたので、間の抜けた返答をして少しばかり彼女をムッとさせてしまった。

えっ、 北極? 南極ならまだしも、北極にいくのは難しいと思うけど…

「違うの、だから罰ゲームなのよ!」

つまりこういうことだ。

それは彼女と同じ大学に通う女友達5人で、何かしらの簡単なゲームをする。ジャンケンでもいいし、あみだくじみたいなものでもいい。そして負けた人が、あらかじめ決められていた任意の場所(なるべく現実離れした場所)にいく方法を、通行人を適当に捕まえて、その人に食い下がって尋ねるという、あまり意味のない暇つぶしのゲームをしたというレポートだった。

”暇つぶし”なんて、考えてみればずいぶんともったいない話ではある。

でも当時、僕らは大学生だったし、ほとんどの大学生がそうであるように、時間は無尽蔵にあると思っていた。それは水道の蛇口を捻れば水が出てくるのと同じように。そして時々、朝目覚めると(僕の場合、往々にして昼過ぎだったが)、その溢れ出た水の中で溺れそうになっていた。でも今では砂漠の中で一滴の水を探し歩いているような毎日だ。ツケは必ずまわってくる。対価は支払わなくてはならない。

吉田拓郎がマークIIの中で

『年老いた男が川面を見つめて、時の流れを知る日が来るだろうか』

と歌っているが、今その心境が少しは分かるような気がする。

ただ彼女はそんな時間の洪水の中で、ただ流されて漂うだけのボウフラ学生とは違って、何にでも最短距離を通って目標を達成できるよう、キチンと計画を立てて、それをコツコツ実行するような才女(いわゆる”生徒会長”のような)タイプだった。

彼女はまた決断の早さと行動力も優れていて、たとえば思い立ったらシベリア鉄道に乗り込んで、大陸縦断の一人旅をするようなことも平然としていた。

これも今になってよく分かるのだけど、”世界の広さ”というのは、実際にそこにいって体感したものだけが獲得するものであって、たとえばどれほどグーグルアースで各地の隅々をながめたとしても、それは知識だけでその世界の”広さ”を獲得したわけではないのだ。

そういった意味において、彼女はすでに一般的な学生よりも、広大な”世界”を獲得していたし、それに対して僕といえば、地方都市の狭い井戸の底で日々、右往左往する”小さな世界”の蛙(カワズ)でしかなかった。

そんな彼女がその場のノリとはいえ、友達とバカバカしいゲームをすることもあるんだと妙に感心したのと、それと同時にいつも”最短距離”を選択し、広い世界を獲得し続ける彼女が、さしたる目標もなく、ダラダラと時間を浪費している、遠回りタイプ(”足踏み”というべきか?)で、小さな世界に満足して過ごしている僕と一緒にいることについても、それはとても不思議なことだった。

彼女の話によると、ゲームの最初のお題は『万里の長城』だった。何回か彼女以外の友達が負けた。その度に通りの通行人を捕まえて、…それは得意先まわりの会社員だったり、散歩中のお年寄りだったりした… その場所の方角と、そこにたどり着くまでの交通手段を赤面しながら尋ねたらしい。(彼女がいうには実際にやってみるとかなり恥ずかしいということだった)

彼女たちの暇つぶしに捕獲された気の毒な通行人のほとんどは、困惑したり、ときには苦笑いしながらも、その無意味なイタズラに”真面目”につき合ってくれたようだった。

そしてお題の場所にたどり着く方法(交通手段とか)の返答の仕方ははそれぞれ違ったけれど、方向を尋ねたときだけは、皆共通して地平線に近い低い空を眺めて、その場所の在るべき方角を腕を上げて指差した。

ゲームというものはクリアーされ、進行していくごとに難易度は高く設定されていく。
最初のお題の『万里の長城』が『ガンダーラ』になり、さらに『スフィンクスのいる砂漠』になった。(僕としてはガンダーラの方が超難問に思えるのだが)

そしてとうとう彼女が負ける番が回ってきた。そのときのお題がまさに『北極』だった。
映画の上映開始時間がせまってきたので、僕は注文していたサンドイッチと緑色のクリームソーダを少し急いで食べる必要があった。僕は幼少期からの習慣みたいなもので、喫茶店でサンドイッチとクリームソーダ(緑のものに限る)を注文するのが好きだった。もちろん今ではもうしない。

そして”サンドイッチとクリームソーダの組み合わせ”と同じくらい、映画が始まる前のCM、つまり”上映予定映画のダイジェスト”を観るのが好きなのだけど(こちらは今でも好きだ)、その時間と引き換えにしても彼女の話の続きを聞きたかった。後回しではなく、今すぐに。そこには何かしら予感めいたものがあったのかもしれない。

彼女が選んだ通行人は30代の”たぶん”若い植木職人だったらしい。”たぶん”というのは、彼女が考える植木職人というのは、だいたい50歳以上をイメージしていたし、見かけがどんな服装をしていて、どんな道具を持ち歩いているのかよく知らなかったからだ。

その若き通行人は作業用の黒っぽいグレーのジャンパーを着てジーンズを履き、肩に大きな鞄をぶらさげていた。腰に巻きつけられたベルトには何種類かのハサミがかけられていて、手には竹ぼうきを持っていたので、”植木職人”とそう判断したのだった。

「あのう…ちょっとすいません…」

彼女は気の毒な若い植木職人に声をかける。

若い植木職人は自分に声をかけられたのかを、いまひとつ確信がもてないまま、返事をせずに彼女の方を振り向く。

「ええっと、北極に行くには、どっちの方向ですか?」

(きっと彼女は顔を赤らめながら尋ねたのだろう)

そして若い植木職人は、間違いなく自分に声がかけられたのを認識できて少し安心するも、すぐまた戸惑うことになる。

「えっ? 北極…ですか? シロクマのいる、あの北極?」

「はい…その北極です…スイマセン…」

若い植木職人は彼女の態度をみて、すぐさまそれが何かのイタズラやゲームの類だと理解したようだった。

ただ彼はそれまでの通行人とは違う方角の示し方をした。つまり腕を上げ、その方向を指差したりはしなかった。

「…それだったら、北極星のある方角ですね。春夏は北斗七星を、秋冬はカシオペア座を眺めるといいですよ」

でも、それでは夜しか”歩けません”よね?

「だったら昼間は切り株の年輪をみてはどうかな。北極の方角は間が詰まってるから。ところで北極には歩いて行くの? ずいぶんと時間がかかるね」

若い植木職人は笑いながら彼女に尋ね返す。

次の質問を先取りされた彼女は少し慌てながら、答える。

「そうなんです。それ以外の方法が思いつかなくて。北極まで行くのに、どうすればショートカットして”最短”で行けますか?」

若い植木職人はほんの少しだけ考えて、彼女に自分が手に持っていた竹ぼうきを差し出した。
「よかったら、これ使ってみるかい?」

ゲームはその回で終了した。

「どう? 素敵でしょう!」

ここまで話してから、彼女はうっとりとした目をして(少なくとも僕にはそう見えた)、喫茶店の窓越しに通行人を眺めた。若い植木職人はそこには居ない。おそらく彼女が偶然また彼に出会う確率もまずあり得ないだろう。それでも僕は彼に猛烈なヤキモチを焼かずにいられなかったし、同時に不吉な未来を確信したのだった。いつか必ず、それも近い将来、広い世界観を持った、最短距離を行く”大人な誰か”に彼女を奪われてしまうのだろうと。そして嫌な予感というのは、いつもだいたい当たるのだ。

そしてその後、僕たちは映画館に向かった。

主人公の少女がホウキに乗って空を飛ぶ映画…『魔女の宅急便』を観るために。
やがて彼女は大学を卒業して(僕は半年間の留年をして、ちょうどその頃フラれた)、優良企業に就職して、最短距離で出世をして、最短距離で外国人と恋に落ちて結婚し、彼の住む北欧へと嫁いで行った。

北欧に行くには、北極回りの航路で飛行機に乗ったのだろう。最短距離をとるのがきっと今でも彼女の流儀なのだ。



ちょうどカクテルに『ポーラ・ショート・カット』というネーミングのものがある。ラムベースの赤くて、強くて、少しだけ甘いカクテル。

1957年にコペンハーゲンと東京間の北極回り航路開設を記念したカクテル・コンペで優勝したものだ。(念のために説明すると、たとえば日本からヨーロッパに行くとき、北極回りをする方が航路が短く、つまりショートカットできる)




そしてつい最近のことなのだが…

休日、僕は家を出て、北の大通りに昼食をとるために蕎麦屋に出かけた。ミシュランで星をとったので、なかなか入るのが困難になった店なのだけど、その日は僕にしては珍しく並ぶのを覚悟してそこに向かった。

その途中、あともう少しで件の蕎麦屋に着くというところで、不意に背中から声をかけられた。若い女性の声だった。

「あのう…小世界はどこですか?」

あれから30年あまり過ぎている。

まだそのゲームをしているやつがいるのかと、信じられなかったが、振り返るとそこには現実に若い女性が確かにいた。

それにしても”小世界”ってなんだ?

『万里の長城』から何回ゲームを続ければ『小世界』なんて難易度の高いところにたどり着くのだろう。

「これに乗って自分で探してこい!」

と、竹ぼうきを叩きつけてやりたかったが、僕は竹ぼうきを持ちながらミシュランで星をとるような小洒落た蕎麦屋に行ったりはしない。いくら井戸の中の蛙でも、そのくらいの常識はわきまえているのだ。

よく見るとその女性は大きなスーツケースを手に持っていた。もう片方の手には紙切れ。それは地図であり、その女性はアジア系の外国人旅行者だった。

地図には”正確”に読むと『小世界旅社』と書いてあった。そういえば僕の住んでいる家の南の大通りの方に、そんな名前の民泊のような場所があったのを思いだした。ただそこは入り組んだ細い路地にあり、僕の語学力では外国人にそこを説明するのは不可能に思えた。(もしかしたら日本人にさえ難しかったかもしれない)

仕方がないので、目前の蕎麦屋に背を向けて、

「れっつごー、つぎゃざー」

ということになった。



その旅行者は台湾から来たようだったが、そのくらいしか聞くことができず(あとは何日くらい日本に滞在するのかを聞いた気がする)、それ以外は黙って目的の”小世界”まで歩いた。

その沈黙の間、僕はあれからいったいどのくらい自分の世界が広がったのたろうか? と、これまでに流れ去った川の水のことを思った。それとあのウイットに富んだ若き植木職人は今頃どうしているのだろうか? というようなことを。

歩くこと15分くらいで目的の『小世界旅社』に着いた。台湾からの旅人はお礼をいったあと、出迎えた彼女の旅行仲間たちと小さな世界の入り口にある暖簾を潜って中に消えていった。僕は境界線のような路地に1人残され、家を出たときよりも更に遠くなった小洒落た蕎麦屋のことを思い、そして途方にくれた。

結局、蕎麦はあきらめ、小世界の裏側にある、大通りのタコ焼き屋にいってタコ焼きとイカ焼きが入った”Aセット”を注文した。ここはたぶんミシュランとは永遠に無縁だろうけど、蕎麦屋と違って待たなくてもすぐ買えるのがいいところだ。川の水は残り少ない。

静かな昼下がり。Aセットの包みをぶら下げながら家に帰る途中で考えた。結局のところ、今日、僕は遠回りをしたのだろうか? それともショートカットしたのだろうか?



2017年5月26日金曜日

スピリッツってなんでしょう?

「スピリッツって、なんですか?」

barをやっていると、たびたび受ける質問です。

「美味しんぼ…とかが連載されてる漫画雑誌です」(まだやってるのか?)…とは答えてはいません。

もちろん、お酒、アルコールのお話です。

お酒には大きく分けて、2種類あります。

醸造酒と蒸留酒です。

醸造酒というのは、原材料をバクテリアの力を借りて、発酵させて造る種類のお酒のことです。たとえば、お米を使って日本酒、葡萄を使ってワインといった具合に。これらのお酒は人工的な手法を使って、アルコール度数を上げることはされません。(アルコール添加された日本酒などは除く)

さて、思い出してみて下さい。

アルコール度数が40%の日本酒のラベルをみたことがありますか? アルコール度数が50%のワインを飲んだことがあるでしょうか?

絶対にないはずです。

なぜなら、そんなものはこの世に存在しないからです。

超簡単に説明します。

日本酒もワインも原料の米や葡萄を液化して、それをバクテリアがアルコールとガスに分解して造られます。そして発酵がどんどん進むとアルコール度数も上がっていきます。
さて、ここで問題です。

仮にアルコール40度のワインを造ろうとしたとします。発酵をどんどん進行させていきます。

でも、アルコール度数40度のワインは絶対にできません。なぜなら、発酵の途中で”バクテリアが自分で造ったアルコールに自分自身が滅菌消毒されて、20%(正確な数字は忘れた)くらいの地点で全滅するから”です。

つまり自然の力だけで造れるアルコール度数の限界はかなり低いところにあって、焼酎やウイスキー、ジン、ウオッカなどの40度を超える高アルコール度数のお酒は、人工的にしか造れません。

人工的にアルコール度数をあげる方法を、『蒸留』といい、”蒸留機”を使って、できた高アルコール度数のお酒の総称を『蒸留酒』といいます。簡単にいうと、醸造酒を蒸留機を使って、人工的に水とアルコールに分離させて、度数を高めていく方法です。

”蒸留”は中世の錬金術の実験過程で、偶然に発見されたともいわれていますが、不老不死の霊薬を作っていて、偶然にできた蒸留酒。それを飲んだ中世の錬金術師たちは、もちろん、それまでに醸造酒しか飲んだことがないから、高アルコールによって急速に酔いが回り、心臓がバクバク波打ち、それこそ本当にスピリッツ=魂、命の元と考えたのかも知れません。

さて、この人工的にアルコール度数を高めた蒸留酒のことを、一般的にスピリッツといいます。

とくに樽で熟成していない、透明の蒸留酒(ジン、ホワイトラム、ウオッカ、テキーラ・ブランコ)のことを、ホワイトスピリッツといい、概ね、《スピリッツ=ホワイトスピリッツ》のことを指していう場合が多いです。



先日、『共謀罪』が衆院を通過しました。

その前後のニュースで幾つかの醜聞も明るみに出ました。でも大手メディアは豆粒ほどの報道でお茶を濁し、知らん顔。世間は相変わらず静かで、支持率は高いまま。声を出すのはいつもと同じ人々。

そんな折、お客様から久しぶりに「スピリッツって何ですか?」と聞かれ、上記の説明をしていたのですが、途中からボンヤリと別のことも同時に考えていました。

『安倍一味が”自らの作った共謀罪で、自分自身がいちばん最初に滅菌されるべき”ではないのか? バクテリアは低アルコールでも消滅するけど、安倍一味は反支持率40%くらいでは滅菌されないし、なんとか”蒸留”できないものか…』などなど。

もちろん、接客中にこんなことは声には出してはいませんが。ただ少し”スピリッツ”の話には続きがあります。

「スピリッツといえば、イーグルスのホテルカリフォルニアという曲が有名ですが、ご存知ですか?」

そこに”スピリッツ”という歌詞が、ダブルミーニングで使われています。(ただ書いた本人は否定しているらしいですが…上記にもあるように、ワインはスピリッツじゃないし)

So I called up the Captain,
“Please bring me my wine”
He said,
”We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”

いわく、

「ワインを持ってきてくれないか」

「あいにく、そのような”スピリッツ”は1969年以降、当ホテルにはご用意がございません」

* ホテルのバーにスピリッツがないことと、69年以降、ロック界が商業主義に陥り、魂を失ったことを二重に含ませています。

まあ、当人が言ってるのだから、”違う”のでしょうが(くどいようですが、ワインはスピリッツじゃないし)、あまりにも有名なこの解釈、このままの方が好きですけどね、カッコイイし。

さて「スピリッツって何ですか?」

2012年以降、日本の多くのマスメディアが失くしたものが、それです。

But…
Welcome to the bar tsukuyomi.
幾つものスピリッツを取り揃えて、お待ちしております。


2017年2月24日金曜日

アンチョコ

昨日、bar月読が始まって以来(約12年以上の間)、初めてご注文いただいたカクテル。

『サッポロ』

レシピ確認のため、こそっとアンチョコ見ました。w

ちなみに”アンチョコ”って、語源は”安直”らしいです。

そして閉店後、片付けものしながら、鼻歌で石原裕次郎の『恋の町札幌』を歌った安直なワタクシ…

♪時計台の 下で逢って
わたしの恋は はじまりました
だまってあなたに ついてくだけで
私はとても 幸せだった
夢のような 恋のはじめ
忘れはしない 恋の町札幌♪


札幌は寒いだろうけど、京都もまだまだ寒いです。


2017年2月22日水曜日

いざ! 鎌倉

結婚する何ヶ月前だったか、もう忘れてしまったのだけど、彼女の母方の祖母が亡くなったので鎌倉まで行ったことがある。(いま嫁に確認したら結婚式の一年以上前だった)

店の営業が終わってから、ほぼ徹夜で新幹線に飛び乗って、乗り換えて、乗り換えて、江ノ電に乗った。降りたのが何という名前の駅だったかも忘れてしまった。確か『チャーミーグリーン』のCMに使われた”坂”がある街だったように聞いた記憶がある。

初めての鎌倉。
初めての顔合わせ(親戚の方々と)。
まさか、”家族席”に座ることになるとは思ってもみず。
…でもまあ、流れに任せて(それ以外に選択肢はない)、まな板の上の鯉になるしかない。

式が始まるのを待ちながら、この場合、僕は”参列”になるのか、”列席”になるのか、どっちなんだろうとか、徹夜明けのボヤけた頭でどうでもいいことを考え続けていた。

さて、お坊さんがお経を読んでいる間、問題が発生した。
それは大問題だった。

昨日の夕方から何も食べていない。新幹線の中でも、眠るつもりだったので、何も買ったりしてなかった。(結局、眠れなかったし)

人間、大抵の生理現象は短時間ならなんとか抑え込むことが出来る。そこは精神力だ。でも、お腹の虫が鳴く音は自分の意思でコントロール不能だ。

…しかし、だ。

”ここ”ではいけない。

人生の中で、いったいお腹の虫が何回くらい平均して鳴くのか知らないが、”今この場”は最もあってはならない場面ではないか。選りに選って、ここで鳴くか⁉︎

気のせいか、鳴く音が少しずつ大きくなっているし、間隔も早まってきている気がする。
しかしホントに自分ではどうしょうもないのだ、お腹の虫の音。

で、どうしたか。

連想した。

何か食べなきゃいけない→食べ物はない→あったとしても食べられない→空腹を抑えるときどうするか?→水をたくさん飲んでやり過ごす→水もない→じゃ、空気を飲もう
というわけで、式中ずっと目立たないように大きく息をパクパク吸って、お腹に送り込み続けたのだった。そのおかげで、たぶん見た目が本物の”(まな板の上の)鯉”になってたはずだ。

その日、夜から店を開けるので、一足早く失礼させてもらった。

江ノ電の駅(JRだったかも)で蕎麦を食べた。

鎌倉の店のBGMは、どこでもサザンがかかってるのかと想像していたのに、その蕎麦屋ではミッシェルポルナレフがバラードを歌っていた。

江ノ電に乗って移動中、途中の駅では小泉今日子と中井貴一がドラマのロケをやっていた。

やはり鎌倉は、お腹の虫が鳴ってはいけない街なんだとシミジミ思った。

よく「ご飯のかわりに酒を飲む」という人がいるけど、僕はまず”食べる”が優先だ。
写真はちょっと珍しい、”肉料理に合うジン”というコンセプトのシンケンヘーガー。
ラベルに肉が描かれてるの、たぶんこの酒だけじゃないかな。


2017年1月10日火曜日

Yな人生

原チャリに乗っての通勤途中、信号待ちしながら目の前に止まっている車のテールマークを眺めていて、ふっと思う。

初めて英語を習うとき、アルファベットの歌を覚える。

♫ABCDEFGー、
♩HIJKLMNー、
🎶OPQRSTUー、
♪VW&XYZ.
…っやつ。

このいちばん最後の節、”VWXYZ”。
これが問題だ。

例えば車。(そんなに詳しくないけど)
フェアレディZとかセリカXX(ダブルエックス)とか。
あと、VはVサインとか、ビクトリー。それからWはウインに、古いところではWライダーとかもあるぞ。(知らないだろうな…)
ついでにいうΖガンダムとかもある。

えーっと、結局、何がいいたいのかというと、まわりの文字はみんなカッコいい象徴とか代名詞的に使われるのに、何故だか”Y”だけがイケてない。なんでだろ?
五つの文字仲間のうち、四つまでもがカッコいい象徴に使われるのに、Yだけが取り残されている。黄レンジャーみたいなものか? イエローはYだし…

車の名前みたいに、試しにカクテルにつけてみた。
Vマティーニ
Wマティーニ
マティーニXX(ダブルエックス)
マティーニZ
Zマティーニ(ゼータマティーニ)

では、Yマティーニもしくは、マティーニY。

…ダメだ。やはりどうにも宜しくない。

そんなことを信号待ちの数十秒の間に考えながら、再び原チャリで走り出す。そしてまた走りながら考える。

そういえは、今までの人生のなかで、自分は”Y”っぽいなあーと考えたことも多々あった。
まわりのみんながカッコ良く思えたり、頑張ってるなあ、と思うのに、いったい自分は何やってんだろ?…とか。

学生の頃から僕は、クラスのなかでも割とモテるタイプの友人と行動をともにすることが多かった。そのおかげで、卒業後、偶然おなじクラスや学年の女子に会っても、「ああ、(カッコいい)○○君といつも一緒にいた人ね」という、悲しい思い出されかたをする。

ああ、なんというYな人生だろう。

今はただひたすら待っている。
トヨタでもホンダでもいいから、カッコいい車の名前の前後に”Y”という象徴を付けてくれることを。


アルファベットの名前のついたカクテルをひとつ。
カクテル XYZ


2016年10月20日木曜日

あなたの幸せ、おいくら万円?


この店(bar月読)はだいたいにおいて暇なことが多いので、お客様と1対1になることは珍しいことではなく、”困ったオーダー”というのは、だいたいそんなときによく受ける。

男性客の場合、オーダーはまずそう難しいものにはならない。あってもマニアックなものがほとんどで、女性客によくある”抽象的オーダー”はまずない。

ちなみにこれまであった”困ったオーダーNo.1”は、

「私、アルコール飲めないので、ソフトドリンクで。ジュースみたいに甘くなくて、炭酸がはいってなくて、ウーロン茶でないもの。あ、牛乳もキライです」

が、そうだ。

…うちはコーヒーも紅茶もおいていないので、どう考えても水しかないよな…と思いつつ、結局たまたまあった台湾のお茶のティーパックを使ったんだけど、あれ何茶だったんだろ?

あと、よくあるのは、

「私のイメージでカクテルをつくって下さい」

と、いうやつ。

意外に思われるかもしれないけれど、このオーダーはわりと対処しやすい。もともと本人も遊び心で言ってるだけなので、こちらも多少のジョークを交えるか、あとは相手が女性なら鉄板の方程式があるので大丈夫。(次に使えなくなるので、ここでネタバレはしないけどね)



さて、もっとも気を使う、それでいて割とよくある”困ったオーダー”はこういうやつだ。

カウンターの椅子に座るや否や、こちらがご注文を伺うと、

「マスターは今、幸せですか?」

は…?(マスターハシアワセデスカ、そんなカクテルあったっけ?と多少あせる)

ま、まあ、人からはどう見えてるか分かりませんが、幸せだとは思いますよ…たぶん。

「いいですねえ。じゃあ、私も幸せになるカクテル下さい」

嘘みたいな話だけど、本当にこういうパターンは何度もある。

『幸せになるカクテル』

”私のイメージカクテル”と違って、これはどこか潜在的に”本気度”が少しばかり混ざってるようでやっかいだ。つまり”遊び”で返せないので、真面目に対応するしかない。(知人なら激辛カクテルでもつくって、「シアワセはそんな甘いもんじゃねー!」と対応するのだけど)

さて…。

えーっと、あなたの考える幸せの価値は金銭に換算して幾らくらいですか?

「えー、そんなのお金で表せませんよ」

そうですよね。もし値をつけても100万とか1000万とかじゃ全然足りませんよね?

「そうですね…たぶん」

お客様と店、商品のやり取りは等価交換が原則ですから、仮にもし僕が魔法でも使えて”幸せになるカクテル”を本当に作れるとしたら、それだけの代金を頂きますけど、いいですか?w

「それは無理ですねw。 …でもよく”幸運を招く壺”とか、”幸運を呼ぶペンダント”とか売ってるじゃないですか? 幸運になるカクテルはない?」

ああ、そういうのよくありますよね。たぶんそれらを買ったら、その値段の分だけは幸せになれるかもしれませんね、プラシーボ効果で。わかりますプラシーボ?

風邪薬と思い込んでビタミン剤を飲んだら、治ったとかいう、あれです。つまり思い込が実際に作用する、というものですけど。

「じゃあ、世の中にある”幸せになる何か”みたいなのは全部偽物なんですか?」
僕はお化けも妖怪も幽霊も信じてるし、宇宙人もUFOも、ツチノコだって信じてますから、”そういうもの”がこの世の中にある、というのも信じていますよ。

「じゃあ、あるけど、この店にはないのですね?w」

まだ見たこともないですからね。

見つけたらぜひ仕入れたいですけどねえ。

ただ…

「ただ?」

かりにそんなものがあったとしても、それを本当に持ってたり、造ったりできる人は決してそれに値段をつけて売ったりはしませんよ。

「どうして? 等価交換じゃないから?」

それもあるけど、”人生とか運命みたいなものを変えてしまう、責任の重さとか怖さというものを、そういう人はよく知っているからじゃないでしょうか?

それにもし効き目が感じられなかったら怨みを抱く人も中にはいるでしょう? 買値以上の期待値をもって。

そもそもよく考えて下さい。

10万円で幸せになる壺を売ってる人も、1万円で幸せになるペンダントを売ってる人も、あなたがその人を見て、”幸せそうだ”と思えますか?

「うーん、あまり思えないかも…」

幸せじゃない人が”幸せグッズ”を売るって、矛盾しているでしょ?

いいですか、もし本当に”幸せになるモノ”があるのなら、それは売るのじゃなくて、”差し上げる”とか”譲る”ものなんですよ。

そうしてはじめて等価交換になるし、そのモノの効果が発揮されるんだと思いますよ。

「只であげたら、売るよりもっと差がひらいて、それまで以上に等価交換じゃなくなるでしょう?」

いいえ、違います。もしあなたが本当に"幸せになるグッズ”を持っていたとして、それをあなたが手放してでも”あげたい”と思う人は、きっとあなたにとって、とても大切な人でしょう?

”その人が幸せになればあなたが嬉しい”という気持ちと、その人が”(自分が)幸せになれて嬉しい”という気持ちとが限りなく等価交換になるんですよ。

さあ、そろそろご注文を伺いましょうか…

「…お金で幸せは買えないってことですか?」



お金で買える幸せもあると思いますよ。”良い、悪い”でなくて、物欲が満たされると幸福感があるでしょう。もちろん僕にもあります。でも、”幸せになるグッズ”が本当にあるなら、それはお金で買える類のものではない、ということですね。

「お金で買える幸せと、そうでない幸せはどう違うのですか?」



地球一周が何kmあるか知ってます?

「…わかりません。1万kmくらいですか?」

約4万kmらしいですよ。

「長いんですね…」

つまり世界でいちばん遠い場所は4万km先にあります。あなたにとっても、北極のエスキモーにとっても、上野の西郷さんにとっても、それはみんな同じ距離です。

でも地球一周するんだから、その場所はあなたの背中でもあるんですよ。

つまり世界でいちばん遠い場所と近い場所は同じなんです。メーテルリンクの青い鳥みたいな話になりますけど…

「お金で幸せを買おうとすると、幸運は4万km先に遠ざかる?」

そう考えても構いませんが、僕の言いたいのは少し違います。

”物質的な幸せを追い求める”ということは、”4万km先の場所”という具体的な数字…つまりリアルな目標が出来るということです。

だからといって簡単にクリアできる目標じゃないでしょ?世界一周なんて。

「確かに。私なら聞いただけで諦めますね」

そういう人も多いでしょうし、トライしても途中で脱落する人もいっぱいいるでしょうね。前途多難なイバラの道です。

「でも確かに数字なら実感しやすいですよね。私の幸せまであと3万5千km!…やっぱり遠いなあ。w」

逆にお金で買えない、もしくは換算できない幸せというのは、いちばん近い場所の背中にある。そもそも気がつきにくいし、そこにあると分かっても見えないし、さわれない。でも知ってさえいれば常にあなたと共に”在る”。

いちばん近い場所の幸せは手にふれることはできないけど、いちばん遠い場所の幸せも、そこに向かって歩けば歩くほど途中で気がつくんですよ…結局、進んだぶんだけ背中も移動するから、そこには永遠に届かないんだって。

「なんだ、結局、お金で買える幸せはよくないって話になりますよね」

そうではありませんよ。さっきも言ったように、どちらかが”良い、悪い”の話ではないんです。

今の世の中で、”概念(背中)の幸せ”だけで満足できる人はそうはいないでしょうし、それこそ出家でもしないとね。

それより、いちばん遠い場所と近い場所を把握しつつ、バランス感覚を養って、自分はいったい何を求めていて、それをどこで帳尻合わせするかが大事なんじゃないですか?

「じゃあ、私はどうしたらいいと思います?」

…まずドリンクのオーダーをされては如何でしょうか?w

「あ、そうですね、すっかり忘れてました。…じゃあ、私のイメージで何かカクテルをつくって下さい」

…うっ、二段攻撃できましたか⁈

「え? なんですか?」

いえ、こちらの話ですよ。

アルコール、強くても大丈夫ですか?

「はい。たぶん・・・」



ではカクテルはアラウンド・ザ・ワールド(世界一周)にしましょうか。




2016年7月16日土曜日

ロングバージョン

「ねえ、知ってる? タンカレーの瓶はロンドンの消火栓の形なんだって!」

手に持ったジンライムのグラスを眺めながら、気を取り直したように彼女が再び話しはじめた。

「…ああ、そうだね。けっこう有名な話だよ、それ」

僕は素っ気なく答え、そしていつもと同じように少しだけそれを後悔する。

僕の目の前にあるグラスは、もうほとんど飲み干されていて、彼女の手の中には氷が半分溶けて水割りになったジンライムが、カラカラと何かの死骸のような音をたてている。

「…でもさ、消火栓を真似たなら、どうしてタンカレーの瓶は緑色なの? どうせならちゃんと赤にすればよかったんじゃない?」

彼女はまるでタンカレージンの担当責任者が僕であるかのように、僕の目をまっすぐに見据えながらそう問い詰めてきた。もしこれがチェスのゲームだったら、そのあとに「チェックメイト」が聞こえたはずだ。

「それはね、酔っぱらいが間違って消火栓の中身を飲んでしまわないためなんだよ、きっと」

僕は彼女の目を見ずにそう答えた。



  シングルプレイのつもりが、いつか気づけばロングバージョン
             似たもの同士のボサノヴァ、ちょっとヘヴィめなラヴソング




タンカレーの”ロングバージョン”、『タンカレーラングプール』。そのままでライムと生姜の風味が特徴。瓶もノーマルのタンカレーより少しだけ大き目です。







暁を遊ぶ猫

「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」  芭蕉

この俳句の意味は、楽しく華やかな鵜飼が終わったあと、たまらなく悲しい気持ちになるという”祭りの後の寂しさ”を詠んだもので、とくに難しいものではない。

でも僕はこの句の意味を長い間、誤解していて、「鵜飼を最初に見物したときは楽しい気持ちになるが、やがて慣れてくると鵜が人間に利用されて鮎を採っても吞みこめず、吐き出さなくてはならないことが可哀想に思えてくる」という風に理解していた。


この夏の季語のはいった句を、蒸し暑い梅雨の最中に思い出したのには訳がある。

寝息についてときどき思う。

自分の寝息を聞くことはできない。だからといって、無条件で誰かの寝息を聞くこともできない。道を歩いている知らない女の子に声をかけて、「あなたの寝息を聞かせてください」なんて言おうものなら悲しい結末が待っているのでやめた方がいい。


寝息を聞く、という行為。

それは自分に気を許してくれる、近しい人がそこにいる、という状況に他ならないのだ。


暗い部屋の中で感じる微かな息遣いと小さな鼓動。それはその人の存在の証であり、ある種の安心感だ。でもそれと同時にいつか必ず闇の中に溶け込んで消えてしまう種類の音なのだと心のどこかで確信している。そして現実に静寂だけが自分の周りに残るのだろう。(もちろん自分の方が早くそうなってしまうことだって往々にしてあるのだが)

そう思うと真っ暗な部屋の中で聞こえてくる微かな寝息が、いまにも止まってしまいそうで儚く思えて、生きていてくれることが”実感として”(つまり概念ではなく)奇跡のように思える数少ない時間なのだと思う。


ある日の早朝。

うちの寝室のガラス窓の向こうにはベランダがあり、たまにそこでノラ猫の黒ちゃんとトミーが「フーーッ!」と唸り声をあげながら縄張り争いをくりひろげていることがある。

まったく迷惑な話で、喧嘩してダミ声あげるなら昼間にやってくれよ、と思う。世間は朝でも、こっちは深夜営業でこの時間はまだ真夜中なんだから…とムニャムニャいいながら目を覚ます。

少しずつ頭が冴えてくると、猫の唸り声はベランダで繰り広げられている喧嘩ではなく、横の布団で気持ち良さげに眠っている”近しい人”から発生しているものだと分かった。(黒ちゃん、トミー、疑って悪かった。今度、メザシあげるからね)

奇跡も大き過ぎると、平和な日常を飲み込んでしまうのだ。

「…おもしろうてやがてかなしき寝息かな」



ビトウィン・ザ・シーツというカクテルがある。本来は男女間で「さあ、ベッドに行きましょ」という艶っぽい意味のカクテルなんだけど、まあ日本人でこのカクテルを使いこなせる人はいないだろうな。(これまで10年以上、オーダーを伺ったこともないしね)

実際的には寝息を聞きながら、あるいはそれを思い出しながら、奇跡に感謝して飲むくらいがちょうどいいのかも知れない。出来ることなら、小さな奇跡を。





2016年6月23日木曜日

マティーニを飲みながら、最後の挨拶を聴く

「ウォッカマティーニを…ステアーじゃなくシェイクで!」

有名な007、ジェームズボンドの台詞ですね。いつかはこんな風にかっこよくオーダーしてみたいものです。

ところで疑問に思ったことはありませんか?

イギリス秘密情報部員であるジェームズボンドは、なぜ自国の名産品であるロンドン・ドライ・ジンではなく、東側のウォッカを使って作るマティーニを好んだのか?…と。矛盾してるでしょう? それでなくとも西洋人は自国の文化や産物に頑ななプライドを持っているはずなのですから。

ふっと思いついたこの疑問、何度かネットで検索をかけてみたけど、明確な理由は記されてはいませんでした。

ただ興味深いことが書かれている箇所が1件だけあって、それはミステリー作家の東理夫氏いわく、007の原作者である英作家のイアン・フレミングが第1作、カジノロワイヤルで登場させたボンドマティーニ、通称”ヴェスパー”のレシピに謎を解く鍵がある、と。



〈一般的なマティーニのレシピ〉

ジン
ベルモット
この2つをステアーし、グラスに注いでオリーブを飾る…です。


〈ヴェスパーのレシピ〉

ジン
ウォッカ
キナ・リレ
この3つをシェイク、レモンピールを振りかけ落とす、です。


東理夫氏の推理はこうです。
ジン=イギリス
ウォッカ=ソビエト(ロシア)
キナ・リレ=フランス
レモン=アメリカ(カルフォルニア?)
…をシェイク。

つまり冷戦時代、その主要国を混ぜ合わすレシピにおいて、イアン・フレミングが世界平和の祈りをそこに込めたのではないか? という説なのです。

とても興味深く面白い推理で、個人的にこういうアプローチでカクテルのルーツを紐解くのは大好きなのですが、ただ残念なことに映画シリーズではウォッカはスミノフが使われています。この銘柄はロシアからフランス、アメリカ、イギリスへと買収された歴史があります。(そしてこの時代はもうアメリカ資本でした)

もし東理夫氏の推理が正しいとするなら、イアン・フレミングの意向は映画では反映されなかったことになりますね。





さてもう一人、スパイの次は名探偵です。

シャーロックホームズ、小学生の頃に1度くらいは読んだことがあるのではないでしょうか?
いくつかの有名な事件のタイトルもすぐに思い浮かぶかもしれませんね。

では、シャーロックホームズの原作(つまりコナンドイルが書いた)の最終話を知っていますか?
それは ”最後の挨拶”という短編です。

いつものような助手であるワトソンの語りでもなく、筋書きも引退していた老後のホームズに、総理大臣から依頼されて第一次大戦時のドイツ軍スパイを捕まえるという異色作品です。

作品中、読者が期待するようなホームズのそれらしい挨拶があるわけでもなく、第一次大戦でコナンドイルが息子を失った遺恨から、憎しみを込めてドイツスパイを懲らしめる話を書いたとも解釈されていて、この作品は概ね不評なようです。

ただ…スパイを捕らえた後、久しぶりに顔を合わせたホームズとワトソンは海を眺めながらこんな会話を交わしています。

「東風(こち)になるね、ワトソンくん」

(東風はイギリスで冬の前触れで忌み嫌われる。ここではホームズは”大戦への予兆”を指している)

「そんなことはなかろう。ひどく暖かいもの」

(ワトソンはホームズのメタファーに気がつかない)

「相変わらずだねえ、ワトスン君は。時代は移ってゆくけれど君はいつまでも同じだ。とはいうものの東風は来るのだ。いままでイギリスに吹いたことのない風がね。冷たく激しい風だと思うから、そのため生命を落とす人も多いことだろう。だがそれは神のおぼしめしで吹くのだ。嵐が治まったあとは、輝かしい太陽のもと、より清く、より良く、より強い国ができることだろう…」

僕は思うのです。この話は本当に遺恨なのだろうかと。この”最後の挨拶”は読者に宛てた、もっと大きな祈りに似た何かではないのだろうかと。

本質的なことは本人でなくては知る由もありません。(もしかすると本人さえも) ただ後世、本人の意思とは別のところで何かが動き、歪み、ねじ曲がってしまうことはよくある話です。先のマティーニのように。

この最終話は8月の出来事に設定されています。それはドイツが宣戦した月だから。

でも私たちは8月ではなく、次の7月にこのシーンと同じような舞台に立つことになるのでしょう。そして再びホームズが”最後の挨拶”をするはずです。

「東風(こち)になるね、諸君」

「相変わらずだねえ、諸君は。時代は移ってゆくけれど君達はいつまでも同じだ。とはいうものの東風は来るのだ。いままで吹いたことのない風がね…」

ジェームズボンドやシャーロックホームズは実在しないし、なにかあっても助けてはくれない。でも作者の思いは常にそこに在り続ける。

メッセージは誰かのもとに届くだろうか?

やるべき事をやり、あとは先人たちの祈りを信じようと思う。






梅酒いろいろ

満月の夜に梅酒を漬ける。(2016 6/20)

今年は紹興酒と純米酒と黒酢の3種。

職業柄、ほとんどすべての酒で梅酒を試したけど、個人的にお勧めできるのはつぎの5つ。

ズブロッカ(ウオッカ・桜餅の香り)
シェリー(中辛口のアモンティリャード)
紹興酒
カルバドス(林檎のブランデー)
純米酒(いちばん癖がなくあっさりしています)

あと、梅黒酢は和え物やドレッシングに即席で使えてとても重宝するのです。


2016年6月13日月曜日

結婚と自由と、アイマスク

お客様とのよくある会話で…

「結婚っていいですか?」というのがある。

けっこう難しい質問で、どう答えても”後出しジャンケン”のように、こちらが負けるようにできている。

つまり、「結婚っていいですよ」というと、「ノロけちゃって〜。いいですね、奥さんと仲が良さそうで」、みたいな感じで冷やかされるし、逆に冗談でも「もう大変ですよ、結婚なんて…独身が羨ましいです」なんて答えようものなら、「これだから日本人の男性は伴侶を素直に褒めなくてダメなんですよ〜」と責められる。

だから最近では、この手の質問に対して、「イギリスの偉い学者さんは、”結婚前は両目を大きく開いて見ろ、結婚後は片目を閉じろ”と言ってますよw」とはぐらかして、責任をトーマス・フラーにすべて押しつけている。

そうすると次にこういう質問がくる。ほとんど必ずくる。

「でも…結婚したら自由がなくなるでしょ?」と。

ニュアンスはわからないでもないが、この質問には根本的な誤解がふたつあると思っている。

「就職すると自由がなくなるでしょ?」といって仕事をしない人はいない。(フリーランスを選ぶ人もいるだろうが、それはあくまでも自由度を秤にかけたわけではない)

つまり、ことの本質におけるメリットと本質でないところのデメリットを比べてみても解決には至らない。

もうひとつ。

自由ってなんだ?という問題だ。

時代や環境によって、自由の意味はまったく違う。

ローマ時代の奴隷は牢獄に入れられ、手足を拘束されていたとしても、現代の日本では、ほとんどの人は善良に生活していて刑務所暮らしをすることはない。

会社や学校に行かなくてよかった石器時代は、自由で良かったという人がいるかもしれない。

確かに時間的な自由はあるかもしれないが、不注意に出歩こうものなら、凶暴な肉食動物や他の部族に襲われる危険性があっただろう。そういう意味では、安全にその辺りを散歩できる会社員や学生の方がずっと自由だともいえる。

結局、現在において重要な自由というのは、”いかに多くの選択肢をもてるか”にかかっていると思う。ひとつよりもふたつ、ふたつよりもみっつの選択肢がある方がより自由だ。

結婚の話にもどると、質問者の意図は「結婚するとお互いに拘束されあうから、自由な時間が減る、あるいはなくなるでしょう?」ということなんだろうけど、”選択肢”の視点で考えると違う答えが見つかる。

世の中には”ひとりでは行動できないこと”、”伴侶がいないと楽しめない事柄”というものは多かれ少なかれ、必ず存在する。

そして”ひとりでしか楽しめない時間”も、お互いの理解と尊重があれば、結婚していてもそれを得ることは可能だ。

つまり「結婚する、しないは自由だけれど、結婚した方が”後々の選択肢は多くなる可能性がありますよ”。もちろん”そうなる相手を得られるかどうかはあなたの選択(人を見る目)にかかっていますが」ということになる。

…こう言うと(よほど気を許したお客様にしか、ここまで話さないけど)、まただいたい同じような反論が矢のようにとんでくる。w

「それは自分(僕のこと)が、それを得られた、いわゆる”勝ち組(この言葉はキライなんだけど)だから言えるんでしょ!」と。

ここだけの話ですがね、そんなことないですよ、理想と現実は違うんです。だって今、僕は自分用の”アイマスク”を探してるんだから…両目を閉じるために、ね。(これだから日本人の男性はダメなんだ……ああ、堂々めぐり)




さて、”自由”といえば有名なカクテルは『キューバリバー(リブレ)』

自由なるキューバ、万歳!という意味のカクテルで、独立戦争の合言葉に因んで作られました。
ラムにライムを搾って、コーラで割るという、なかなかジャンクなカクテルで、日本人のバーテンダーが率先して作ることは少ないかもしれませんね。

沖縄の伊江島で造られているラム、サンタマリア・クリスタルの個性的な香りがコーラに負けず良い感じに仕上がります。月読のレシピはそれ以外にライムではなくレモンを使い、輪郭をハッキリさせることを好んでいます。

あと、アンゴスチュラビターを一滴入れるのが隠し味。大人の自由は少しばかり苦いのです。





2016年6月3日金曜日

堕天使

僕の背中には羽根がある。

それはたった一本だけの羽根なのだ。

”片翼”などという、ある種のカタルシスをともなった格好のいい存在ではなく、文字通りたった一本だけの”羽根”。不細工この上なく、もちろんなんの役にもたちはしない。

普段は、その存在をまったく忘れてしまっている。たまに、ほんとうにたまにだけ、その存在を思い出すことがある。

それはシャツを着替えているとき、背中に何かが引っかかるような感じで。ときにはシャワーを浴びながら背中を洗っていて、不意に雷が落ちたように手に触れてしまったりするのだ。

そんなとき、僕はどうしていいのか戸惑ってしまい、それを思い出してしまったことをひどく後悔する。それはデートに浮かれて、ついうっかり観覧車に乗ってしまい、最上部まで来てしまった高所恐怖症の人のように。

忘れてさえいれば、気がつきさえしなければ、なんてことはないのだ。

ただその一本の羽根に希望を託すにはあまりにも重く、絶望するにも中途半端で満ち足りてはいない。

パンドラが最後に箱から出したものが、もしかしたらもっとも罪深きものだったのではなかろうかと、今日も懐かしい空を見上げている。




カクテル FALLEN ANGEL(堕天使)
80%がジンという悪魔的レシピの中に、数滴だけレモン&ミントリキュールという爽やかな天使の要素を含む。このカクテルの作り手はなかなかのシニカリストなのだ。





2016年1月13日水曜日

象徴としてのサンタマリア

「この店のお勧めはなんですか?」と訊かれると困ってしまいます。

お勧めじゃないものは仕入れていませんし、こちらがお客様の嗜好を把握していないのに、まったくタイプの違う何十種類のお酒の中から選ぶのは不可能だからです。

せめて「バーボンの中でお勧めは?」とか、「デザート酒でいいのある?」という風に訊いて頂けると助かるのですが、まあ、なかなか難しいものがありますよね。

ところで、”お勧めの酒は?”という問いかけには答えに窮するのですが、”この店を象徴する酒は?”という質問があれば(まずそんな質問はないでしょうが)、それには即答することが出来ます。
それは沖縄県、伊江島で造られているラム、”サンタマリア”です。



このラムとの出会いは、沖縄に旅行に行った帰りの空港のショップでした。友人や常連のお客様への土産にしようと思ったのです。

京都に着いてから自分の店で試飲して驚きました。そしてその日からbar月読のメインラムになり、とくにダイキリなどのホワイトラムを使うカクテルには、今ではなくてはならないものとなっています。

”象徴”という意味において、それはたんに美味しかったからだけという訳ではありません。
このラムに出会ったとき、それは有名なものではなかったし、ブランドものでもなかったし、究極に完成されたものではありませんでした。おそらく京都で殆どの人が知らないであろう、国産の、それも大手企業ではない小さな蒸留所のラムを使ってメインのカクテルを作るということは、barにとってかなりのリスクを冒すということです。

ブランド、広告戦力なしで、自分の信じる感性と味覚だけで、お客様に納得して頂けるかどうか…
沖縄から帰ってきて、店で初めてこのサンタマリアでダイキリを作って飲んだとき、それまでに感じたことのない豊潤な大地の匂いがしました。遥か昔、ジェニングス・コックスがキューバのダイキリ鉱山で作って喉を潤したカクテルも、もしかしたら同じ香りがしたのではないかと想像できるような。

僕はかれこれ30年ほどbarというものに携わってきたけれど、そんな風にして何の予備知識もないお酒を自分の店の”お勧め”にしたのは初めてです。つまりそのポリシーとか”在り方”について、が、この店の”象徴”な訳です。そしてこれからもそういったものを探していきたいと思っています。
さて去年の年末、とても嬉しいことがありました。

よく、年末に”今年の10大ニュース”とか言い合うでしょう? 他のジャンルは色々と迷うことが多かったのですが、お酒についてのニュース、出来事はそれがno.1でした。
関東から大阪に出張していたお客様、わざわざブログを読んで京都まで月読に足を運んで頂きました。

数杯飲んだあと、バックバーに並んでいる酒の列を見て、「ちょっとその酒を見せて下さい‼︎」とそのお客様。

それは数量限定で発売されたサンタマリアの樽出し”T1”。

そのお客様の話によると、以前、アメリカのシアトルで(出張で)ラム専門のbarに入ったそうです。そこは在庫総数で全米no.2の300種という本数を持っていて、そこのマスターが、彼が日本人だと知るとスマホの写真を見せながら、「君はこのラムを知っているか? 私が日本に行って飲んだラムの中でいちばん美味かったラムだ!」といったらしい。

彼は知らなかったし、飲んでみたかったので注文すると、「私も是非とももう一度、飲んでみたかったので、帰国後すぐにネットを調べてみたが、既にソールドアウトだった…オーマイガー」というような返答だったらしいです。

そして「君が日本に帰ったら探してみるといい、ラムが好きなら是非とも飲んでみるべきだよ」と。
サンタマリアが遥かアメリカで、それも全米トップクラスのラム専門barで高い評価をされているのがとても嬉しかったので、このニュースが2015年の”酒に関する10大ニュース”のトップです。

生産関係者ではないのですけどね。w



2015年9月2日水曜日

宝石は他がために輝く?

先週の土曜日、ちょっと珍しいカクテルのご注文を受けました。

ビジュー(フランス語で宝石)という名前のカクテル。

上から順にジン、シャルトリューズ(130種のハーブを使って作られる修道院のリキュール)、スイートベルモット(別名イタリアンベルモット、ワインに薬草を浸透させた広義でのリキュール)を混ぜずに段重ねにした見た目の美しいカクテルです。



ただ残念ながら、そのお客様にはお断り致しました。と言うのは、このカクテルはアルコール度数がひときわ高く、しかも甘い。(ジンの部分は超辛口ですが)

そのお客様、アルコールには強いのですが、甘いのが全くダメだったもので…

この様に色を段重ねにしたカクテルをプースカフェスタイルというのですが、概ね共通するのは日本人の味覚とアルコールの耐性からすれば甘すぎ&強過ぎるので、有り体に言って”不味い”と感じる人が大半である、という残念な結果になります。

そういう訳で、プースカフェスタイルのカクテルのご注文を頂いた時は、そのお客様がよくその味を理解してご注文されているのかをお聞きしてから作ります。(そして大抵の場合、却下されます)

今回のお客様も”友達がよく飲んでいて綺麗だったから”という理由でした。

ところで、プースカフェスタイルのカクテルは色と色の境界線が綺麗に分かれてないと駄作になります。(写真は左手にグラスを持って持ち上げながら、右手のスマホで撮ったので揺れて境界線がボヤけて写っていますが、テーブルに静止して置いてあるとちゃんと綺麗に分かれています…と言い訳明記w)

ビジューカクテル、白はダイヤモンド、緑はエメラルド、赤はルビーを表していて、その名を成していますが、僕はそこにもう一つの意味が隠されていると思っています。

ジンはイギリス産

シャルトリューズはフランス産

スイートベルモットはイタリア産

幾つかの隣接する国々が互いの強く甘く熟成した文化を侵すことなく、共存共栄しながら美しく成り立つ、平和=ビジューなのだと。

さて、撮影用に作ったカクテル…いったい誰が飲むんだろ?


         ↓ 証拠写真 w




2015年7月9日木曜日

ダブル ラッキーエビス

もう30年ほどバーの仕事に携わってきたけど、1ケースの中から2本のラッキーエビスが出てきたのは初めてじゃなかろうか?

どーも運を無駄遣いしてる気がする…


2015年7月4日土曜日

反抗の酒

旅人―――

Barには時々、旅人がやってくる。

観光、仕事、放浪…地元の人ではない方々。
つい先日、旅人が月読にやって来た。お客様なのだから“お越しくださった”とか書くべきなのだろうが、ここは旅人らしく“やって来た”とさせて頂こう。

男性、それも同世代くらいか…
1杯目のジンをオンザロックで飲みながら、旅人はバックバーの棚にあるレコードを眺めている。
「この店はジャズ、ですか?」と旅人が僕に問う。

このテの質問に答えるとき、僕は他のお客様の状況や問いかけた人のタイプによって内容を変えている。

タイプAの答え
「はい、概ねジャズです」

タイプBの答え
「概ねジャズですが、時々ビートルズやカーペンターズなどをかける事もあります」

今回は店が暇で―――雨も降っていたからだと言い訳しておこう―――、この旅人も“なんとなく”そんなニオイがしたので僕はタイプCの答えを口にした。

「概ねジャズですが、時々ビートルズやカーペンターズ、キャロルキングなどをかける時もありますし、場合によっては昭和歌謡を流したりもしますよ。どちらかというと本質は“昭和歌謡Barを目指しています w  ああ、あとは中島みゆきとか―――」と言いかけたとき旅人が少し声のトーンを上げて僕に聞き返してきた。

(旅人)「中島みゆきがあるのですか!?」

「ええ、最近のはないですけど、昔のは全部揃ってますよ」

(旅人)「レコードで?」

「ええ、レコードで」

(旅人)「…」

「何なら今から、かけましょうか?」
という事で、旅人が2杯目のジンをゆっくり飲んでいる間にLPを二枚ほど聴いただろうか。
ターンテーブルが止まって音が途切れた時、再び旅人が話し始めた。

(旅人)「実はですね、昨日は横浜にいたのですが偶然入った老舗のBarで中島みゆきを聴かせてもらったのですよ、それもYouTubeで w」

「老舗のBarとYouTubeと中島みゆきですか! どこにラインを結んでも全部違和感のある組み合わせですね w」と僕。

(旅人)「そうなんですよw あのう、それでですね…YouTubeの音とレコードの音を聴き比べてみたいので、昨日、横浜のBarで聴いた曲をリクエストしてもいいですか?」

「もちろん、その曲があれば、ですけど…」

*** 世の中はいつも変わっているから ***

(旅人)「あ、その前にお代わりをお願いします。何でも飲めるので最後は”お任せ“しますので何かください」
*** 頑固者だけが悲しい思いをする ***

(旅人)「やっぱりレコードの音は違いますよね!」

*** 変わらないものを何かにたとえて ***

(旅人)「この曲を聴くと思い出すんですよね、子供の頃に観てたTV番組…」

*** その度崩れちゃ そいつのせいにする ***

「ああ、“金八先生”でしょ?」

*** シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく

*** 変わらない夢を 流れに求めて

*** 時の流れを止めて 変わらない夢を

*** 見たがる者たちと戦うため


そうは答えてみたものの、僕は“変わらない悪夢を見たがる者たち”の系譜と、それから、沖縄のことも思い出していた。






――― 頭の中で少し旅をした ―――

1700年初頭。
戦争でスコットランドはイングランドに併合され、ウイスキー造りはそれまでの何倍もの重税を課せられるようになった。

それに抗う人々は山深い奥地に隠れ、密造を始める。(モルトの銘柄に“グレン―谷―”がよくつけられているのはその名残だ)

そして100年以上後の1823年、ついに政府は税収がままならないために酒税法改正に踏み切り、以前のように公にウイスキーを造る事が出来るようになった。

レジスタンスの勝利だった。

ただもう一点、興味深い事もある。

この密造時代にスコッチウイスキーの最も特徴的であるピートで麦芽を乾燥させる事と、シェリー酒の空樽で寝かせて琥珀色に熟成させる事が始まっている。

暗黒の時代であってもなお人は知識や技術のスキルアップを可能とし、熟成し得ることが出来るのだという事実。

シングルモルトは“レジスタンス”、“反抗”のシンボリックな酒だと思う。



――― 旅人の3杯目のご注文。

世情を聴きながら、僕は“お任せの酒”を注ぐためにモルトの並んでいる棚に手を伸ばした。

2015年6月5日金曜日

祭りばやしが聞こえる

ジンフィズ。

このカクテル、僕は作るのも飲むのも大好きな飲み物のひとつなのだけど、最近では注文を受けることは少なくなった。

ただし作るにあたっては、けっこう手間のかかるカクテルではある。

今夜、bar月読は珍しく忙しかった。”いつ来ても空いている”が売りの寂れたバーの木曜日の夜なのに…

ジンフィズが四つ出た。
月読、始まって以来の一夜にして4杯のジンフィズだ。

と、同時にモヒートが3つにソルティドッグにジントニックにブラッディシーザー2つにカルアミルクが4つ。あとシャルトリューズトニック3つに…ええっと、あと何だっけ?
途中でお一人様がもう2人を迎えに行ったから乾杯に合わすには…えーっと、彼女の注文は何だったかな?
それはまだ作っては温くなるのでダメだし、後回し…ああ、ミントが足りない‼︎

とにかく木曜日の夜だからヒマだろうと余裕こいて過ごしていたら北島三郎が5人くらい入って来て一斉に祭を輪唱で歌い出したような、そんな夜になった。

昔ならこういうシュチュエーションは大好きで、頭で考える前に身体がパッパッと反応してスムーズに仕事がこなせたのに、今はもうダメだね、頭も身体もモタモタして全然ついて行かない。

「悲しいけどコレ、年齢なんだよね…」

衰えは隠しきれない、衰戦士…(575)

あ、歳がいってもひとつだけは発達してるな、”口”とか”言い訳”とか?

…全然ダメじゃん。