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2012年9月6日木曜日

どうぞこのまま


☆閉店時間の少し前、窓の外から雨音。

☆こんな日は月読が開店して3年目のある雨の日のことを思い出します。

☆その日、月読は珍しくお客様で混んでいました。カウンターは常連様でいっぱいで、二つあるテーブル席にもカップルのお客様が二組み。

☆やがて真夜中過ぎになり、一人、二人とお客様は帰ってゆき、最後は大きいほうのテーブルについていたひと組のカップルだけになりました。このお二人はそれまで月読に5回ほど来ていただいたことがあって、いつも楽しそうにおしゃべりをして過ごす、とても感じのいいお客様でした。ただいつも今日と同じテーブルに座るのが習慣で、私とは注文を受けるとき以外に取り立てて話したことはありませんでした。

☆お二人ともグラスが空いていたので注文を伺いにいくと、珍しく男性のお客様が話しかけてきました。

「さっきはありがとうございました」

☆ ? そう言われてもこちらには心当たりがありません。私が困った顔をしていると彼が笑いながら説明をし始めました。


「さっき満席だったでしょう? その時、二人連れのお客さんが来ましたよね。マスターが『満席なんです、スイマセン』って言ったとき、あの人、ここのテーブルを見て相席できないかって聞いたじゃないですか?」

☆ああ、そういえばそんなことがあったなあ・・・確かにテーブルは4人がけなので相席は可能なのですが、ここはBARなのでお客様にはゆっくりと気兼ねなく過ごしていただくために相席は原則としてしないようにしているのです。とくにテーブル席を望まれる方は聞かれたくない話をされることも多いので・・・

☆彼が話を続けます。

「普通、ああいう時って相席にするじゃないですか? 今日は連休の初日でお客さんも多いし」

「でも相席を断ってもらったのですごく嬉しかったんですよ。やっぱりこの店にきて良かったなって、さっきも彼女と話してたところなんです」

「いえ、普段なら相席でもいいんですが、今日だけは二人で静かに過ごしたかったので本当に助かりました」

☆そうですか。偶然とはいえ喜んでいただけたのなら良かったです。説明が終わった後も彼はにこにこ笑っていましたし、彼と向かって座っている彼女の方も穏やかに笑っていました。


☆ひと呼吸おいて、彼が話し始めました。

「実は・・・僕たち、今日で別れるんですよ」

☆一瞬、冗談かと思いました。彼らは笑っていましたから。

「喧嘩したり憎みあって別れるんじゃないんですよ。将来の方向性が違うのでよく話し合って決めた結論なんです」

☆これが友人だったら『ちょっと待て!』と引き止めたかもしれませんが、相手はお客様です。それも殆んど会話を交わしたことのない。


「そうですか・・・それは・・・残念ですね」と私。

☆今度は彼女の方が話はじめました。

「この店、私たち、とても好きだったんです。それで最後はここにしようって私が彼に頼んだんです」

「ごめんなさい。いい話ではなくて。 こんなこと聞かされても困りますよね」

☆相変わらず二人は笑いながら楽しそうにしています。まるで世間話でもするみたいに。


☆突然、雨音が聞こえて3人が窓を見たあと、彼が少し考えてから言い出しました。

「もう12時をまわっているし、帰ろうと思ってたんですが・・・ 雨も降ってきたので小降りになるまでもう一杯だけ頼もうかな・・・」

☆そう彼が言うと、珍しく彼女が飲みたいものを注文しました。いつもオーダーは彼の役割だったのですが。

「じゃあ、折角だから最後の一杯はおまかせで! 私たちに似合うものを作ってください」

☆・・・別れのシーンに相応しいカクテル? それも前向きな・・・

☆彼はいつもスコッチを飲んでいました。彼女はショート・カクテルがお好みでアルコールにはそこそこ強いようです。 さて・・・・

☆ウイスキーを使ったカクテル。レシピは同じなのに使うウイスキーの種類を変えると、まったく別の名前になるカクテルがあります。

~マンハッタン~
(ライ・ウイスキー スイートベルモット チェリーを沈める)


~ロブロイ~
(スコッチ・ウイスキー スイートベルモット チェリーを沈める)


☆このふたつのカクテルは同じものでありながら同時に違うものでもあります。ベースのウイスキーが少し変わっただけでまったく別の未来になる2種類のカクテル。

☆スコッチで作るロブロイを本来ならスコッチ党の彼にお出しするのがいいのでしょうが、今日は敢えて彼女の方に。

☆カクテルを二人の前において少し理由を説明してからカウンターに戻ると、窓の外は雨足が少し弱まったようです。


☆少しでも長く雨が降り続いたら、もしかしてどちらかが思い直して『やっぱり考え直そうか?』というセリフを口にするかもしれない。そんな期待もしてみたのですが、穏やかに談笑している二人にその可能性が全くないことは明白でした。

♫ 雨の音を数えながら、どうぞこのまま どうぞこのまま どうぞやまないで ♪

カウンターから二人を通り越して窓の外を眺める。
・・・・そういえばこんな歌があったなあ。


『どうぞこのまま』 丸山圭子
http://youtu.be/WewEm0V3rXY





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