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2014年5月30日金曜日

氷の微笑

営業中、お客様の前で氷を割っているとよくこう聞かれる事があります。
「アイスピックで指を突いたりしませんか?」って。

そんな時は決まってこう答えています。
「アイスピックで指を突くようなことがあったら、それはもうバーテンダーを辞めるときですね。かれこれ30年弱この仕事をしてますが、今まで一度もそんなことはないですね」と。
さも当然という風にしれッとね。

… …昨日、やってしまった。
左の人差し指。

ルールの変更をお知らせします。
加齢による衰えのため、ペナルティは累積3回で退場に改正。

当たり前だけど、けっこう痛い。


2014年5月5日月曜日

出来ない相談

数日前。

普段より早めに店に入り、カウンターで氷を使いやすいサイズに割っていた。確か午後3時半頃だったと思う。

入口のシャッターは半分程閉めてあり、身体を屈めないと入れないようになっていた。2階に続く階段の電気も消してあるのでかなり暗い。見知らぬ人が入ってこれる環境ではなかったはずだった…

なのに突然ドアが開いた。

びっくりしてそこを見ると黒人の若い女性が一人で立っていた。

誰かの家と間違えて入ってきたのかと思い、僕は彼女に向かってここはBarだと言った。

すると彼女は「もう営業しているのか?」と尋ねたので、夜の6時から開店すると伝えたら「OK」とだけ言って暗い階段を降りて行った。

観光客のようだったけど女性が一人、それも異国でシャッターを掻い潜って暗い階段から密室に入ることに恐怖はなかったのだろうか?

言葉にするとそれは例えば”安全な国”というような簡単なものになってしまうけれど…







街角に貼ってあるポスターは”取り戻せ! 取り戻せ!”と意気揚々と謳っているけど、いったい何を取り戻すというのだろう。

この国が誇るべきものはもう既に手に入れているというのに。

”星の王子さま”にでてくる狐は言っていた。

「大事なものは目に見えないんだ」


”取り戻そう”  何を? ”手放そう”の間違いじゃないのか。

そう言うと今度はポスターの男に追従する者達から声が返ってくる。

「お前はここだけ安全ならそれでいいのか?!」

まるで無料で配られている薄っぺらな広告入りのティッシュペーパーだ。

ワイドショーで得た詭弁と知識はあっても想像力が欠如している。


その大義は誰が行う?

人より多くの税金を払えば椅子に座っていられるのか?

それともコントローラーのAボタンを連打したら敵を撃破出来ると思ってるのか?

件の島に油をまき散らして更に火をつけた幼稚な作家はその後どうしただろう?

あの島に住み込んで大好きな戦車に乗りながら自分自身で守っているか? 

今頃、高級な羽毛布団にくるまってイビキでもかいて寝てるだろう。

じゃあ、命を危険に晒しているのはいったい誰だ?


フィリップ マーロウは「撃ってもいいのは自分が撃たれる覚悟がある奴だけだ」という小説上の名言を遺したけれど、大義を口にするならその覚悟はあるのか?

いや、撃たれる覚悟の方じゃない。そもそも”撃つ”覚悟を持てるのか?

”引き金”を引くか引かないかは想像力にかかっている。思いやりも優しさも想像力がなければ生まれやしない。


昨日、5月4日はオードリーヘプバーンの誕生日だった。

彼女は晩年、あまり映画には出演しなくなって、かわりにユニセフでの活動を活発にしていた。

そこで彼女はこんなことを言っている。

「いつの日にか政治が人道化する日がやってくるでしょう」と。

残念ながら、日出処の國がその最初ではなさそうだ。






もしオードリーヘプバーンというキーワードでカクテルを選ぶなら、ムーンリバーからの連想でブルームーンでどうだろうか?

このカクテル、実は『出来ない相談』という隠された意味がある。実際に青い月が存在しないことや、バラの品種で同名のものがあるのだけれど、実際には青いバラにはならない事から由来する。


さて、ブルームーンをオードリーヘプバーンの誕生日プレゼントにしてもいいのだけれど、今はそれより先にこの『出来ない相談』を100杯くらい作って無理やりにでも飲ませたい人物が一人、いる。










さよならの符合

コルトレーンと言えばマイフェイバリットシングスを思い出す人は多いでしょう。レコードアルバムもマイフェイバリットシングスがタイトルになっているものがやはり有名ですね。

この曲はA面の一曲目に入っています。では2曲目が何か覚えている人はいるでしょうか?
余程のJAZZファンで無い限り覚えている人はいないのではないでしょうか。逆に言えばそれだけマイフェイバリットシングスが有名過ぎるということですが…

2曲目のタイトルはEverytime We Say Goodbyeという曲です。

実はこの曲、前から気になってたのです。
タイトル、僕たちがサヨナラをいうときはいつも…って、なんか意味深でしょ? なんとなく村上春樹のタイトルっぽくもあるし。
コルトレーンの演奏ではボーカルは入ってなくて、どちらかというと殆どソロにちかく、スローナンバーでそこはかとなく悲しい曲ですか、きっと歌詞が存在するのだろうと思っていました。


探してみました、歌詞。
以外にも想像していたのとは全然違って、どちらかと言えば可愛い内容の歌詞でした。

彼氏のいる女の子の幸せな気持ちと、会えないときの寂しさを歌ったもので.「サヨナラをいうたび、私は少し死んでしまう。神様は意地悪、彼を行かせて知らんぷり。彼といると春風が吹くようで、それは素敵なラヴソング。でも明るい歌も突然、色をなくしてしまうの、サヨナラをいうときはいつも…」と、こんな感じの内容です。

ところで、この歌詞を読んで気になったのは冒頭の部分。”サヨナラをいうとき、少し私は死んでしまう”というところ。

探偵小説ファンなら一度は読むチャンドラーの”長いお別れ”。
エンディングで主人公のフィリップマーロウが彼女との別れに際して同じようなセリフを言うのですね。
「サヨナラを言うことは少しの間、死ぬことだ」と。(清水俊二 訳)

昔、これを読んだとき、何か”少しのの間、死ぬ”っていう言い回しがピンとこなくて、チャンドラー独自の世界観かなあ、なんて思ってたのですが、ここでこの歌詞をみたとき、どうもこういった”少しの間だけ死ぬ”っていうのは西洋では慣用的に使われてるのかなあと思ったりして…
まあ、殆どどうでもいい話ですがね。

そう言えば最近、村上春樹も長いお別れを翻訳していましたが、彼はこの部分をなんと訳したのだろう?
気になるけど、長編の古典をもう一度読み返す気力も根気もないなあ…


さて、ではサヨナラの場面で相応しい酒は何か?
いろいろあるけど今回はベタでもギムレットにしときましょうか。
もう閉店時間を過ぎているのでギムレットには”遅すぎる” ですけどね。