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2015年6月4日木曜日

ステキな恋の別れ方

小説に出てくる男女の別れのシーン(会話や台詞について)で、特に印象深いものが2つある。

ひとつは作者もタイトルも覚えてはいない。話の内容もイマイチだった気がする。なのにそのシーンだけは覚えているのだから、やはり”よほど気に入った”のだと思う。

たしか大学生くらいの青年が一時、何だったかの店でアルバイトをする。そこには彼よりかなり歳上で物静かなお姉さんが若くして(店を商うにしては)店主をしていた。

二人はお互いに彼氏彼女がいる身であり、なんだかんだありながらラストで青年はアルバイトを辞めて店を出ていく。

この間、二人はプラトニックな関係であり、自分の意思表示は一切、相手に分かるようには現してはいなかった。

別れ際、青年が彼女を見て「さよなら。僕はたぶん、少しだけ貴女の事が好きでした…」という。
彼女はそれを聞いてまっすぐに青年を見つめ返して「さようなら…わたしもきっと少しだけ、貴方の事が好きだったわ」と応える。

これだけなんだけど、この”たぶん、きっと…少しだけ”あなたが、という微妙な機微がとても甘痛い感じで良かったんだなあ。

もうひとつはチャンドラーの長いお別れでマーロウが最後に呟く「サヨナラを言うことは少しの間、死ぬことだ」かな。

この小説も話の内容やプロットよりも会話や台詞が断然優れている類だったけれど…
高校生の時にコレ読んで「カッチョイー! 自分もいつか別れ話のあと、この台詞を言ってみよー」と思ったものだった。

あれから数十年、人生とはままならないものだと身に染みている。サヨナラを”言われて”死ぬ事多数。未だ”言って”死んだことはない…



カクテル ダスヴィダーニャ
(ロシア語でサヨナラの意)

ウオッカとグレープフルーツ、少しのライムとアクセントにサクランボのリキュールを。
ほんのりサクランボの香りが今の季節とマッチングして、飲むには旬も感じることが出来ます。

時間が経てば甘く美味しく思える…そんなサヨナラ、いいですね。

2015年5月8日金曜日

ゴールデンウイーク後

今年もゴールデンウイーク後、悪魔が通り過ぎる暇暇ウイークがやって来た…

さっさと店を切り上げて、夜中に夜食の焼うどんを作る。

この世の中には最高級に美味しいものが3つある‼︎

ひとつは『人が働いている時に飲むビール』

もうひとつは『真夜中の炭水化物』だ‼︎



え?! 3つめ?

もちろん、それは奥さんが作った手料理さ‼︎ w



2015年3月16日月曜日

臨時休業のお知らせ

明日、3月16日(月)は丹後半島にある久美浜までお墓参りに早朝から出かけるので、今夜の月読の営業は日曜閉店時間の定時である24時にきっかり終わらせていただきます。
(通常のように延長営業はいたしませんので御了承下さい)

あと、18日の水曜日は臨時休業させて頂きます。ご迷惑をおかけ致しますが宜しくお願い致します。

*―――――――*ーーーーーーーー*
久美浜は父方の田舎です。子供の頃は毎年夏休みに2週間くらいそこに滞在し、一日中、海で遊んで過ごしていました。

父が癌で亡くなってからもう数年、祖父母も既に鬼籍に入っているので久美浜にはお墓参りに行くだけです。バイパスが通ったりで時間は少しばかり短縮されたのですが、気持ちの距離は単純に時間では計れませんね。

昨日の夜、仕事から帰ってある曲をYouTubeで探していたら、たまたま下記の曲にたどり着きました。
ちょっとした物語風のプロモーションビデオになっているのですが、その中に一瞬だけ僕の中にある”記憶の画像”と瓜二つだったので不覚にも泣いてしまいました。

最近は映画観ても小説読んでも泣くことは無かったのですけどね。(元々、涙腺は弱くはあるのですが…)

https://youtu.be/ia1HWtcQLwQ






2015年3月7日土曜日

さーみしかった、ぼーくの部屋に・・・

不思議な事があった。

何日か前から、家の脱衣所の出窓に薔薇が一輪さしてある。

今日、お風呂から出た時、蒸気が脱衣所に漏れて部屋全体が、もぁーとなった。これはまあよくある事だ。というか常にそうなる。

問題はその後。

蒸気がひいて窓を見たら、丁度、薔薇と対象な形で窓に蒸気で書かれたような薔薇の模様が浮き出ていた。



むう。

気のせいか?


フランス土産

仕事でおフランスに行っていた、酒癖は超悪いけど踊りは上手い上七軒の芸妓さんから、ディジョンの壺入フレッシュマスタードとマスタードの殻をまぶしたチーズをお土産に貰った。



マスタードにはシャブリが混ぜてあるという事なので、これは是非ともシャブリに合わせねばなるまいと思い、買いに行った。



悪い癖で、お金はないくせに酒だけはいいものを買ってしまおうとする。(他ではまったく贅沢はしない清貧である)…が、ホントにない時はどうしようもない。



思わずグランクリュに伸びそうなった手をぐっと引っ込めて、今回はお手頃なプルミエに思いとどまる。作り手や畑など情報が書かれているポップには目もくれず、ビンテージだけを見て2008年を選んだ。結婚した年。ワインは熟成するが、果たして自分達はどうだろうか?

7年の歳月を振り返ってみるが、自分では分かりようもない。特別に大きな上昇もなく、かといって何かしら嫌な事があった訳でもなく…まあ腐ってなければ良しとしようか。
結婚記念日でもないのに、何故、こんな事を思うかというと、多分、確定申告を作成中だからだろう。なんでもかんでも”総決算”モードだ。

相方は今日から例によって宮崎出張なので、昨日夜中に月読の営業が終わってから、ポトフを作って(相方作)、マスタードとチーズをシャブリと合わせて食べた。



フレッシュのマスタードってこんなにアッサリしてるものだと初めて知って、夜中にばかばか食べたら今朝から胃が重く、後悔継続中。



(結婚)伴侶とマスタードは似ているかも知れない。
横に軽く添えると全体が豊かになるが、付けすぎると辛いだけだ………なんちって。



2015年2月25日水曜日

こーひーるんば

僕は珈琲というものが特に好きでもなく、かといって嫌いでもなく、まあ、あれば嬉しいけど無くても構わないといった感じで生活している。だだし朝、珈琲の香りが部屋に漂っているとなんとなく幸せな気分になるのでそれは好きなのだけど。

珈琲といえば喫茶店だが、これは”どっちでもいい”という珈琲の価値観よりはもう少し明確で、”苦手”である。いや、雰囲気とか場合によってはその内装とか、そこに流れる時間は好きなのだけど、すぐに飲み干してしまうんだな、珈琲を。(まあそれが紅茶でもジュースでも)


つまるところ、それから時間を持て余す。そのまま小一時間以上、ぼんやりと過ごす人もいるのだけど、いや寧ろそっちが多数派か…僕にはそれが出来ない。故に途中で”大人の飲み物、例えば麦のジュースとかに移行したい衝動に駆られる。


もしかしたら職業病の一種かもしれないけど、グラスが空いたまま長く過ごすと店に悪い気がして、すぐにお代わりを注文する。一時間いれば珈琲、紅茶を三杯は飲むことになり、店を出る頃にはお腹がちゃぷちゃぷになる。更に店が混んでると”早く出て席を空けてあげないと”と思うし、ドアが開いてお客さんが入って来るたびに身体が反応してその方角に意識が行き、たまに「いらっしゃいませ」と言いそうになる。

そんな訳で喫茶店で過ごす時間は実に神経をすり減らし、それが”カフェ”と呼ばれるものになると更に”こんなお洒落なところに野暮ったい自分が居てもいいのだろうか? 浮いてないか?”という不安がプラスされて苦手度は喫茶店の倍となる。そして自然に生活から珈琲はどんどん縁遠くなっていくのだ。


あとよく、「この人(この店)の淹れる珈琲は美味しいよ」と連れていってもらうことがままあるのだけれど、確かに”なんとなく美味しいな”とは思う。でも珈琲の数を飲んでいないので、それが”この人が淹れたから美味しい”のか(技術)、”このコーヒー豆の味や香りが自分に合っている”のか(品質)よくわからない。嗜好品を理解するには経験値が重要なのだ。



さて普段、自分で珈琲を淹れることはまずないのだけれど昨日今日と珍しく自分で珈琲を淹れて飲んでいる。

別に、夕べアラブの偉いお坊さんに出会った訳ではない。

実は先日、あるきっかけで珈琲を飲むことがあって、それがとても美味しく感じた。多分、過去最高に。なんとそれは”自分で淹れた珈琲”だった。

これはどういう事かといえば、もしかしたら僕は努力なしに珈琲を淹れる天才か?!
…の可能性はまず無くて、きっと豆の特徴が自分の嗜好によく合ったのだと思う。

その特徴というのが飲んだ時に珈琲独特の味がせずに、飲み干してから上がってくる香りがいくつもの果実のニュアンスで、それは実に上質なシングルモルトウイスキーの特質と似ていた。

その珈琲豆は一回分しかなかったので、もう一度確かめるべく以前に買った近所の珈琲ショップに行き、昨日もう一度試してみた。

ところが何か違う。飲み干した後から上がってくるフルーツフレイバーは確かに同じ種類のものだ。でもこの前のはもっと果実味が強かったし、何より口に入れた時の”珈琲の味”が強すぎる。でも豆は確かにこの種類であり、買った店も同じなのだ。

謎―――ではない。

簡単なことだった。最初に淹れた珈琲は一年前に友人が家に泊まりに来たとき、その珈琲好きな友人のために買ったもので、そのときの残り(豆を挽いたもの)を冷凍庫に入れっぱなしだったもの。新鮮な珈琲の香りは消え去り、最も強い果実の特徴的な香りだけが残っていた、珈琲党からすればそれは”劣化した”珈琲に違いない。

間違ってるな。
珈琲音痴であるからこその美食感だ。

でもそこにモルトウイスキーと同じ匂いを得たのは収穫で、今、どうにか一年ほど冷凍庫で挽いた豆を”熟成”(劣化だW)させた香りを再現できる淹れ方はないものかと、たぶん珈琲好きの人間が聞いたら張り倒されるような邪悪な研究を開始し、今朝も自分で珈琲をコポコポ淹れたのであった。

一応、補足として。

タバコやお酒も最初から美味しく味わえる人は稀で、数を重ねるうちにその本質的な味を理解できるようになるのが多くの嗜好品の特徴であるので、僕ももう少し珈琲を飲み続ければ、この”珈琲具合”wと”果実香”のバランスがもっといい場所で取れてくると思うのだけど、果たしていつになるだろうか? 邪悪な研究が完成するより先にそうなってくれることを願う。









2015年2月10日火曜日

ぷちぷちはお好き?

よくBarに行くとお酒とともに小皿に盛られたピーナツとかチョコレート、ドライフルーツなどが出されますね。

いわゆるチャームというやつです。

このチャーム、お客様によっては様々で、すぐに全部を食べ切る人、必ず少し残す人、まったく手をつけない人などなど…

意外に思われるかも知れませんが、まったく手をつけない人は結構いらっしゃいます。

飲むのに専念したいのでしょうね。

お腹が膨らむと酒が美味しくなくなるという方も多いですし、食べ物の味で酒の味が分からなくなるという方もいらっしゃいます。



ところが最近、面白いことを発見しました。

”殻付”のアーモンドとか、ピーナツをチャームにお出しすると、普段は食べない人もポリポリと皮を剥いて食べ始めるのです。

最初はなんとなく殻付のチャームはあまり残らないなあと思っていただけなのですが、どうも偶然では済まないくらいに普段、まったく手をつけない人もきまって殻をポリポリと剥くのです。

それで考えました。

荷物を包装するときに対ショックのために保護する、”ぷちぷち”といわれているビニールのもの、ありますよね?


あれって、本来の目的とは違って、指でぷちぷちと潰して音を立てて遊ぶの、誰もが一度はやったことあるでしょうけど、一旦やり出したら止まりません。

殻付のチャームに手をつける人が多いのはあれと似ているからではないでしょうか?

つまり、人間は指先を使うのが好きなんですね。それゆえに大脳が発達して人類は進歩してきたんだと、場末のBarの片隅でそんなことを考えてみたりして…

殻付チャームに手を出すか、出さないか。
それであなたの大脳の発達具合が分かるかも?