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2014年6月23日月曜日

臨時休業のお知らせ

6月23日(月)より25日(水)の間、沖縄ケータリングサービスのため、臨時休業させて頂きます。

ご迷惑をおかけ致しますが、よろしくご了承ください。

店主

2014年6月20日金曜日

表窓

うちの店(月読)は二階にあり、窓からは路地を見下ろせる。
日の暮れるのが遅い六月の夕方。窓の側でぼんやりとレコードを聴いていたら視界の左から二十代とおぼしきメガネをかけた会社員風の出で立ちをした青年が現れた。別に不思議ではない。この路地は人通りも交通量もけっこう多いのだ。

僕がそのよくある風景の青年に注意を向けたのは他でもない、彼が途中で立ち止まって、僕の視界の右側に向かって満面の笑みを浮かべたからだった。彼女とでも待ち合わせ? …右側にまだ人物は見えてはいない。

それにしては何か違和感があった。彼の顔には偶然出会ったような驚きがみてとれたし、うちの店の前は待ち合わせをする様な場所ではない。もしそうだとすると、彼らはうちの店か下の店に入ってくる公算が大きい。瞬時にそこまで考え、身体は自然と営業モードに入り椅子から腰を浮かす。
するとどうだろう、座っていたために死角になっていた通りの低い部分の景色が見え、同時に答えが明らかになった。

彼は彼女を見つけたのではなかった。近所の仲良くしているのであろう、小学生低学年くらいの男の子がこれまた小さな自転車に乗って、すれ違おうとしているところだった。相変わらず彼は満面の笑みを保っていたし、その男の子も彼のそばで一旦、自転車を停め、嬉しそうに顔をクシャクシャにして笑い、彼とハイタッチを交わし、やがて僕の左の視界からは男の子が、右側には青年の姿が消えて行ったのだった。

嫌な風景が目に映ることの多い中、こんな事もたまにはある。

まだ大丈夫かもしれない。

2014年6月17日火曜日

鯛2匹

月読のビールを切らしたので仕入れに行き、ゴソゴソと冷蔵庫に詰め込んでいたら、お出ましされました!
今年はこれで二本目だったかな、ラッキーエビス。(鯛が二匹います)

ワールドカップ不況になりませんよーに! 商売繁盛、よろしくお願い致します。
m(_ _)m


オーガ フミヒロ展

友人から個展のDMが届く。
その画家がうち(月読)に来たのはもう何年も前で、暇な平日の夜遅くだったと思う。まあ、うちは週末でも暇なのだから平日に特定出来る根拠は薄いのだけど。

その時、彼は手書きで別々のデザインを施した名刺をくれたので素性が絵描きなのだと分かった。いや、先に本人が名乗っていたかも知れない。

彼は見た感じ、孤独を身に纏って血を流してるようにも見えたし、ギラギラした眼の光が挑戦的であるようにも思えた。トータル的にはちょっとした男前なので「むむっ、モテんだろーな」という感想だったと思う。
今は”血を吐いても酒を呑み続けるタイプ”だな、と思っている。

そんなこんなで、彼が京都で個展のあるときはちょこちょことうちに寄ってくれている。それでも全部合わせても5回くらいかもしれない。だから本来は彼の事を”お客様”と呼ばなければならないのだが、どういう訳かウマが合って、「一度、飲みに行こう」と約束している。それ以来、彼が関西に来ていないという事もあって、その約束はまだ遂行されてはいないのだけれど、僕はもう何度か一緒に飲みに行ったような気になっていて、勝手に友達呼ばわりしている。(笑) 考えてみれば随分と失礼な話だ。



さて、肝心の彼の絵なのだけど、”絵本的”とか”寓話 童話的”という評価はもう既に定着しているようで…ただ僕はエドワード ホッパーのナイトホークスという絵が好きなのだけど、彼の絵はナイトホークスを見た時とある種、同じ様な感覚を覚える。(本人は嫌がるような気がするが…笑) それは”心地よい孤独感”と孤独だけれど決して独りで居たい訳ではなく、近くに寄ると”適度に話かけてきてくれる”といった類のものだ。

久しぶりに神戸まで行ってみようと思う。残念ながら休日には行くことが出来ないので、今度もまた”飲み”は持ち越しになるだろうけど。

で、その”お客様”の名前はオーガ フミヒロ氏。

個展は6月21日から26日まで神戸の島田ギャラリーさんで開催されます。

http://gallery-shimada.com/?page_id=1699

★もしお近くに行かれた際には覗いてみてあげて下さい。
よろしくお願いします。



2014年5月30日金曜日

氷の微笑

営業中、お客様の前で氷を割っているとよくこう聞かれる事があります。
「アイスピックで指を突いたりしませんか?」って。

そんな時は決まってこう答えています。
「アイスピックで指を突くようなことがあったら、それはもうバーテンダーを辞めるときですね。かれこれ30年弱この仕事をしてますが、今まで一度もそんなことはないですね」と。
さも当然という風にしれッとね。

… …昨日、やってしまった。
左の人差し指。

ルールの変更をお知らせします。
加齢による衰えのため、ペナルティは累積3回で退場に改正。

当たり前だけど、けっこう痛い。


2014年5月5日月曜日

出来ない相談

数日前。

普段より早めに店に入り、カウンターで氷を使いやすいサイズに割っていた。確か午後3時半頃だったと思う。

入口のシャッターは半分程閉めてあり、身体を屈めないと入れないようになっていた。2階に続く階段の電気も消してあるのでかなり暗い。見知らぬ人が入ってこれる環境ではなかったはずだった…

なのに突然ドアが開いた。

びっくりしてそこを見ると黒人の若い女性が一人で立っていた。

誰かの家と間違えて入ってきたのかと思い、僕は彼女に向かってここはBarだと言った。

すると彼女は「もう営業しているのか?」と尋ねたので、夜の6時から開店すると伝えたら「OK」とだけ言って暗い階段を降りて行った。

観光客のようだったけど女性が一人、それも異国でシャッターを掻い潜って暗い階段から密室に入ることに恐怖はなかったのだろうか?

言葉にするとそれは例えば”安全な国”というような簡単なものになってしまうけれど…







街角に貼ってあるポスターは”取り戻せ! 取り戻せ!”と意気揚々と謳っているけど、いったい何を取り戻すというのだろう。

この国が誇るべきものはもう既に手に入れているというのに。

”星の王子さま”にでてくる狐は言っていた。

「大事なものは目に見えないんだ」


”取り戻そう”  何を? ”手放そう”の間違いじゃないのか。

そう言うと今度はポスターの男に追従する者達から声が返ってくる。

「お前はここだけ安全ならそれでいいのか?!」

まるで無料で配られている薄っぺらな広告入りのティッシュペーパーだ。

ワイドショーで得た詭弁と知識はあっても想像力が欠如している。


その大義は誰が行う?

人より多くの税金を払えば椅子に座っていられるのか?

それともコントローラーのAボタンを連打したら敵を撃破出来ると思ってるのか?

件の島に油をまき散らして更に火をつけた幼稚な作家はその後どうしただろう?

あの島に住み込んで大好きな戦車に乗りながら自分自身で守っているか? 

今頃、高級な羽毛布団にくるまってイビキでもかいて寝てるだろう。

じゃあ、命を危険に晒しているのはいったい誰だ?


フィリップ マーロウは「撃ってもいいのは自分が撃たれる覚悟がある奴だけだ」という小説上の名言を遺したけれど、大義を口にするならその覚悟はあるのか?

いや、撃たれる覚悟の方じゃない。そもそも”撃つ”覚悟を持てるのか?

”引き金”を引くか引かないかは想像力にかかっている。思いやりも優しさも想像力がなければ生まれやしない。


昨日、5月4日はオードリーヘプバーンの誕生日だった。

彼女は晩年、あまり映画には出演しなくなって、かわりにユニセフでの活動を活発にしていた。

そこで彼女はこんなことを言っている。

「いつの日にか政治が人道化する日がやってくるでしょう」と。

残念ながら、日出処の國がその最初ではなさそうだ。






もしオードリーヘプバーンというキーワードでカクテルを選ぶなら、ムーンリバーからの連想でブルームーンでどうだろうか?

このカクテル、実は『出来ない相談』という隠された意味がある。実際に青い月が存在しないことや、バラの品種で同名のものがあるのだけれど、実際には青いバラにはならない事から由来する。


さて、ブルームーンをオードリーヘプバーンの誕生日プレゼントにしてもいいのだけれど、今はそれより先にこの『出来ない相談』を100杯くらい作って無理やりにでも飲ませたい人物が一人、いる。










さよならの符合

コルトレーンと言えばマイフェイバリットシングスを思い出す人は多いでしょう。レコードアルバムもマイフェイバリットシングスがタイトルになっているものがやはり有名ですね。

この曲はA面の一曲目に入っています。では2曲目が何か覚えている人はいるでしょうか?
余程のJAZZファンで無い限り覚えている人はいないのではないでしょうか。逆に言えばそれだけマイフェイバリットシングスが有名過ぎるということですが…

2曲目のタイトルはEverytime We Say Goodbyeという曲です。

実はこの曲、前から気になってたのです。
タイトル、僕たちがサヨナラをいうときはいつも…って、なんか意味深でしょ? なんとなく村上春樹のタイトルっぽくもあるし。
コルトレーンの演奏ではボーカルは入ってなくて、どちらかというと殆どソロにちかく、スローナンバーでそこはかとなく悲しい曲ですか、きっと歌詞が存在するのだろうと思っていました。


探してみました、歌詞。
以外にも想像していたのとは全然違って、どちらかと言えば可愛い内容の歌詞でした。

彼氏のいる女の子の幸せな気持ちと、会えないときの寂しさを歌ったもので.「サヨナラをいうたび、私は少し死んでしまう。神様は意地悪、彼を行かせて知らんぷり。彼といると春風が吹くようで、それは素敵なラヴソング。でも明るい歌も突然、色をなくしてしまうの、サヨナラをいうときはいつも…」と、こんな感じの内容です。

ところで、この歌詞を読んで気になったのは冒頭の部分。”サヨナラをいうとき、少し私は死んでしまう”というところ。

探偵小説ファンなら一度は読むチャンドラーの”長いお別れ”。
エンディングで主人公のフィリップマーロウが彼女との別れに際して同じようなセリフを言うのですね。
「サヨナラを言うことは少しの間、死ぬことだ」と。(清水俊二 訳)

昔、これを読んだとき、何か”少しのの間、死ぬ”っていう言い回しがピンとこなくて、チャンドラー独自の世界観かなあ、なんて思ってたのですが、ここでこの歌詞をみたとき、どうもこういった”少しの間だけ死ぬ”っていうのは西洋では慣用的に使われてるのかなあと思ったりして…
まあ、殆どどうでもいい話ですがね。

そう言えば最近、村上春樹も長いお別れを翻訳していましたが、彼はこの部分をなんと訳したのだろう?
気になるけど、長編の古典をもう一度読み返す気力も根気もないなあ…


さて、ではサヨナラの場面で相応しい酒は何か?
いろいろあるけど今回はベタでもギムレットにしときましょうか。
もう閉店時間を過ぎているのでギムレットには”遅すぎる” ですけどね。