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〜Bar月読ホームページ〜
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2019年2月14日木曜日

再開のご案内




「それから…ひとつ覚えておいていただきたいのですが、ものごとは見かけと違います」
「つまりですね、言うなればこれから普通ではないことをなさるわけです。そうですよね?」
「で、そういうことをしますと、そのあとの日常風景が、なんというか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

   村上春樹の著書、1Q84の物語導入部分にでてくる怪しげなタクシー運転手の台詞★



201Q年 219日 スーパームーンの夜
もっとも月が大きく見える日に、ふたつ目の月が昇ります。

 …あるいはバーに行くことは、“普通ではない”ことなのかもしれません。そのあとの日常風景は違って見えてくるでしょうか? なにより店そのものが以前のbar月読とはかなり違います。

でも見かけにだまされないように。Spiritsは常にひとつきりです。

それでは、月のひかりのとどかない場所でお待ちしております。
                               店主 平岩英治




再開日が決定しました。

bar月読 再開

2月19日 火曜日 14:00~25:00

〒602‐0873
京都市上京区伊勢屋町399 オーキッド山下ビル1F奥
(河原町通り、丸太町下ル 東側 びっくりドンキーより2軒目 美容室の奥)

尚、オープン当日以降は通常営業しております。

旧店舗から幾つかの変更事項がございます。
下記のサイトよりご確認下さい。

http://bartsukuyomi.wixsite.com/home/blog/

2018年10月5日金曜日

新店舗 決定しました。

アポロ11号が月面着陸したときの風景はこんなだったのかもしれない。

冷たいコンクリートが剥き出しのこの場所に、今夜一粒の麦をまく。

                        bar月読 新店舗にて。



              (現在、設計中で、新規オープンは年末の予定です)

2018年3月19日月曜日

閉店のおしらせ


3月17日 土曜日 未明を持ちまして、bar月読は営業を終了いたしました。

トータル13年と4ヶ月間。
…長かったのか、短かったのか、自分ではよくわかりませんが、その間にご愛顧下さった多くの方…ご常連様、たった一度訪れて下さった方、それぞれに等しくお礼申し上げます。

ありがとうございました。




願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』
西行法師が詠んだ有名な歌です。

昨日は旧暦 如月ではありますが、残念ながら望月ではなく新月…月のない夜でした。むしろ月読が終わる日としては、こちらの方が相応しかったのかもしれません。

”店”という場所がなくなっても、空の月はまた満ち欠けを繰り返していくのでしょう。

いつか何処かでお会いできる日が来ることを、楽しみにしております。そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。




色は匂へど散りぬるを
(夜の宴は匂うけれど朝には散ってしまうので)

我が世誰ぞ常ならむ
(誰もが永遠に飲み続けることはできはしない)

…浅き夢見じ 酔ひもせず
(いつしか浅き夢は覚め、もう酔うことはない)      *意訳









2017年12月30日土曜日

年末年始

~ お知らせ ~

昨日、12月29日をもちまして、2017年度の営業を終了いたしました。

年明けは3日より営業いたします。

よろしくお願いいたします。


2017年12月20日水曜日

カウントダウン

月読は今月の上旬に、開店してから13周年を迎えました。(いま14周目にはいっています)

お世話になった方々、またお越しいただいたお客様方、誠にありがとうごさいました。

以前、木屋町で営業していた店から、今の場所に移ってくるときには、常連のお客様から「そんなとこに移って大丈夫か?」と驚き、あるいは心配されたものですが、この10数年でこのあたりも飲食店が立ち並び、聞くところによると”bar”と呼ばれる店だけでも15店舗近くもあるそうです。今や『御所南』はれっきとしたブランドです。



開店した当初は「10年続けられるかな…?」なんて遠い先のように思っていましたが、あっという間に干支を一周してしまいました。

御所南の景色が変わっていったように、10年の月日というのは、世の中の一切合切をいろいろと変えていきます。

月読が開店したとき、この建物はすでに築96年だったので、今では約110歳という高齢になっています。

見ず知らずのこの場所で営業を始めたとき、親切に声をかけていただいた隣の家のおばあさんも、今は姿がなく、その家は更地になっています。

この辺り一帯の地主さんが亡くなって、別の地主さんに譲渡され、それに伴い不動産屋も入れ替わりました。来年の今頃、この場所には新築のマンションが建っている予定です。

…という訳で、来春にはこの建物は取り壊しになり、bar月読は閉店することに至りました。

今日はそのご報告です。



当初、この建物に決めた理由は、大きな窓があったからでした。月読というbarは閉鎖的な空間にはしたくなかったのです。

毎年、春には店の窓から桜の花を眺めて過ごすことができました。それはとても幸せで豊かな時間だったのですが、残念ながら次の桜の開花を待たずに閉店することになったのが心残りです。

…が、これもテナント物件の宿命です。



本来ならば…
気持ちとしては、お世話になった方々に直接お会いしてお伝えしたかったのですが、こういった方法でのご報告をご容赦下さい。

あと、おそらくは尋ねられる事柄なので、先にお伝えしておきます。

「次はどうするのか?」

…現時点ではまだ未定です。
第一希望としては『髪結いの亭主』がいいのですが。w

「営業の最終日はいつか?」

…月読はこれまでの13年間、周年記念のパーティというものを行なったことはありませんでした。
これには諸所の理由があるのですが、それは置いておきまして、最終日も決めず(告知せず)に終わりたいと思います。

最終日を特別なお祭りの日にはせず、日常のままの営業で普通に過ごして、翌日にそっと蝋燭の火を吹き消すように、密やかに閉店させていただきます。

いろいろとご意見もありましょうが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。(少なくとも冬が終わるまではやっています)



…それではあと少し

短い間ではありますが、
bar月読でのお付き合いを、よろしくお願いいたします。

                                                 bar月読 店主

2017年11月9日木曜日

今、そこにあるフジツボ


人間の記憶というものは、ときに曖昧で、しかも本人が思っている以上に早く忘れてしまうみたいだ。

さらに厄介なことに、忘れたはずの記憶がなにかの拍子にとつぜんと思い出したりすることだってある。

曖昧な記憶をとつぜんに思い出したりしても、はたしてその記憶は信用に足るものなのか?

この世はいつだって藪の中。なにが正しいのかなんてわかりはしない。

ただし記憶のなかでも、かなり信用に足るものだって存在する。それはフィジカルな体験として覚えた記憶。いわゆる『身体が覚えている』というやつだ。

たとえば大人になってから、子供のころに遊んだ竹馬にかんたんに乗れてしまったり…あ、そういった意味では自転車の方がわかりやすいだろうか。1度でも自転車に乗れるようになったら、どれだけ間があいても乗り方を忘れたりはしないものだ。

そんな『身体が覚えている記憶』のなかで、たぶん珍しいカテゴリーにはいるものを僕はもっている。


フジツボの記憶。

僕の父の実家(つまり祖父母の家)は、京都の北部、日本海に面した丹後地方の久美浜というところにあった。(過去形なのは、もう2人とも鬼籍に入ってしまったからだ)

僕が子供のころは、夏休みになると久美浜に数週間のあいだ泊まりにいって、思う存分に海水浴を楽しんだ。久美浜の海水浴場はどこも白砂の遠浅で、子供が遊ぶには適していたのだけれど、水と砂しかないところでは子供だってやがて飽きてしまう。そんなときは、海水浴場の端っこの方にある岩場に探検に出向くのだ。

ところで、泳いでいるあいだは、とうぜんのことながら素足だ。岩場(海の)で遊んだ経験のある人にはよくわかると思うのだが、岩場を素足で歩くのはとてもキケンなのだ。(そもそも歩くと普通に痛いし)

なにがキケンか?

フジツボである。
(フジツボの説明、いらないよね?)

フジツボの上を歩くと、富士山の火口のような鋭利な部分で足の裏を切ったりする。(ちなみにフジツボの語源は中国の”藤壺”であり、形が日本の富士山に似ているからではないらしい)

それでも子供はいちいち気にして遊んではいられないから、何度かはフジツボで痛い目にあう。そこで体得するのだ。フジツボを踏まない方法を…ではなく、不意にフジツボの密集地帯に足を置いてしまったとき、どうするかを、だ。

岩場の影に足をおろしたとき、過去の痛い経験から、頭の中で「あ、しまった⁉︎ フジツボ(の密集地帯)を踏んだぞ‼︎」と電光石火のごとく理解するようになる。

この瞬間、なるべく足の裏にかかる自分の体重をフジツボ密集地帯に対してフラットに保つように心がけ、けっして慌てて動かないようにするのがコツだ。慌てて移動しようとして、体重が斜めにかかるとフジツボの火口で身を切ることになる。

しばらく静止して呼吸を整えたのち、なるべく斜めに体重がかからないよう、細心の注意を払って、ゆっくり、ゆっくりと足を垂直にあげて移動していくわけだ。

垂直軸でバランスをとって静止。これを頭で考えずにできるかどうかが大きな鍵となる。
しかし残念なことに、大人になると海水浴にはいかなくなる。そうするとせっかく体得した『フジツボ密集地帯・離脱方法』も宝の持ち腐れ、記憶の彼方に消えてしまう。いつしか僕の記憶からも、それは深い眠りについてしまっていた。

ある日のこと。
僕は家の掃除をしていた。ひと月に約1週間くらいは、嫁さんが仕事の都合上で九州に行っている。つまり独身生活なのだ。

部屋に掃除機をかけるとき、ふつうは椅子やゴミ箱なんかを別の場所に移動させてからするものだと思う。とうぜん、僕もそうする。

そういった手順を踏みながら、掃除をする最後の場所、風呂場の脱衣場にきた。ここには洗濯機と洗面台なんかもあって、6畳よりもやや狭いスペースだ。

この場所で事件は起きた。

洗面台の左横には、いつもならゴミ箱が置いてある。ただそのときは、掃除機をかけるため、あらかじめゴミ箱を縁側に移しておいたので、そこには何もなかった。いや、”ないはず”だった。

僕は脱衣場の床に掃除機をかけるまえに、まず洗面台の鏡を拭き掃除した。

ひと通りの作業が終わったあと、別の部屋に置いてある掃除機を取りにいこうと、足を踏み出した。

左足、第一歩目。

そこは普段ならゴミ箱が置いてあるはずのスペースだ。

そこに左足が着地した瞬間、僕の身体はキケンを察知した。足の裏にあの遠き日の”火口”を確かに感じたのだ。記憶はいっきに40年を遡り、その眠りを覚ました。

「あ、フジツボ ‼︎」

僕は0.1秒くらいで、身体を垂直軸にバランスをとり、静止を保った。

そして、僕は静止しながら考える。

なぜ、京都盆地のど真ん中でにフジツボがいる…?

いや、世の中は不思議なことでいっぱいだ。もしかしたら、淡水や陸上に生息する新種のフジツボだっているのかもしれない。

でも、それがどうして自分の家の脱衣場の洗面台の横にある、ゴミ箱の置いてあったスペースでなければならないのか?

考えたところで理解不能だ。それで僕は、フジツボ密集地帯・離脱方法の第2ステップにとりかかる。垂直軸バランスを保ったまま、左足をゆっくり、ゆっくりと上に上げる。

僕の左足の裏から、なぜか張り付いていたフジツボが剥がれて、パラパラと床に落ちていった。

青く透き通った色のフジツボ。

フジツボの正体は、夥しい数の使い捨てコンタクトレンズの山だった。

おそらく嫁さんが顔を洗いながら、コンタクトレンズを外し、よく確認しないまま適当に、ゴミ箱が”あると思われる場所”にポイポイと捨てていった結果、京都市北区の一画にフジツボ密集地帯が発生したものと思われる。

井上陽水が『とまどうペリカン』で、

♩あなたひとりで走るなら
私が遠くはぐれたら
立ち止まらずに 振り向いて
危険は前にもあるから♩

と歌っていたけど、まったくその通りだ。

キケンは海水浴場の岩場だけにあるのではない。一人でいる自宅の洗面台の横にもあるものなのだ。

その後、フジツボの件を嫁さんには言ってはいない。この世の事象(主に嫁さんに関する)には、決して『変えられないもの』があるのだということを、僕はもうすでに”体得”し”記憶”ているのだ。

もし今度、うちに遊びにくることがあるなら、そのときはビーチサンダルを持参してもらえればありがたい。

それとも『フジツボ密集地帯・離脱方法』を習得してみる?

僕はきっとその道では優秀なインストラクターになれると思う。