SINCE 2004
京都の繁華街から外れた場所。
ジャズレコード、蓄音機、シーメンスのスピーカー、ビリヤード台、昭和歌謡、古書…シングルモルトをはじめとする蒸留酒とスタンダード・カクテル。
外の世界とは少しだけ時間の流れが違う場所。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧下さい
2012年9月4日火曜日
誰そ彼
☆夕暮れ時のことを黄昏と言いますが、語源は『誰そ彼』(たそかれ)から来ています。
☆つまり薄暗くなって、『隣に誰か居るのは分かっているけど、それが誰なのか判別出来ない状態』のことです。
☆BARの照明が暗いのはまさにこの『誰そ彼』を人工的に作っているのですね。人は『誰そ彼』の中で少しだけ安心して心を開いて秘密を打ち明けたり、他者を気にせず孤独に浸って自分をみつめることができるのです。
☆そして『誰そ彼』の中では逆にそれを守るのも暗黙のルールなのです。偶然、隣り合って話すことになった見知らぬ誰か。どれだけ仲良くなろうとも、その人に「お名前は?」「お仕事は?」などプライベートなことを聞くのは『夕暮』ならぬただの『野暮』というものです。『誰そ彼』状態をキープしながら相手を尊重して会話と、そこに居合わせた時間を楽しむ。これがオトナのBARの振る舞いというものです。(笑)
☆こんな笑い話もあります。とある照明のかなり暗いBARでの出来事。
☆常連客の男性が自分の後から入ってきて隣に座った女性に声をかけ、速攻で口説き始めました。でもその女性は街で偶然に夫を見かけ、追いかけて店に入ってきた彼の奥さんだったのです。さてその結果、「この人(夫)はいつもこんな風に浮気をしているのか! 〆」と修羅場になったのか、「あら、私もまだまだ捨てたもんじゃないわね! ♥」とご機嫌になったのか、どちらだと思いますか? どちらにしても男性の顔が宵闇の空のように青ざめていったのは間違いありません。 『誰そ彼』には細心の注意が必要です!
☆もっとも、こういう場合の薄暗さは『誰そ彼』ではなくもうひとつの夕暮れを指すコトバ、『逢魔が時』というのですが。(逢魔が時=暗くなり魑魅魍魎がこの世に這い出でてくる時間。太陽が沈む時間帯が魔に出会う危険な時とされています)
☆よく洋食が続いたあとにお茶漬けなんかを食べて、「あ~日本人でよかったー!!」っていうセリフを耳にしますが、私は『誰そ彼』なんていうコトバを聞くと、つくづく日本の”言の葉”、情緒っていいなあ・・・と思ってしまうのです。
☆おそらくもう殆どの人が知る由もない『誰そ彼』というコトバ。街も人工の灯で一晩中明るくなり、魔が現れる時間も場所もなくなってしまいましたが、たまにはBARで『他そ彼』の時間を体験してみるのも楽しいものですよ。
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