今年5月中頃、Bar月読の営業中に宅急便が届いた。
たまに通販で酒を注文することがあるだけれど今回その覚えはない。ただ配達員の人が抱えてきた荷物はボトル一本くらいの大きさに相違なく、差出人の名前を見る前から少しばかりの予感はしていた。
受け取りのサインを済ませ、差出人の名前を見る…が、名前はなく、恐らくは酒であるだろうと思われるその小包を送った東京の某酒販会社の名前が書かれている。
この会社ということは、やっぱり…
さらに遡ること5月3日(金曜日)
月読のご近所で料理屋を営んでいる友人より営業中に電話がかかる。
こちらに二人組みのお客様を紹介していただけるらしい。
ただ、ちょっと心配だったのはその内の一人がウイスキーのボトラーズブランドのマネージング・ディレクターだということ。それでもって、「ウイスキーが飲める(食後酒として)バーはこの辺にあるか?」ということらしいのです。
ちょっとだけ『ボトラーズブランド』の説明をしますと、シングルモルト・スコッチウイスキーの蒸留所は自分の所で造ったウイスキーにはその銘柄に蒸留所の名前をつけます。例えばマッカラン蒸留所で造られて瓶詰めされたウイスキーは『マッカラン』という名前のシングルモルトウイスキーとして売られます。グレンリベット蒸留所のウイスキーは『グレンリベット』というウイスキー名です。(稀に例外あり)
これらの蒸留所が自分で造り、自分で熟成させ、自分で瓶詰めしたものをシングルモルトの世界では『オフィシャル』とか『オフィシャルもの』という風にいいます。
ところが『ボトラーズ・ブランド』というのは蒸留所を持たず、例えばマッカラン蒸留所から出来上がったウイスキーを買い付けてきて、独自の樽や熟成方法で仕上げて瓶詰め、販売する業者の総称です。
もし僕が『月読ボトラーズ』という会社を立ち上げて、グレンリベット蒸留所から樽を買ってきたとしましょう。でもそのままではオフィシャルと同じなので売れません。何故なら消費者だって中身が”同じもの”ならそれを造った本家の蒸留所のものが良いというのが心情でしょう?(値段の違いはさておき)
そこでボトラーズは工夫する訳です。オフィシャルが使っていない樽で風味付けをするとか、原酒のまま加水せずに売るとか、あとは着色しない(オフィシャルのものは殆ど着色されます)、オリを取るために普通はフィルターをかけるのですが、それをせずに原酒そのままの味を出す…といったように。
そうして例えば『月読ボトラーズ グレンリベット 15年 大吟醸カスク 無着色 ノンチルフィルター』というような銘柄が完成し、オフィシャルの味を既に経験したファンの興味をひくのですね。
こういった訳でシングルモルトの世界ではオフィシャルのものよりも、ボトラーズものの方がよりマニアックな世界を形成するのも事実なのです。
さて、話は戻ります。
ボトラーズのマネージング・ディレクターが観光の道すがらとはいえ、来店されるのは一大事です。月読の品揃えにそれがあるといいのですが、もしないと――――。
果たして、それは危惧した通りなかったのです…
その人は最初、少しがっかりしたような表情を見せましたが、気を取り直して「関西には少ないケド、東京にはとても沢山取り扱ってくれている大きな酒屋があるんだよ」と言っていました。
そしてかなり長い時間、いろいろ話をさせてもらっている中で(もう一人のお連れの方に通訳をしてもらいながら)、「あなたの会社はどんな蒸留所の原酒を扱っているのですか?」と僕の質問に対し、「いや、蒸留所(元の酒)は問題ではない、大事なのはどんな樽を使って仕上げるかだ!!」と一点張りの答え。
ん―――、ボトラーズブランドの方だからそういう答えになるのは判らなくないけど、消費者にとってみたら、幾つかある商品の中から使われてる樽と原酒(蒸留所)の味をヒントにその味を想像して選ぶのに、蒸留所がわからなければ選べないじゃないか?…と思っても言えない。いや、言いたかったのだけれど語学力のなさと、通訳をしてくれているお連れの方に少し疲れが見えていたので遠慮しました。
その他にも幾つかボトラーズの樽についての質問をした(通訳してもらった)のですが、元来、日常英会話もままならないのにこちらの真意がちゃんと伝わっているのかどうかは不明です。
それでも、お連れの方が言うにはこんなに彼がBarでお酒の話や自分の会社のことを饒舌に話すのは見たことがないということなので、まあ半分くらいしか通じてなくても、愉快に過ごして頂いているのなら良かった、と一安心。
さて、彼は月読に来る前にもうすでに日本酒を何杯か飲んでいて、ここに着てからはアイリッシュ・ウイスキーを飲んでいました。このアイリッシュの銘柄と彼の名前がリンクするからだというのが理由だったけれど、おそらくは自社ブランドのボトルがなかったので、敢えてスコッチを避けてのことだったと思われます…(ゴメンナサイ)
そしてその1杯目のグラスが空になって次の注文をするとき、彼はとても不思議なことを訪ねてきました。
僕の立っている後ろには棚があって、売り物のボトルが並んでいます。そのうちの1本を指さして「そのウイスキーはピーティーかい?」(個性的な強い香がするかい?という意味です)と。
彼が指さしたボトルはオフィシャルブランドの『カリラ12年』でした。
何が不思議か、というとこのカリラというモルトは数あるウイスキーの中でもかなりの個性派で強くクセのある香りがすることで有名です。しかも数多く市場に出回っているので珍しいものでは決してないのです。
つまりその道の専門家にとってカリラがピーティーであることは明白で、日本人が納豆の臭いを(敢えて“匂い”とは書かない(笑))知っているのと同じくらい当たり前の事実なのです。
さあ、ここでこの意表を突いた質問に僕は頭をフル回転させてその真意を考えます。たぶん1,2秒の間に目まぐるしく。
まずもう少し時間を稼ぐ。
「えっ? …これ(カリラ)のことですか? 隣のものではなくて…」
「そうだ。そのボトルだよ」と彼が言う。
僕は光速で考える…
えっ、えっ? 何だ? 彼がカリラを知らない筈ないやろ…
何か意味があるはず…
日本人のバーテンダーはカリラを知らんと思ってるのか?
いや、違う。“僕が”カリラを理解しているか確かめてるのか?
いや…まあ、それは有りうるか…
でもしかし、自分の店の棚にあって売り物にしているボトルの味を知らん訳ないやろ?
…
と、こんな考えを頭の中で瞬時に巡らせながら…
あっ、と閃く。
解った!! 危ない、危ない…
僕はカリラのボトルを棚から取り出し、
「ええ、もちろんカリラはとてもピーティーですよ」と答える。
ただし、グラスに注ぐ時はそのボトル、中身があと2杯分くらいしか残っていないカリラを棚に戻し、奥のストックから新しいボトルのカリラを手にして、少し笑いながら彼の顔を見る。
彼はその新しいボトルを見て「フフン!」と鼻を鳴らしたように思う。
ようするに彼は棚にあった残り少ない量のカリラを見て(ボトルの中に空気の割合が多くなったウイスキーは劣化が早く、早く飲みきらないと、どんどん香りが弱くなってゆくのです。とくにカリラのような個性的でクセのあるものはその傾向が顕著)、「そのボトルは大丈夫か? 残り少ないまま、長く時間が経ってないか? 本当にまだピーティーなままかい? もし君がピーティーだと答えて、飲んでみて香りが抜けていたら失格だよ」ということだったと思われるのです。
…あくまでも想像ですけどね。
そんなこんなでカリラを彼に注ぎ、暫く時間が経ってから、また彼が僕に質問をしてきました。
「君のいちばん最初にインパクトを受けたシングルモルトの銘柄はなんだい?」
(通訳してもらって答える)
「僕が初めてウイスキーを飲んだ頃はまだシングルモルトは日本では珍しく、殆ど見かけなかった。だからバランタイン(ブレンデッド・ウイスキー)とかになるのかなぁ…?」
後から考えると、この時、僕は彼の質問の意図を正しく理解していなかったのだろうと思われます。
彼は少し困ったような顔をしたように見えた。
(この時、すでに彼は自社ブランドのシングルモルト・ウイスキーをプレゼントしてくれるつもりでいて、僕の好きな蒸留所のウイスキーを知りたかったのでしょう)
僕が的確な答えを言えないままだったので、彼はボトルが並んでいる棚からヒントを自分で探そうと考え体勢を変えた時、肘がカリラのグラスに当たって溢れてしまいました。
そこで僕は新しいグラスを彼の前に用意して、カリラの代わりにアランのマネージャーズ・チョイスというシングルモルトを注ぎました。
「これは溢れたカリラの代わりで店のサービスですよ。ああ、このアラン・マネージャーズ・チョイス(普及品のアランではなく、限定品の特別仕様のアラン)は一番最初に感動したものではないけど、ここ数年内では別格に美味しいと思ったモルトですね…」
これを聞いたとき、彼は子供のようにいたずらっぽい笑顔をしながら、なにやら隣のお連れの方とヒソヒソ話。時折、チラッとこっちを見てはまたヒソヒソ。
―――――そして時間が過ぎ、お会計。
「あなたの会社のボトルがなくて申し訳なかったです。ここをあなた達に紹介してくれた料理屋の主人は僕の友達なので、気を利かしてここを勧めてくれたのですが、近くに大きな規模の有名なバーが他に幾つかあるので、そこに行っていたならきっとあなたのブランド・ボトルが置いてあったに違いないのですが…」
僕がこう言うと彼はこう返しました。
「それは違う。この店は小さいかもしれないけれど、私のカンパニーも小さいのだ。小さいからこそ、創意工夫があり、大手にはない楽しみがあるのだよ。事実、私はここに来てとても楽しかった」と。
さて、後日―――――。
彼から贈られてきた包を開けると小さなメッセージカードと共に、『ロックランザ』というシングルモルトが1本。もちろん彼のボトラーズ・ブランドの品です。
営業中でお客様が居たのにも関わらず、思わず声をだして笑いそうになりました。
何故ならメッセージカードには走り書きで「サンクス」の意しか書かれてはいなかったのですが、贈られてきたボトルそのものにメッセージがあったからです。
「君にこのボトルの意味が解るかい?」と。
シングルモルトは樽に入れて長い年月を寝かします。
稀にその間、蒸留所の実質は同じままでも、名前が変わることがあるのです。前記で説明したとおり、シングルモルトは蒸留所の名前と同じですから、蒸留所の名前が変わるとそのモルトの名前も変わります。
――――― ロックランザ。
それは十数年前の蒸留所の名前です。
現在、その蒸留所の名は――――― 『アラン』
「Yes! 君のお気に入りの蒸留所だよ」
彼のいたずらっぽい顔が見えた気がした。