『夜の帳』というコトバが昔から好きで、なぜ好きかというと、そこに意味などなく、ただ単に”好き”なのだ。
よく『月読』という屋号はどうして名付けたのですか? という質問をお客様や雑誌の取材時にいただく。
便せん上、「夜のカミサマである月読命にあやかって(バーだから)、ご利益がありますことを願って」と答えるのだけれど、本当は名付けた意味なんてなく、ただコトバの響きが好きだっただけなのだ。
それと同じように『夜の帳』というコトバの響きに強く惹かれてしまう。
毎年、春になると店の窓一面に桜の花を見ることができる。もちろん桜の花は好きなのだけど、桜の花が咲くとき、この窓から見える景色の中でいちばんに好きなのは、じつは花ではない。
日没時、薄紅色の花がそこにあることによって、夜の帳が降りてくる様がはっきりと見てとることができて、それがこよなく好きなのだ。
やわらかい春の光に包まれた景色に、夜の帳が降りてくる。誰もが言うように、やはり夜の帳の色は青なのだ。
逢魔が時。一瞬、どこかに連れていかれそうになる、妖しい青。