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2012年9月20日木曜日

酒を飲みたくない日もある・・・

★最近、嫌なニュースが多いのでとくに意識してテレビをつけないうようにしている。だから今日、新聞の三面記事に小さく載ったニュースがテレビでも放送されたのかは知らない…でも。

★こんな事が起こるのではないかと嫌な予感はずっとしていた。けれど実際にこういうことが起ったことを知ると途方もなく気分が悪くなる。

★日本国内で中国人学校への放火、中華料理店への投石。まだ事件の真意は不明のようだが、おそらくは皆が思うことと一致するのだろう。起きがけにこの記事を読んで未だに気持ちが晴れない。

★すべての人がそうでないにせよ、人はどうして振り上げた拳を弱いモノにしか振り降ろせないのだろうか? 弱い者が弱いモノを叩いたところで喜ぶのは何の痛みもない高みの見物をしている強い権力者だということがどうして解らないのか? いや、その前に火をつけたり投石しようとするそのものが無関係な対象であることが何故見えないのだろう?


★太平洋戦争で為政者と軍とメディアが足並み揃えて民意を煽動、コントロールして、その結果、いちばん貧乏くじを引かされたのは誰だったのか? 過去から一体何を学んできたのだ? 忘れた、知らない、聞いてないとは言わせない。だったらまず考えろ、調べろ、尋ねろよ、と思う。そうでなければ動物以下じゃないか。

★体験したことのない過去に遡らなくてもいのかもしれない。日本には身近に手に届く素晴らしい文化がある。美術、音楽、小説、映画…それから漫画やアニメを含めたっていい。誰しもがこれらの何かに興味があって、好きで、楽しんでいるのではないか。 それらの根底にあるのは共有であったり、調和であったり、融合ではないのか? どんな戦闘もののアニメだって最終的なテーマは『争ってはいけない』ということくらい子供だって知っているぞ。

★メディアに踊らされてはいけない。新聞もテレビのニュースも正しいことを伝えるツールではない。『売れる情報』を流しているだけだ。かつて太平洋戦争前期、新聞一社だけが最後まで反戦を唱えていたという。でもある日から戦争肯定に方向転換した。何故か? 戦争反対ではその新聞がまったく売れなくなったから。メディアなんてその程度のものと思っていなければ簡単にのせられてしまう。それだけならまだしも、感情的になって弱い者、無関係な者、無抵抗な者に見境なく暴力を振るうことは見えない誰かの思うツボだ。

★今、大きく暗い力によって目の前に拳を振り降ろすべき対象が故意に据え付けられている。目の前は見えやすい。でも本当に拳を振り降ろすべき対象は見えない真逆の背中にいるはずなのだ。だたし振り降ろす拳は暴力であってはならない。


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