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2017年8月21日月曜日

真夏の夜の夢

昨日の夜はとても蒸し暑い夜だった。それは肌に何か得体の知れない、生温かいものがベットリと纏わりつくような、年にそう何度も経験することのない嫌な暑さの夜だ。

こんな夜は2年ほど前に旅行で行った埼玉県、浦和の夜を思い出してしまう。

その年の夏、沖縄県在住で画家を生業にしている友人がいて、彼から毎年恒例にしている浦和での個展を観に来るように誘われたのだ。(浦和は彼の実家がある)

京都に住んでいると、浦和はそんな機会でもないとなかなか行くこともないので、嫁と2人して、「じゃあ、行こうか!」ということになった。

新幹線とホテルの手配は嫁がしてくれた。だいたいいつも彼女に任せっきりなのだ。

旅は2泊で、食事も友人たちと共にするので、宿泊先に予算をかける必要はない。嫁が選んだホテルは”駅と個展会場からなるべく近くにある”という条件のもと、かなり古びたビジネスホテルだった。

そこはアメニティは普通に満足できるものだったのだが、両隣を立派な観光ホテルに挟まれて、奥に少し窪んだような場所にひっそりと建っており、真正面からみると、まるで「こんなところにいて申し訳ありません」とでもいいたげに、ビルが頭を下げているようにも見えた。

そのオドオドしたビジネスホテルは改装中のため、壁面が木材で組まれた工事用の足場で、びっしりと覆われていた。

荷物を持って入り口の前に立つと、お世辞にも「ここに泊まりたいなあ」という気にはならず、「なんだかなぁ…」という印象は否めなかった。でも滞在中はほとんど外出するので、寝床だけ確保できれば十分だったし、それ以上深く考える必要もなかった。

仕方がなかったのだ…

部屋は405号室だった。

受付でキーを預かって、嫁と2人で部屋に向かう道すがら、「ふつうホテルって、縁起が悪いから4階の表示は無しにするんじゃなかったっけ?」と聞くと、嫁は「こんなホテルでそんな気の利いたことはしない」と一蹴された。



部屋は思っていた以上に綺麗に整っていた。ただ唯一存在する窓は外側に工事のための木枠が組んであり、もともと小さな窓がさらに細分化されていて、殺風景なことこの上ない。まあ、どっちにせよ、すぐ目の前に隣の豪華なホテルの壁が迫っていて、何ひとつ窓としての実用性をはたしてはいなかったのだけど。

ただ不思議だったのは、その窓の構造上、”もともとは開く仕様”になっているのに、なぜか今は開かないように向こう側から何かでストップがかかるようになっていた。ただこの時は深くは考えはしないで、「外で工事をするので、安全のためにそうなっているのだろう」くらいにしか思っていなかった…

荷物を置いてから、空調や冷蔵庫、クローゼット、タオルなどの点検をした。小さな机があったので、引き出しを開けてみると、そこにはお約束の聖書が1冊。かなり古くから使い込まれている様子で、少し汚れが目立っていたので、綺麗に整えられた部屋にしては、何かしら違和感があった。でも僕らはキリスト教徒ではないので、そのことについてもさしたる疑問は持ち得なかった。

荷物をおいてそこそこに、僕らは友人の個展会場に向かった。部屋を最後に出たのは僕だった。ドアを閉めるとき、木で組まれた足場だけが見える窓からぼんやりとした明かりが差し込む部屋に、ふと何かがいるような気配がした。それはほんの一瞬のことだった。

「!…?」

でも先に出ていた嫁がエレベーターのスイッチを入れて、僕を急かすように呼んだので、そんなことは気のせいだと思い、その後、忘れてしまった。

個展会場で友人家族と半日過ごし、閉館後、食事に向かった。浦和といえば鰻を食べないわけにはいかない。有名な鰻屋をはじめ、友人に色々と案内をしてもらい、二次会、三次会と進み、ホテルに帰ったのは夜中の1時をまわっていただろうか。ポツポツと小雨が降り出し、まるで雲の中を歩くような蒸し暑く不快な夜になっていた。

部屋に戻って、交代でシャワーを浴びた。

僕は前日の夜中まで仕事をしていて寝不足だったし、もちろんその夜は友人たちとかなりの酒量を飲んでいたので、寝床に入るとすぐに猛烈な眠気に襲われて、考える間もなく秒殺で深い眠りに落ちたのだった。

何時間が経っていたのだろうか?

僕は突然、何かの気配で目が覚めた。

身体は寝不足と酒のために重く、怠かった。

部屋の電気は消されていて(たぶん嫁が消したのだろう)、嫁は隣のベッドで寝息をたてているのが分かった。意識はハッキリしているのだけれど、疲れのために瞼が思うように開かない。木枠の足場が見える小さな窓から、薄明かりが差し込んでいて、部屋の中が微かに明るいのがわかる。

暫くすると、机の方向から声が聞こえてくるのがわかった。

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

意識は半分くらいハッキリしない。

身体は重い。

その状態で、

「ああ、あの汚れた聖書の入った机の方か…」

と考えていた。

でも余裕があったのはそこまでで、

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

という声は机(足元)の方から確実にこちらに近づいてきているのが、その声の大きさで理解できた。

徐々に徐々に声は近くなってきていた。

「うーーぅーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー うーぅーーー」

僕は焦った。

まず電気を点けたいのだが、自分で消したのではないから、咄嗟にスイッチがどこにあるのか判らなかった。

次に逃げることを考えたが、声が近づいてきている机のその向こうにドアがあった。残された唯一の外界への出口は木枠の組まれた窓だけだったが、あの窓は”開かない”ようになっていた。それに何より、横で寝ている嫁を置いていくわけにもいかない。

そうこうしているうちに、「うーーうぅーー」という声は僕の顔のすぐ近くまできてしまった。

どうしよう? どうしよう? どうしよう?,と焦って考える頭の中に、なぜかまたあの
古く汚れた聖書が浮かんだ。

十字でも刻んで祈ればいいのだろうか?

しかし何度もいうが、僕らはキリスト教徒ではないので、そんな付け焼き刃でなんとかなるはずないではないか?

そのときたぶん、声はもう僕の顔の数十センチ近くまできていた。

そこで僕は閃いた。

「僕はキリスト教徒ではないが、神社はたまに行く!」

そう考えて、目の前の不気味な声のするあたりを目指して、柏手を大きく1回だけ打った。
「バシッ!!」という音が部屋に響き渡った。

その音を聞いて嫁も目が覚めたらしく、身体を起こして、枕元にあった部屋の電気のスイッチを入れたのだった。そして心配そうに聞いてきた。

「どうしたの?」

僕は明かりのついた部屋で、自分の両手のひらを開いて眺めてみた。

そこには僅かに血がついていた。

嫁がもう一度、聞く。

「どうしたの?」

「…やっぱり、蚊がいた❤︎」

まだまだ蒸し暑い日が続きますが、残り少ない夏をお楽しみ下さい。

夏はやっぱりモスキート…ではなく、『モヒート』ですよね。