”川辺を散歩する”…いい響きだ。
”よく晴れた秋の日に川辺を散歩する”…さらにいい響きだ。
言葉のどこかに”ちゃんとした生活を送っています”という意味が内包されている気がする。
今週の休日、ちゃんとした生活を送っていない代名詞みたいな職業のバーテンダーが、よく晴れた秋の日の午後に川辺を散歩した。いちばんの目的は知人が営むギャラリーの二人展を見にいくことだったのだけど、それ以外にたまにはそういった”ちゃんとした生活”的なことをしてみたかったのだと思う。
家から北大路通りを東に向かい、鴨川にかかる橋まできて川沿いを南に行く。次の出雲路橋までは数百メートル。そこからさらに東に向かって徒歩5分くらいのところに目指すギャラリーがある。
最初は鴨川の左岸を川の流れに合わせて南に歩いた。左岸、右岸ともにどちらでも土手沿いを歩くことができるのだけど、たまたま信号の都合で左岸を歩くことになった。
”鴨川の左岸を歩く”…かなりいい響きだ。まるでボルトーのジロンド川流域でカベルネ・ソーヴィニヨンの葡萄畑を眺めながら散歩しているようじゃないか⁉︎ フランス…もちろん行ったことなんてないけれども。
目的のギャラリーに辿り着き、コーヒーをご馳走になり、ひとしきり昔話をした後(もちろん作品はじっくり見た)、復路に向かう。やはり帰り道は逆の”右岸”を歩きたかったので、今度は信号機に選択権を与えることはしなかった。”自分で選択したことはすべて正しい”。これは今までも、そしてこれからもずっと普遍的な真理だ。
だいぶんと西に傾いた太陽の光ではあるけれど、右岸は左岸より日当たりがよく心地よい。草むらでは秋の虫が寂しげに鳴いていて、どこからか学校の終業のチャイムも聞こえてくる。その音は放課後の気怠い気分を思い起こさせ、そしてそれがいったい何年前の出来事だったのかを考えたのだけど、あまりに遠くて途中で辿るのを諦めた。そこはもう散歩では辿り着けない距離にあった。
なんだか無性にビールが飲みたくなったのだけど、平日の昼間、それも夏ではなく晩秋に鴨川の岸辺でビールを飲んでいる人は見かけなかった。たぶんジロンド川でもいないと思う。それに学校のチャイムが聞こえるようなところでビールなんか飲んでると”補導”されるかもしれない。どうせ補導されるなら飲酒よりは不純異性交遊がいい、断然に。
そういうわけでビールを諦めしばらく歩いたら、今度は豆腐売りの車から追い討ちをかけるように哀しいラッパの鳴る音が聞こえてきた。
♩ぱーふー、ぱふぱふー♪
夕刻にこれに勝るBGMが世界に存在するだろうか?
秋の日の鴨川右岸は人をセンチメンタルにさせる。もしかしたらメルローの香りがそうさせるのかもしれない。
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