bar月読のご常連さんであるK氏は生粋の江戸っ子だ。だから銭湯と同じで、バーでも長湯…いや、長居はしない。まだ陽が沈みきらないうちからマティーニやウイスキーを数杯飲んで、さっと風のように去っていく。粋である。
会話も洒脱だ。知的エッセンスとユーモアがあり、若い女性客からの人気も高い。綺麗どころとカウンターで隣り合わせても、もちろん長居はしない。軽妙な会話で女性客を楽しませたあと、頃合いを見計らってサッと席を立つ。実に粋なのである。
K氏はまた、たいへん博識でもある。ついこのあいだ、映画『ブルースブラザース』の話題になって、僕がローハイドを「ローレン、ローレン、ローレン〜」と口ずさむと、
「あれはローレンと聞こえて、みんな間違って理解しているけど、正確には”Rollin', rollin', rollin'”で、”ローリン”がホントです」と教えてもらった。牛や馬を追って操る、かけ声ということらしい。
さて、月読のまわりに牛や馬はいないが、野良猫は多い。あるとき、K氏がチェックを済ませて店の階段を降りて外に出ると、通りの向こうに野良猫の子どもがいた。
そこでK氏はその子猫に歩み寄りながら、
「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
という(そういう風に僕には聞こえた)なにかの擬音を早口で子猫に話しかけた。
その音はとても新鮮だった。
『北の国から』で蛍がキツネに向かって
「るー、るるるるー」
とやってるけど、猫に向かって、
「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
と、かけ声? をするのは初めて聞いた。
これは愛猫家のスタンダードなんだろうか?(K氏は昔、トラちゃんという名前の猫を飼っていた)、それとも伝統的な江戸っ子の流儀なのか?
「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
と早口で子猫をあやすK氏の後ろ姿を見送りながら、なんだローハイドの「ローリン、ローリン、ローリン…」みたいで、とてもカッコよく思えた。そして実際に自分でも使ってみようと心に決めたのだった。
後日。
僕の住んでいる古い借家の庭には、野良猫の”クロちゃん”が遊びにくる。
クロちゃんは生粋の野良猫である。エサをやってもいっこうに媚を売らない、とても愛想の悪い猫だ。エサを食べ終えたら、庭のトタンのワク木をツメでガリガリとやって帰っていく。
だから今度、クロちゃんが庭にきたら、例の「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」という、『ネコ・ローハイド』を試してみたいと思っていた。操れるかもしれない。
しかしそんなときに限ってクロちゃんはこない。何日か待ったけど、やっぱりこない…
でも僕は「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」をどうしても試してみたくて仕方がなかったのだ。
クロちゃんがこないとなると、うちには僕のほかには嫁しかいない。
彼女は実家でコジマという猫を飼っていて、実は本人自身も猫(という生き様)に憧
れている。
だいたい”憧れる”時点で、そこからは程遠いものなのだが、実際的に彼女は猫より、かなり”イヌ”的なキャラクターだった。嬉しいときにシッポを振っているのが丸見えになる。
その話題をなんどか彼女としたことがあるのだけど、僕がそういうといつも、
「違う、私は猫。女豹や!」
といい張る。(だいたい豹は猫とは違うし)
なので今回は妥協策として、ネコのクロちゃんの代わりに”女豹の嫁”で試してみることにした。
台所仕事をしている彼女の背中に向かって、K氏のように
「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
というかけ声をやってみた。
彼女はyoutubeから流れるオザケンのラブリーを口ずさみ、機嫌よく野菜を切っていたのだが急に手をとめ、血相かえて僕に歩み寄ってきた。
「いま、私に向かって、ブス、ブス、ブスっていったやろう‼︎」
いや、いってない…Kさんがな…
「Kさんが女性にブスっていうはずないやろ!」
いや、ネコにな…”ぷすっ”ってゆーたはったんや。
「人間はブスで、ネコはプスッなんて聞いたことないわ!」
ローリン、ローリン、ローリンー
「歌ってごまかすなー」
牛や馬と違って、女豹はカンタンには操れない。
畳敷きの部屋にブルースがこだまする。
Kさん、ブルースブラザースはやっぱりローリンじゃなく「ローレン、ローレン、ローレン」と歌ってるんじゃないだろか?
ネコの名前のついたカクテルは、あんまりパッとしたのがないので、今回はソルティードッグで。
塩辛い犬。
ほんとはイギリス海軍の上官が、塩まみれで働く下級甲板員を揶揄したスラングで、たぶんあまり”いい言葉”ではないのだろう。それでもユーモアがあっていいのかもしれない。たぶんローハイドを歌うよりはずっとましに違いない。
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