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2016年7月1日金曜日

バックバーの風景

バーテンダーが初めてのバーに行くと、ほとんどの場合その店のバーテンダーに”同業者”であることがバレてしまう。

…バックバーという言葉を知っているだろうか? バーでカウンターに座るとそこから見える向い側の壁(の棚)にウイスキーなど、多種多様な酒がこれでもか!ってくらいに並んでいる光景、あれがバックバー。

同業者の場合、ドアを開けて入ってくると、まず店全体を眺める。でもそれは一瞬だけで、そのあと視線はずっとバックバーに注視されたままになる。カウンターに座るために椅子を手前に引くときも、腰掛けるときも、とりあえず何かをオーダーするときも、ずっとバックバーを見ている。仮に見ていないときがあったにせよ、意識は常にバックバーだ。この時点でだいたい80%くらいは”ご同業”と判別されてしまう。

ではそこになにを見てるのか?

「あの酒がある!」

「あんな酒も置いてある!」

「おおっ、あんな高級酒が…」

「むうっ、あの酒は見たことないぞ‼︎」

…とか、まあ、そんな感じだろうか。

でもいちはん観るのは全体を通したその人(店)のセンスだと思う。よほど大きな店ならともかく、一般的にバックバーのスペースは限られていて、置ける酒の本数も決まっている。そこにどういった意思やある種の哲学を踏まえて酒をセレクトしているのか?…ということを、たぶんみんな見てるんだと思う。

このとき、たとえば自分が欲しかったのに、どうしても手に入らなかったボトルがそこに並んでいたとしても、そこに少しばかりの羨望があったとしても、それは悲喜こもごもなとても心地の良い刺激であり、自分自身は時間の流れの外にいて、柔らかな空気の中に包まれているようなとても幸せな時間なのだ。

実は昨日、初めてのバーに行った…わけではなく、京都駅の伊勢丹内にあるギャラリースペース”えき”で行われている安西水丸展に行ってきた。



僕はだいたい美術館に行くとひどく疲れてしまう。優れた作品に向き合うと(概ね絵画のことだけど)、そこから発せられるエネルギーみたいなものに正面から対峙しなければならないので、こちらもかなりのエネルギーを消費する。そしてあたりまえだけど、ことごとく打ち負かされてしまうので、出口を抜けるときはもうクタクタなのだ。

だから心身ともに良好なときにしか美術館には行かないし、ヨメに誘われても断ったり、渋々つきあって怪訝な顔をされたりして、最悪の場合は交戦状態となる。w(たぶんよほど不機嫌そうな疲れた顔をしているのだろう)

ところが昨日の安西水丸展はそうはならなかった。それがイラストレーションだったから…ではないと思う。もちろん作品にそれだけの力がなかったから、でもない。

僕にとっては滅多にないことだけど、出口のところまできて、もう一度引き返して最初から観てまわった。(小さなギャラリーを別にして、こんなことはいつ以来だろう!)

2度目の最終コーナーのあたりでさすがに歩き疲れて、設営されていたベンチに腰掛けながら、「多才な人だなあ…」とか、「なんであの作品をみて泣きそうになったんだろう?とくに好きなものではなかったのに…」とか、ぼんやりと考えていた。そしてもう一度遠回しに作品を眺めたとき気がついたんだ。

「あ、バックバーを眺めているみたいだ」







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