昨日、bar月読が始まって以来(約12年以上の間)、初めてご注文いただいたカクテル。
『サッポロ』
レシピ確認のため、こそっとアンチョコ見ました。w
ちなみに”アンチョコ”って、語源は”安直”らしいです。
そして閉店後、片付けものしながら、鼻歌で石原裕次郎の『恋の町札幌』を歌った安直なワタクシ…
♪時計台の 下で逢って
わたしの恋は はじまりました
だまってあなたに ついてくだけで
私はとても 幸せだった
夢のような 恋のはじめ
忘れはしない 恋の町札幌♪
札幌は寒いだろうけど、京都もまだまだ寒いです。
SINCE 2004
京都の繁華街から外れた場所。
ジャズレコード、蓄音機、シーメンスのスピーカー、ビリヤード台、昭和歌謡、古書…シングルモルトをはじめとする蒸留酒とスタンダード・カクテル。
外の世界とは少しだけ時間の流れが違う場所。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧下さい
2017年2月24日金曜日
2017年2月22日水曜日
いざ! 鎌倉
結婚する何ヶ月前だったか、もう忘れてしまったのだけど、彼女の母方の祖母が亡くなったので鎌倉まで行ったことがある。(いま嫁に確認したら結婚式の一年以上前だった)
店の営業が終わってから、ほぼ徹夜で新幹線に飛び乗って、乗り換えて、乗り換えて、江ノ電に乗った。降りたのが何という名前の駅だったかも忘れてしまった。確か『チャーミーグリーン』のCMに使われた”坂”がある街だったように聞いた記憶がある。
初めての鎌倉。
初めての顔合わせ(親戚の方々と)。
まさか、”家族席”に座ることになるとは思ってもみず。
…でもまあ、流れに任せて(それ以外に選択肢はない)、まな板の上の鯉になるしかない。
式が始まるのを待ちながら、この場合、僕は”参列”になるのか、”列席”になるのか、どっちなんだろうとか、徹夜明けのボヤけた頭でどうでもいいことを考え続けていた。
さて、お坊さんがお経を読んでいる間、問題が発生した。
それは大問題だった。
昨日の夕方から何も食べていない。新幹線の中でも、眠るつもりだったので、何も買ったりしてなかった。(結局、眠れなかったし)
人間、大抵の生理現象は短時間ならなんとか抑え込むことが出来る。そこは精神力だ。でも、お腹の虫が鳴く音は自分の意思でコントロール不能だ。
…しかし、だ。
”ここ”ではいけない。
人生の中で、いったいお腹の虫が何回くらい平均して鳴くのか知らないが、”今この場”は最もあってはならない場面ではないか。選りに選って、ここで鳴くか⁉︎
気のせいか、鳴く音が少しずつ大きくなっているし、間隔も早まってきている気がする。
しかしホントに自分ではどうしょうもないのだ、お腹の虫の音。
で、どうしたか。
連想した。
何か食べなきゃいけない→食べ物はない→あったとしても食べられない→空腹を抑えるときどうするか?→水をたくさん飲んでやり過ごす→水もない→じゃ、空気を飲もう
というわけで、式中ずっと目立たないように大きく息をパクパク吸って、お腹に送り込み続けたのだった。そのおかげで、たぶん見た目が本物の”(まな板の上の)鯉”になってたはずだ。
その日、夜から店を開けるので、一足早く失礼させてもらった。
江ノ電の駅(JRだったかも)で蕎麦を食べた。
鎌倉の店のBGMは、どこでもサザンがかかってるのかと想像していたのに、その蕎麦屋ではミッシェルポルナレフがバラードを歌っていた。
江ノ電に乗って移動中、途中の駅では小泉今日子と中井貴一がドラマのロケをやっていた。
やはり鎌倉は、お腹の虫が鳴ってはいけない街なんだとシミジミ思った。
よく「ご飯のかわりに酒を飲む」という人がいるけど、僕はまず”食べる”が優先だ。
写真はちょっと珍しい、”肉料理に合うジン”というコンセプトのシンケンヘーガー。
ラベルに肉が描かれてるの、たぶんこの酒だけじゃないかな。
店の営業が終わってから、ほぼ徹夜で新幹線に飛び乗って、乗り換えて、乗り換えて、江ノ電に乗った。降りたのが何という名前の駅だったかも忘れてしまった。確か『チャーミーグリーン』のCMに使われた”坂”がある街だったように聞いた記憶がある。
初めての鎌倉。
初めての顔合わせ(親戚の方々と)。
まさか、”家族席”に座ることになるとは思ってもみず。
…でもまあ、流れに任せて(それ以外に選択肢はない)、まな板の上の鯉になるしかない。
式が始まるのを待ちながら、この場合、僕は”参列”になるのか、”列席”になるのか、どっちなんだろうとか、徹夜明けのボヤけた頭でどうでもいいことを考え続けていた。
さて、お坊さんがお経を読んでいる間、問題が発生した。
それは大問題だった。
昨日の夕方から何も食べていない。新幹線の中でも、眠るつもりだったので、何も買ったりしてなかった。(結局、眠れなかったし)
人間、大抵の生理現象は短時間ならなんとか抑え込むことが出来る。そこは精神力だ。でも、お腹の虫が鳴く音は自分の意思でコントロール不能だ。
…しかし、だ。
”ここ”ではいけない。
人生の中で、いったいお腹の虫が何回くらい平均して鳴くのか知らないが、”今この場”は最もあってはならない場面ではないか。選りに選って、ここで鳴くか⁉︎
気のせいか、鳴く音が少しずつ大きくなっているし、間隔も早まってきている気がする。
しかしホントに自分ではどうしょうもないのだ、お腹の虫の音。
で、どうしたか。
連想した。
何か食べなきゃいけない→食べ物はない→あったとしても食べられない→空腹を抑えるときどうするか?→水をたくさん飲んでやり過ごす→水もない→じゃ、空気を飲もう
というわけで、式中ずっと目立たないように大きく息をパクパク吸って、お腹に送り込み続けたのだった。そのおかげで、たぶん見た目が本物の”(まな板の上の)鯉”になってたはずだ。
その日、夜から店を開けるので、一足早く失礼させてもらった。
江ノ電の駅(JRだったかも)で蕎麦を食べた。
鎌倉の店のBGMは、どこでもサザンがかかってるのかと想像していたのに、その蕎麦屋ではミッシェルポルナレフがバラードを歌っていた。
江ノ電に乗って移動中、途中の駅では小泉今日子と中井貴一がドラマのロケをやっていた。
やはり鎌倉は、お腹の虫が鳴ってはいけない街なんだとシミジミ思った。
よく「ご飯のかわりに酒を飲む」という人がいるけど、僕はまず”食べる”が優先だ。
写真はちょっと珍しい、”肉料理に合うジン”というコンセプトのシンケンヘーガー。
ラベルに肉が描かれてるの、たぶんこの酒だけじゃないかな。
2017年2月1日水曜日
折れた煙草は吸えません
クレタ人はいつも嘘をつく。
クレタ人である預言者がいいました。
「クレタ人はいつも嘘をつく悪い獣だ・・・」と。
『嘘つきパラドクス』の一節。 (実際はパラドクスではない)
誰かが「自分は嘘をついている」という。さて、それは本当のことを言っているのか、そもそも、それが嘘なのか?
“嘘つき“といえば有名なナゾナゾもある。
旅人のあなたは分かれ道にやってきた。 片方は正直村に、もう片方は嘘つき村へと続いている。正直村の住人は必ず正直な答えを言うが、嘘つき村の住人は必ず嘘の答えを言う。旅人は正直村に行きたいのだが、どちらの道が正しいのかを知らない。 そこに村人がやってきた。この村人はどちらの住人かはわからない。
旅人はこの村人に一回だけ質問をすることができる。はたしてその一度の質問で旅人は正直村に行く道を知ることができるだろうか?
答えは――――――― 。
もうけっこう長いつきあいになる小説家の友人(女性)がいる。世の中に”小説家”というものを生業にしている人が、いったい何人くらいいるのかは知らないが、たぶん珍しい部類にはいる友人なのだろうと思う。
まだ彼女が小説家ではなかった頃、もとは月読のお客様だったのだけど、彼女とは妙にウマがあったのだ。
理由はわかっている。僕が会話というキャッチボールを誰かとするとき、ときどき野球のボールではなく、何か変わったボールを投げてしまい、相手を不快にさせたり、もしくは退屈させたりしてしまうみたいで、でもその友人は僕と同じ種類のボールを投げるのが好きで、グローブも僕よりずっと大きなものを持っていたからだ。まあ俗にいう“メンドクサイ会話”が二人とも好きなのだ。
それで“店と客”だけではなく、たまにお互いの夫婦を家に招いて食事をしたりするようになった。
作家になってから、彼女は律儀にも新刊が出るたびに月読に届けてくれていて、たまに作品の中に月読の風景をそっと登場させてくれたりもしている。(もちろん屋号は出ていない)それは店の窓から見える電柱だったりするのだけれど、もしかしたら僕の思いすごしも多分にあるのかもしれない。
あるときはこんなこともあった。
「マスター、今度の本にこの前、マスターが言ってたセリフを使わせてもらいました」と。
この前っていつだ…? いったい僕はどんなことを彼女に言ったのか? 訊いたけど教えてはくれなくて、「探してみてください」という。
ハラハラしながらそのセリフを探したが、さっぱり覚えていないので結局わからないままだ。
そんなことが色々ありつつ、昨年末、彼女が新刊をもってきてくれた。それは何人もの小説家の作品が載っている月刊誌だった。
「今回はエッセイで短いですけどね。あと、少しだけ月読のことを書かせてもらいました。事後報告でごめんなさい」と彼女がいう。
内容は彼女の自伝的なもので、月読が載っているとはいっても、読者にわかるほどのこともなく、ほとんど”通行人A”みたいな感じで、わざわざ断りを入れなければならないようなものではなかった。それどころか作品に少しでも使ってもらえるのはありがたいことだと思う。
その時間、お客様は彼女しかいなかったので、僕はカウンターの中で立ったまま、その月刊誌をパラパラと流し読みをした。月読がどんな風に登場しているのかを知りたかったからだ。本題である彼女の自伝的な部分は、読まなくても”もう知っていること”だった。たった2ページに凝縮された半生は、今まで彼女と話した時間に比べるとずいぶんと短い。
さっと読み流し、彼女のほうを見ると、「“ここ”(私の目の前)で読まないで下さい」と珍しく照れくさそうな顔をした。それが“小説“であるときはそんな表情はけっして見せないのだろうけど、自分自身について書いたエッセイは、はやり彼女でも―――つまりプロの作家でも恥ずかしいものなのだろうか?
僕がそう思ったのを感じ取ったのかどうかわからないが、すぐそのあとで彼女が付け加えるみたいにこういった。
「作家は嘘つきですから」
もともと彼女の瞳は猫のようだと思っていた――――が、少し光った気がした。
嘘つきですから
嘘つきですから
嘘つきですから…
僕の頭の中で、そのセリフが繰り返し繰り返し、妙に印象に残った。
エッセイに書かれていた内容は、今までに彼女の口から聞いて知っていたものと相違はなかった。嘘ではない。
では、いったいなにが嘘なのだろう。
「嘘つきですから」 ――― 嘘つきの嘘は真実か?
「嘘つきですから」 ――― 正直村に行くにはどちら?
僕はナゾナゾの答え、正直村への行き方を知っている。だけど彼女のいった“嘘“について辿り着く方法を知らない。でもそれでいいのだ。
たぶん「バーテンダーも作家に負けず劣らず、かなりの嘘つきなのだから」。
ところで、意外なことにカクテルの名前に“嘘つき”(ライアー)とか“正直”(オネスティー)とかいうネーミングのものはない。個人の店などで創作されたものはあるかも知れないけど、スタンダードカクテルにはない…ありそうなのにね。
だからなにかのカクテルを“嘘”にこじつけて紹介しようかとも思ったけれど、やっぱりやめておくことにした。
だって僕は正直村の住人だから ――― さて、このウソ…
クレタ人である預言者がいいました。
「クレタ人はいつも嘘をつく悪い獣だ・・・」と。
『嘘つきパラドクス』の一節。 (実際はパラドクスではない)
誰かが「自分は嘘をついている」という。さて、それは本当のことを言っているのか、そもそも、それが嘘なのか?
“嘘つき“といえば有名なナゾナゾもある。
旅人のあなたは分かれ道にやってきた。 片方は正直村に、もう片方は嘘つき村へと続いている。正直村の住人は必ず正直な答えを言うが、嘘つき村の住人は必ず嘘の答えを言う。旅人は正直村に行きたいのだが、どちらの道が正しいのかを知らない。 そこに村人がやってきた。この村人はどちらの住人かはわからない。
旅人はこの村人に一回だけ質問をすることができる。はたしてその一度の質問で旅人は正直村に行く道を知ることができるだろうか?
答えは――――――― 。
もうけっこう長いつきあいになる小説家の友人(女性)がいる。世の中に”小説家”というものを生業にしている人が、いったい何人くらいいるのかは知らないが、たぶん珍しい部類にはいる友人なのだろうと思う。
まだ彼女が小説家ではなかった頃、もとは月読のお客様だったのだけど、彼女とは妙にウマがあったのだ。
理由はわかっている。僕が会話というキャッチボールを誰かとするとき、ときどき野球のボールではなく、何か変わったボールを投げてしまい、相手を不快にさせたり、もしくは退屈させたりしてしまうみたいで、でもその友人は僕と同じ種類のボールを投げるのが好きで、グローブも僕よりずっと大きなものを持っていたからだ。まあ俗にいう“メンドクサイ会話”が二人とも好きなのだ。
それで“店と客”だけではなく、たまにお互いの夫婦を家に招いて食事をしたりするようになった。
作家になってから、彼女は律儀にも新刊が出るたびに月読に届けてくれていて、たまに作品の中に月読の風景をそっと登場させてくれたりもしている。(もちろん屋号は出ていない)それは店の窓から見える電柱だったりするのだけれど、もしかしたら僕の思いすごしも多分にあるのかもしれない。
あるときはこんなこともあった。
「マスター、今度の本にこの前、マスターが言ってたセリフを使わせてもらいました」と。
この前っていつだ…? いったい僕はどんなことを彼女に言ったのか? 訊いたけど教えてはくれなくて、「探してみてください」という。
ハラハラしながらそのセリフを探したが、さっぱり覚えていないので結局わからないままだ。
そんなことが色々ありつつ、昨年末、彼女が新刊をもってきてくれた。それは何人もの小説家の作品が載っている月刊誌だった。
「今回はエッセイで短いですけどね。あと、少しだけ月読のことを書かせてもらいました。事後報告でごめんなさい」と彼女がいう。
内容は彼女の自伝的なもので、月読が載っているとはいっても、読者にわかるほどのこともなく、ほとんど”通行人A”みたいな感じで、わざわざ断りを入れなければならないようなものではなかった。それどころか作品に少しでも使ってもらえるのはありがたいことだと思う。
その時間、お客様は彼女しかいなかったので、僕はカウンターの中で立ったまま、その月刊誌をパラパラと流し読みをした。月読がどんな風に登場しているのかを知りたかったからだ。本題である彼女の自伝的な部分は、読まなくても”もう知っていること”だった。たった2ページに凝縮された半生は、今まで彼女と話した時間に比べるとずいぶんと短い。
さっと読み流し、彼女のほうを見ると、「“ここ”(私の目の前)で読まないで下さい」と珍しく照れくさそうな顔をした。それが“小説“であるときはそんな表情はけっして見せないのだろうけど、自分自身について書いたエッセイは、はやり彼女でも―――つまりプロの作家でも恥ずかしいものなのだろうか?
僕がそう思ったのを感じ取ったのかどうかわからないが、すぐそのあとで彼女が付け加えるみたいにこういった。
「作家は嘘つきですから」
もともと彼女の瞳は猫のようだと思っていた――――が、少し光った気がした。
嘘つきですから
嘘つきですから
嘘つきですから…
僕の頭の中で、そのセリフが繰り返し繰り返し、妙に印象に残った。
エッセイに書かれていた内容は、今までに彼女の口から聞いて知っていたものと相違はなかった。嘘ではない。
では、いったいなにが嘘なのだろう。
「嘘つきですから」 ――― 嘘つきの嘘は真実か?
「嘘つきですから」 ――― 正直村に行くにはどちら?
僕はナゾナゾの答え、正直村への行き方を知っている。だけど彼女のいった“嘘“について辿り着く方法を知らない。でもそれでいいのだ。
たぶん「バーテンダーも作家に負けず劣らず、かなりの嘘つきなのだから」。
ところで、意外なことにカクテルの名前に“嘘つき”(ライアー)とか“正直”(オネスティー)とかいうネーミングのものはない。個人の店などで創作されたものはあるかも知れないけど、スタンダードカクテルにはない…ありそうなのにね。
だからなにかのカクテルを“嘘”にこじつけて紹介しようかとも思ったけれど、やっぱりやめておくことにした。
だって僕は正直村の住人だから ――― さて、このウソ…
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