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2013年12月30日月曜日

キオク ノ ムコウ

年末年始にこんな話もどうかと思うのですが、かの一休禅師も「めでたき言葉を…」のリクエストに『親死 子死 孫死』と書いたエピソードもあるのでまあ、よしとしてください。




―――僕は今年の9月で46歳になった。
身近な人たち。身内も、友達も、たまに会ったときに挨拶する程度の近所のオジサン、オバサン達も、毎年のように亡くなっていく人が多くなてきた。

自分の知ってる人が亡くなるとはどういう事か。ある側面でいうと、”自分のコトを知っている人が減る”ということなのだ。

例えば僕はこれからも人と出会っていくだろう。明日友達が出来るかもしれない。その友達と末永く付き合っていけるかもしれない。でもその友人の中にある僕への記憶は僕が46歳の時からであり、小学生だった頃の僕の記憶を持っている訳ではない。

自分の古い記憶を共有してくれている人は確実に減っていくけれど、決して増えることはありえないい。それはまるで年代物のワインと同じで、そのビンテージが消費され尽くせば、もう誰もそれ以降は知る由もない。

歳をとる孤独というのは、つまり”自分を知る人がいなくなる”ことであり、単に物理的な人との距離感だとか、精神的に繋がっていれば寂しくないだとかいうものではないのだ。



”自分が何者であるか”…を問われて答えるのは難しい。
でもある意味、それは二つの記憶の合成から成り立つのではないかと思う。

自分が”こうありたい”、”こうあるべきだ”、”これが欲しい”などと思い、生きてきた自分自身のキオクがひとつ。自分を知る者の”あいつはこうだ”というキオクがひとつ。
たぶん全く違う要素で創られた二つのキオクが合わさって初めて一人前の記憶が完成される。

自分の知らない自分を他人は知っていて、他人の知らない自分を自分自身が知っている。どちらも正しいキオクなのだ。

自分を知っていてくれる人が亡くなるとは、自分の記憶の断片が欠落することに他ならない。それはつまりとても哀しい。自分がどんなに長生きしても、やがていずれは自分のすべての記憶がキオクに変わってしまう。”歳をとる”とはそういう事なのだ。

ただし、こうも言い換えられる。

「自分は何もできない」「誰にも何もしてあげられない」と嘆く人をよく見かけるが、そんなことは決してない。自分が誰かのことをキオクしている。ただそれだけで、その誰かは自分の記憶がコンプリートされている訳だから、その人の孤独を救っていることになるのだ。

歳を重ねるごとに誰かのキオクをワインセラーに寝かせるように保存していく。記憶を共有する誰かが増えていく、歳をとることはそれだけでも素晴らしい。

…身近な誰かが亡くなる。
自分の記憶の中のあるパーツがキオクに変わる。でも亡くなったその人自身の記憶も自分に残されたキオクだけになるという相互依存形で記憶は存在する。

その時、自分の記憶が断片になったことを悲しむのよりも、相手の残されたキオクをいつかそれを必要とする人に伝えることに何かを見出す方がずっといい。


とはいっても、そんな簡単に割り切れるものではない。時々は「ワタシ ノ コト ヲ オボエテイマスカ?」と問いたくなるし、「アナタ ノ コト ヲ オボエテイマス ヨ」と返事を聞きたくもなる。

星をみる、木霊返しをきく、貝殻に耳をあてるのはきっとそんな時だろう。
…あともうひとつ、酒を飲むときも―――



***



酒場では色々な場面があるにしても、そういった1シーンを月読で過ごしてもらえるようなBarでありたい、またそういった酒を作れるようになりたいなあと、常々思っています。




今年はどんな記憶を重ねてこられましたでしょうか?

来年が素晴らしい記憶で溢れていますように!

Bar月読の今年の営業は本日(12月30日)で終了です。
ありがとうございました。
来年度は3日より通常営業致します。



今年最後の一杯はカクテル・スイートメモリーズです。
良いお年をお迎えください。









サンタが街にやってきた

早いものでもう年末です。

クリスマスは如何がお過ごしでしたでしょうか?



クリスマスには少しだけ早い週末の土曜日、雨降りあとの冷たい夜更けのことです。

店の窓からひと気のない通りを見下ろしていると、やがて一人の女性が眼下を通り過ぎようとしていました。落ち着いた感じのその人は派手さこそないものの華やかな装いで、手にはカラフルなリボンで飾られた紙袋を抱えて。

 …今年はクリスマスが平日なので早めのデートだったのだろうな。勝手にそんなことを思っていると、突然、その彼女がスキップをしながら駆け出したのです! 片手には荷物を抱えながら、もう片方の手は大きく前後に振って。

呆気に取られて見ているとスキップは数メートル先で終わり、何事もなかったように再び背筋の伸びた凛とした姿勢で歩き始め、やがて視界から遠ざかって行きました。

よほど楽しい時間を過ごしてきたのでしょうね。見ているこちらも少しだけ幸せな気持ちになれました。たぶん、こんな風にサンタクロースは何処にでもいるのでしょう。

遅くなりましたが、Merry Christmas and a Happy New Year.


*上記文面はお客様宛にクリスマスカードとして送らせていただいたものです。





2013年12月18日水曜日

B面の2曲目

B面の2曲目。

…といってもCDからしか知らない世代には何のことかピンとこないだろう。

レコードは表がA面、裏がB面といって、A面の曲が全部終わったら、一旦、針を外してレコードを裏返し、それからまた針を落としてB面に収録された曲を聴いていく。

レコードを知ってる人は何を今更…と思うかもしれない。
でも実際はかなりの人がレコードをかけてるところを見ると

「えっ!? 裏返すんですか??」

って言うのだから、そんな時代なのだ。



――― この前、釣りに行った時。
久々に一人で車を運転して、まだ朝のこない暗い湾岸線を走っていた。

車を運転するとき、たまにFMを聞くこともあるけれど、多くの場合はお気に入りのCDを数枚積んで出かける。そしてその景色や気分に見合った1枚を選んでかけていくのがいい。

これは免許を取得した当時からずっと変わらないドライブの楽しみのひとつだ。



この日は少し懐かしいCDを積んでいた。
学生の頃、好きでよく聴いていた日本のロックバンドの一枚。

もし『親友』という曖昧な定義を無理やりつくって当てはめるとするのなら、その頃によく連れ立って遊んでいたあいつはその一人になるのだろう。

あいつもこのバンドが好きで、そして十数枚ある彼らがリリースしたオリジナルアルバムの中でも、特にこの一枚をよく聴いていた。

まだレコードが主流で、CDというものが世に出はじめた頃だった。



「レコードの場合で言うとな…」

あいつがおもむろに切り出した。

「A面とB面、それぞれの一曲目とラストの曲、これが大事なんや」

ヘビースモーカーだったあいつがタバコに火をつけながら視線を100円ライターの炎に向ける。

「なんでかと言うとな、まあA面の一曲目とB面のラスト、ここに作り手が大事な曲を持ってくるのは当たり前やん? それとな、A面が終わってB面に変えるとき、一旦、間が開くやろ? この間の前後にどんな曲を持ってくるかでアルバム構成のセンスが問われるんや!」

セブンスターの煙を旨そうに吐き出しながらあいつは続ける。

「せやけどな、こんなことは誰でも分かるやろ? もっと大事なんはB面の2曲目なんや」

”お前にそれが分かるか?”というような目つきでこちらを見るので僕は答える。

「途中までのことはその通りやと思うけど、”B面の2曲目”っていうのは何や?」


パチンコで勝って豪遊する計画だったのが二人して惨敗。深夜の喫茶店で食事も出来ずにコーヒーを啜っている時間。

その日、僕はタバコさえ買えないほどに負けていて、あいつのセブンスターの箱に手を伸ばし、一本抜き取って火をつける。

ここのコーヒーの支払いも当然のことながら今夜はあいつだ。
このまえは僕だったかもしれない。
持ってる方が奢る、それが暗黙のルールだった。

あいつは話を続けた。

「あのな、アルバムのキーになる曲がA面の最初と最後、それからB面の最初と最後と合計4つあるやろう? そのうちの2曲がA面のラストとB面の最初、途中で間が開くけどここで連続してかかることになるねん?! その脂っこい後の1曲目がつまりB面の2曲目っていうことや」

言い終わって、あいつは勝ち誇った顏で自分の吐いた煙の行方を視線で追う。

「つまり、いぶし銀な一曲がB面の2曲目っていうことか? 送りバントの上手い2番バッターみたいに」

「そうや!! 通好みの一曲や」

セブンスターの味は僕には強すぎる。だからという訳ではないけど、健康のためにもっと軽いものに代えろという僕の忠告をあいつはきかない。

「でもなあ、あのアルバムのB面の2曲目ってアレやぞ? たぶんファンを100人集めてアンケートを取っても1票も入らへんくらい地味な曲やし、それにかなり異端なアレンジやし、どっちかというと通好みっていうよりも”飛び道具”みたいなもんやんか?!」

「あの曲が分からんようでは、お前もまだまだやな」

「あの曲、そんないいかぁ? お前、ぜったい変わってるわ…」




――― 海岸沿いを走りながらCDを聴く。

カーステレオは軽快に曲を流してゆき、A面からB面にあったはずの間はどこにも見つからない。


あいつは今どうしているのだろう。

最後に会ったのは何年前だったか?

これから先、あいつと”点”で会うことはあっても、”線”をともに過ごすことはもうないのだろう。

暗い空と暗い海、同じように見える闇でもそこには決して交わることのない線が引かれている。



カーステレオがかつてのB面の2曲目を流しはじめた。

あらためて耳をすましてじっくりと聴いてみる。もしかしたら昔とは何か違うかもしれないという期待を込めて。

しかして、「これが通好みの曲か?! …お前、やっぱり変わってるわ」





あの頃程ではないのだけれど、今でも少しは新しいCDを買うことがある。

時々、思い出したようにする癖があって、それは収録曲が書かれているCDケースのクレジットを見ながら、曲のリストを無理やり前半と後半に分けてしまう。

そしてそこに探し出すのだ、B面の2曲目を。








2013年12月13日金曜日

特別営業のお知らせ

Bar月読 シネマクラブ

映像作家、野垣鉄平氏の初の長編シネマ「名前のない舟」の上映イベントを月読にて行います。

日時: 12月14日(土)20時開場、21時上映(上映時間52分)

 会費: 2000円(鑑賞代・ワンドリンク付)

 予約席は設けずに当日スペースが埋まり次第、締切とさせて頂きます。
 一応、定員20人の予定ではありますが、冬場でもありコートなどの荷物を考えますと予定よりも少なくなると予想されます。
”もう入れない”となった時点で締め切らせていただきますので予めご了承ください。


 映画は、シンガーソングライターの下田逸郎氏(桑名正博の"月のあかり"の元曲が有名)作の短編小説「名前のない舟」が原作。
 同作品の世界観を、下田氏の音楽、下田氏・鉄平監督・金子マリ氏の朗読、そして鉄平監督の感性が旅の途中にはぎ取った風景が合わさった映像詩的な作品です。

 上映後は鉄平監督を囲んで制作談話などを聴き、映画・音楽談義を楽しむ時間として楽しく過ごしていただければと思っています。
もちろん飲みながら、です。



つきましては上記イベント開催のため、12月14日(土)は通常のBar営業を行なっておりませんのでご了承ください。

あと、鉄平監督曰く「映画は肩を寄せ合って、多くの人と寄り添いながら観る空間が楽しい!!」との意向から、当日はなるべく多くの人に入って頂くことになると思います。
そのため十分なゆとりのある空間ではありませんので営業する側といたしましては大変に心苦しく思うのですが、何卒、ご容赦くださいますようお願い致します。


2013年12月8日日曜日

乾いた青

数日前の午後。

 近所の商店街を歩きながら、あまりに暖かいので”小春日和”だなあ…と思いかけてー

 ーいや、もう冬だから小春日和とはいえないなあ、と独り言を口にした。

英語では小春日和の事をインデアンサマーと言うそうだ。
 冬がくる前に神様が一服してキセルを吹かし、その煙の温かさで数日間、夏のように暖かくなるのだと。

 僕はこのインデアンサマーというコトバがとても好きなのだ。

それは乾いた青色を思い浮かべるから。ただそれだけで他にさしたる理由は見つからない。

インデアンジュエリーに使うトルコ石の青。もしかしたら、そんな単純な連想なのかもしれない。

 僕にはもう一つ、乾いた青色を思わせるものがあるー

 ーそれは歌。

テネシーワルツを聞くと何故か乾いた青色が頭の中に広がってくる。

 歌詞自体は友人に恋人を紹介したら奪われてしまったという湿っぽい内容なのだけれど、曲の印象はカラッとした青が流れるみたいに聞こえてくる。少なくとも僕にはそう思える。

テネシーには…もちろん行ったことはないので景色は浮かんではこない。

テネシーワルツを聞きながら飲むのなら、やはりテネシーウイスキーのジャックダニエルか。
そう言えばこのウイスキーも乾いた味がする。

 曲を聞きながら、酒を飲みながら、そして絵を見ながら、旅の思い出についても考えてみる。

それが雨の日であろうと、湿った森の中であろうと、時間がたっとその景色は乾いた色になるのは何故なんだろう。

 昆虫や草花が標本箱の中でピンに留められているのと同じだろうか。

 美しく哀しく乾いた青。

 通勤途中のクリスマスイルミネーションを見ながら、インデアンサマーではなく、本当の春が待ち遠しい。

 南の島の友人が届けてくれた来年のカレンダーを見ながら、そんな事を考えていた。


2013年12月4日水曜日

温州みかんのスクリュードライバー

伊予産の温州みかんをたくさん頂いたので、それを使ってカクテル、スクリュードライバーを作ってみました。


もともと僕はアメリカ産のオレンジは果汁を絞ると力のない痩せた味になるので好きではなく、『オレンジ系カクテル=夏蜜柑最高説』を唱えています。(笑)

で、温州みかんですが、これは酸味が少なくとても優しい味なので、こたつで食べると最高ですがカクテルの材料としては明らかに不向きといえます。

そんな条件の中、幾つかあるオレンジ系カクテルの中でスクリュードライバーを選んだのはベースのウオッカにクセがないので温州みかんのやわらかな個性を崩さないという理由から。


さて、優しすぎる味にアクセントを加える工夫をしましょう。

生姜の絞り汁を少々混ぜ、果肉を加え、仕上げにブラックペッパーを軽く擦りおろして仕上げます。

柑橘系ジュースと生姜は相性が良く味が複雑になり、そこにブラックペッパーの辛味がほんの少し後を引きます。

これはウオッカを抜いて、ただの温州みかんのオレンジジュースに使っても、オトナなオレンジジュースとしてかなりオツな味です。


胡椒ですが、ウオッカにペッパーウオッカという胡椒味の銘柄が存在しますが、ここはやはりフレッシュな胡椒を使いたいところですね。

これだけ副材料を足してはたしてスクリュードライバーと言えるかどうかが問題ですが、まあマティーニにレモンピールをするのと同じ…ということでひとつ。



2013年11月23日土曜日

臨時休業のお知らせ

誠に申し訳ありませんが11月24日(日曜)と11月25日(月曜)、Bar月読は臨時休業とさせて頂きます。

ご迷惑をおかけ致しますがご了承くださいませ。

m(_ _)m 店主


2013年11月14日木曜日

苦い友人

何気なく本棚に目をやったとき、懐かしいものと目が合った。

 『ふたごのでんしゃ』

 小さい頃に一番好きだった本。正確には”寝付くまで何度も繰り返し読んでもらった児童書”。

古い友達といえるかも知れない。

 当時から40年以上過ぎた今、この古い友人と意思の疎通ははかれるのだろうか。

 読むのを少し躊躇う。



 古い友人といえば、カクテルにオールドパルというスタンダードなものがあるのだけれど、このカクテル、殆どのカクテルブックに載っているにもかかわらず、その由来は書かれていない。

わずかにある情報といえば、禁酒法時代以前からある古いカクテルということと、名前の良さだけでスタンダードカクテルになったとかいう酷い説明だけ。

たとえばマルガリータなんかは狩猟に出かけて流れ弾にあたって亡くなった恋人を偲んで創ったというエピソードが有名なのでロマンティックな場面でよく使われる。つまり恋のカクテルという訳で、これなんかは注文するお客様の方も、お任せで頼まれて作るバーテンダーの方も非常に”意味”として扱いやすいカクテルだ。



ところがオールドパルはそう簡単にはいかない。例えば同窓会の二次会なんかで連れ立ってバーに行ったときに頼めばいいじゃないか、と思うかもしれない。けれどそう簡単ではないのだ。

 残念な事に味が万人受けしない。

マルガリータは多くの人に愛飲される爽やかで甘酸っぱい味であり、『亡き恋人を偲ぶ』=『マルガリータの味』にちゃんとリンクしている。

ところがオールドパルはアルコール度数が強くて苦い。材料はすべてお酒、そして味の決め手はカンパリという、よく知られた苦味のあるリキュールが中心となっている。

ベースのお酒はライウイスキーというパンチの効いた癖のあるアメリカ系ウイスキー。

どうしてこれにオールドパルなんて名前を付けたのだろう?

 『古い友達』は穏やかで優しく、温まるような甘い香りを醸すカクテルであるべきだったのではないのだろうか?

レシピを考えてもアメリカ生まれの癖のあるローカルな酒+イタリアンなカンパリまでだと、何となくゴットファーザーなんかをイメージ出来るのだけど、そこにフランス産のベルモットまでもが混ざってくるとオリジナルを創った人の意図が見えなくなってくる。

 古い友人のイメージは苦甘いだろうか?

 少なくとも僕が古い友人を思い出すとき、そこに苦さは感じないのだけれど。



カクテルだけでなく酒全般にいえることなのだけど、単に味が美味しいかだけでなく、そこに内包された意味やあるいは風景や歴史なんかを頭の中で味わうという楽しみも存在する。

クラシック音楽なんかでもそうだけど、ピアニストがその楽曲をどう解釈するかで旋律が違って聴こえるように。

つまりカクテルでもオールドパルのようなタイプはオリジナルの創り手の意とは違ったとしても、今現在の作り手や飲み手がどう解釈するかで味が変わり、違う楽しみ方が増すのだろう。



 『ふたごのでんしゃ』を読まずにテーブルの上に置いて暫く眺めてみると、物語の内容よりも遠い日の風景のほうが先に頭の中に浮かんできた。

いつの間にかソファーの隣に小さい頃の自分が横に並んで座っていて、両足を前後にバタバタさせながらテーブルに置かれたふたごのでんしゃを「早く読んでくれないかなー」というように少し距離をとってじっと見ている。

 今現在の僕とは違い、瞳はまだ綺麗に澄んでいる。

 過去のそれぞれの場面に在る自分自身、これもまた『古い友達』なのだろう。

 彼等と対面するときは甘く、そしてちょっとだけ苦い。

 僕はオールドパルをそう解釈することにした。




2013年10月14日月曜日

重陽の節句

菊酒を漬けました。



 昨日は陰暦の九月九日で重陽の節句です。

 奇数は陽で、その最大の数が重なるこの日はおめでたい日とされてきました。

 菊の季節とあって昔から無病息災や厄除の願いを込めて菊酒が飲まれてきたのですが、最近は花びらを浮かべるだけのものが多くみられます。

今回は古式に則って三日程ですが伊勢錦の純米酒に漬け込みます。


 菊は食用のものですが、八百屋さんに頼んで、かなり減農薬のものを用意してもらいました。菊は虫がつきやすく、無農薬のものは手に入りませんでした。

 水でよく洗ってから、梨木神社の湧き水で清めて仕込んであります。


あとは少し月光に晒して、重陽の節句を待ちました。


菊の花を漬けて一日目はちょっと苦味が出ましたが三日目にはそれが甘味に変わっていました。砂糖を入れたわけではありませんが、リキュールに近い味です。


ぜひ来年もしたいですね。





2013年10月13日日曜日

上弦の月

10月12日

今夜は半月、上弦の月です。

 上弦の月というのは、弦が見かけ上、上にあろうが下にあろうが、満月に向かって満ちていく過程の半月のことです。逆に満月から欠けていって半月になった時、下弦の月といいます。単純に半月の時、月に向かって弦が左にあれば上弦の月です。

ある研究によると、統計で満月の時は放火などの凶悪犯罪が多く、半月はその反対に注意力散漫になりやすく、交通事故などが多いと聞きます。

さて、今日は欠品したウイスキーを仕入れにいきました。

よく女の人がストレス解消に買い物をすると聞きますが、確かに仕入れにいって、いろいろと物色し、気に入ったボトルを手に入れるのはとても楽しいので、その気持ちはよく分かります。

しかし、それも元手があっての事、今日は仕入れ基金がいつになく切迫しているので、必要なボトル以外は決して買うまいぞ‼ とカタク心に誓って行ったのです。

 酒屋に入るや否や、店長が「いらっしゃいませ」のあと、間髪入れずに「今日は押し売りするボトルがあります⁈」ときた。

シングルモルト、タリスカのストームという新製品。
これは従来のものより、癖が強化されていると考えてもらえばいいのですが、このタリスカ、スタンダードのものはウイスキーにしては珍しい瓜系フルーツ、つまりメロンやスイカのフレーバーを持っていて、個人的にも大好きなウイスキーのひとつなのですが、癖が強化されても、その瓜系フルーツのフレーバーが感じられるかどうか? とても興味深いところです。


…あーあ、買っちゃったよ…
 …! しまった、今日は半月だった。
じゃ、仕方なし。月のせいだ。

という訳で、ただ今、お客様に口開けをしてもらうか、先にテイスティングするべきか思案中。

 本来ならお客様に口開けしてもらうのが筋なのでしょうが、今日はどーかなぁ?
 上弦の月だし、ついウッカリ開けてしまうかもなぁ。

2013年10月7日月曜日

悪魔は囁く

夜に爪を切るとどうなるか?

夜に爪を切ると親の死に目に会えなくなる。だからしてはいけない。
昔から禁忌とされてきたことのひとつです。

元々の理由は語呂合わせで『世を詰める』、つまりは短命になるので親の死に目に会えないとか、今ほど明かりがなかった時代に手元がよく見えないのに爪を切るとケガの元だから、ということらしい。

爪切りの怪我くらいで何を大袈裟な…と思うかもしれませんが、主に農作業をしていた民族ゆえ、医療の未発達だった時代には手元の傷は破傷風などにかかりやすく、命を落とす原因に成り得たということです。

僕はこの二つのうち、二番目の理由は知ってはいましたが、自分なりにはこう解釈していました。

それは祈りに似たマジナイのようなものではなかったかと。

願いはその思いが強くあるほど叶いやすい。

親より先に死ぬのは最大の親不孝であるとよく言われます。今よりももっともっと死というものが身近であった時代、親を看取るのは難しく、たとえ長く生きたとしても臨終の際に死に目に会うというのは中々叶わない願いだったのではないだろうかと。もちろん、自分自身の問題としても長生きはしたい。

そんな願いをささやかに言い伝えにのせる。『夜に爪を切ると親の死に目に会えない』と。

そうするとどうなるか?
夜はもちろん、朝昼であろうとも爪を切るときはその禁忌を思い出す。そしてその都度、願うだろう。「ああ、今は夜でないから大丈夫だ」(=長生きしたい)と。

知らず知らずのうちにそれは祈りになり、願掛けになり、その回数は重なっていく。
そういうものだと思っていました。

もちろんこれは僕自身の解釈であり、正しいわけではない。
でもなんにつけ、こういったことに対して間違っていようがいまいが関係なく、考え、想像するということがとても大事なことだと思うのです。


この『夜に爪を…』とか『夜に口笛を吹くと…』というのはどこか『魔との邂逅』を思わせます。

不吉なことを行うとどこからともなく悪魔(和の禁忌で悪魔というのも変ですが…鬼と言うべきか?)がやってきて不幸にしてしまうというように。

でも思うに魔(鬼)というのは一見、凶暴で暴力的に思ってしまいがちですが、きっと彼らは直接、ヒトに対して物理的な危害を加えることはしないし、出来ないのではないか。

魔(鬼)が出てきて人にするのは”囁く”ということ。

耳元で小さく。

それはしてはいけない事をするように、行ってはいけない方向へ向かうように、ヒトの迷いや弱い心に付け込んで、そっと背中を後押しする。
それはとても心地いい囁きなのです。



もう一度、夜の爪切りの話に戻ります。

先日、高校の同級生たちと会った時のこと。彼らの数人には子供がいて、その教育の話になたとき。

民間の有名な大手教育会社ががあるのですが、その教育機関が発行している子供向けの本に書かれているそうなのです。

「”夜に爪を切ると親の死に目に会えない”というのは迷信です。だから夜に爪を切っても大丈夫です」と。

実際、お風呂上がりの方が爪が柔らかくなっていて切りやすいので、夜に爪を切る人も多いらしいのですが。


ただねえ、どうも釈然としないというか、なんか不気味なんですよね、その話を聞いて。

いいんですよ、夜に爪を切ろうが切るまいが。その人の自由なんだし。
『夜に爪を…』の禁忌の理由も今となっては無意味だし。

でも教育機関が「~は迷信だから大丈夫」というのはなんか胡散臭いんだなあ。

それって完全にマニュアル化でしょ?

考えなくていいよ、想像しなくていいよ。これは機械的に覚えとけば間違いないからって。

マニュアルに素直に従う人間て楽でいいんですよね、権力者や為政者にとって。プロパガンダにもすぐに靡(なび)いちゃうし。

多くの場合、答えなんてひとつではないし、答えがひとつの簡単な数式であったとしても、1+1=2と初めてそれを習った子供が石ころやビー玉を数えて確認する、その行為が大事な訳で。


「あなたの好きな人のタイプを教えてください」という問いかけに対して、「優しい人」「思いやりのある人」と答える人は多いですよね。

でも、”優しい”とか”思いやり”というのはいつもいつも目に見える簡単な出来事だけじゃなく、
むしろ考えたり、想像しないと出来ないことの方が遥かに多くあるのです。

優しさも、思いやりも、考え、想像した挙句の次の行動であるはずです。その訓練をしなければどうなるのだろう。

詰まるところ、たとえば、

電力が不足しています=原発、仕方ないですね。

領土問題、危機ですよ=軍強化、憲法改正仕方なし。

…みたいな短絡的な思考に陥って、予め用意された答えにあたかも自分が考えてたどり着いたみたいに思い込まされるようになってしまうでしょう。

その石ころを人ごみに向って投げたらどうなるか? 想像力があるから投げないでいられるはずなのです。



昔から云い伝わる諺や禁忌は本来の意味だけでなく、想像力を養うものではなかったか?

短絡的な答えを与えておいて、考えることや想像することをやめさせる教育者、権力者、為政者のコトバは悪魔の囁きのように思えてならないのです。








2013年9月28日土曜日

地下街メリーゴーランド

bar月読に一番近い大通りは店から南に30m程歩いた所を東西に走っている御池通りです。

 御池通りには地下街があって、そこは地下鉄と連絡しているわりには人通りはそれ程多くなく、何処にでもあるような寂れた商店街で、名前をゼストといいます。

このゼスト、たまに買い物、つまり月読の仕入れに行く途中の通り道として使うのです。今日も通りました。

地上から地下に降りる階段で会社員風の若い男性が走りながら僕の横を通り過ぎていきました。その時の印象は顔の小さな人だなあ、と。

この小顔さん、僕を追い越して地下街に入った後、飲食店街のコーナーで立ち止まり、何やらメニューを見ていらっしゃる。
きっとお腹が空いていたので早く食べたくて走っていたのだろう…

立ち止まる彼を今度は僕が追い越して、本屋の辺りに来ると、今度は青いカーディガンを肩に羽織ったOLさんか学生さんか微妙な感じの女性が全力疾走でこちらに向かって来て、あっと言う間に僕の横を通り過ぎていく。デートに遅れそうなのか?と思う。
まさかさっきの小顔氏か?
いや、ないな…なんて勝手に思う。



さて、今度また暫くして後ろから勢いのある足音をさせて誰が走ってくる気配がする⁉

すると、鞄を小脇に抱えて僕の左隣を猛スピードで走り抜けて行ったのは先程の小顔氏だった。
 食べたいものがなかったのか? と思い様子を見ていると途中の地上出口のコーナーで立ち止まり、数秒躊躇した後、再び地下鉄の駅の方に向かって全力で走り始めた。

その方角は僕の向かっている方向だったので、歩きながら彼の後ろ姿を見ていました。

すると、またしても後ろから僕を勢いよく追い抜いていく走者あり。

なんと、さっき反対側に全力疾走していったブルーカーディガン女子だ‼

どうしたんだ?
 何故に今度は反対に?

 今日、ゼストでは運動会でもやってるのか? という思いと、やれやれ、元気やなあと感心する思いが入り混じる。

その時、事件発生。
ブルーカーディガン女子が僕を追い越して10m程進んだ時、彼女の鞄からポケットティッシュサイズの何かが落ちた。

ん⁈ ティッシュくらいなら落としても平気か、と思ったそのブツは、シュルシュルというプラスチック特有の軽快な音を立てながら僕の足元まで滑ってき、見ると定期入れでした。

えっ⁈ ん⁈
なんでまたよりに寄って、ここに転がってくるかなあ…
(T ^ T)

前を見ると落とし主は遥か30m先をまだ全力で走ってるし。

 頭の中のどこか遠いところで、スタートを告げるピストルの空砲の音が鳴ったような気がした。

 謎のゼスト運動会、第三走者は僕だった…

2013年9月22日日曜日

西に沈む



京都は言わずと知れた碁盤の目の街です。

 春分、秋分の日の辺り、夕方に東向きに車で走ると両方のサイドミラーに夕日が写り込んでオレンジに染まるので、それが楽しく、好んで東西の通りを東に向かうコースを選びます。

ミラー越しに夕日を見ていると、カーステレオでイーグルスのホテルカルフォルニアを聴きたくなるのですが、残念ながら通勤用の原チャリにはそんな設備はないし、仕方なく鼻歌システムのスイッチをオンにしました。

もう少しすると立待月も昇るだろう。


2013年9月13日金曜日

夏便り

ハガキがきました。

まだ梅雨時だった6月30日に、手染メ屋さんとBar月読が一緒に行いましたチャリティ イベントの募金先である ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ さんから。

この夏、東北や北関東の子供達が京都に来て放射能の心配なくのびのびと遊ぶ、夏の家の予定が無事に終了したそうです。

ともかく、誰かの子供を預かるなんていう大変に責任を負う仕事を一夏にのべ50人…
無事に終わって良かったです。お疲れ様でした。

そしてあらためて、あの日にご協力下さいました方々にお礼申し上げます。

 個人の出来ることなど、たかだかしれてはいますが、それでも出来ることを少しずつ積み上げていくしかないですね。

またやります。

その時はご協力の程、よろしくお願いいたします。

Bar月読 平岩

2013年9月9日月曜日

ヒーローは皆んな七面鳥が好きだった。


先日、お客様と話していまして・・・

たとえば音楽を聴いて、その時代の記憶が一瞬にして鮮明に甦るみたいに、酒にもそういうことがあるのではないか? つまり自分のある時代をその時に飲んでいた酒が象徴するようなことがあるのではないかと。

確かに女の子なんかは彼氏が代わるたびに注文する酒が変わる人も多いようです。
彼氏の好みの酒に変わるのですね。

そんな人は当時の酒を久しぶりに飲むと昔の彼氏のことを思い出したりするのかな?

するとその時、話していた女性のお客様は「ないでしょうね!」とバッサリ。
女(多くの)はオトコが代わった時点でもう以前の記憶、というか感傷はいっさい消え去るので、今更、酒や音楽くらいで昔を思い出すことはないだろうって。

オトコは・・・あるかな(笑)
感傷的な生き物ですから。

さて男と女の話は置いといて。

僕自身がある時代を思い出す酒といえば幾つかあるけど、ひとつ目はバーボンウイスキーのワイルドターキーかな。

華やかなバブル経済の終わり頃。僕は19、20歳であり、Barで飲むのに憧れていたのです。その憧れのもとになった小説や映画の登場人物は何故か皆、ターキーを飲んでいました。

でもいつしか歳を重ねるごとにバーボンも飲まなくなり、Bar月読にも今までずっとスタンダード品のターキーは置かなかったのですが、この話の後、懐かしくなって仕入れてしまいました。


久しぶりに飲んでみると、バーボンの中でも度数の強いはずのワイルドターキーが大人しく、酸味も以前より強く感じます。

どの銘柄も味は時代に合わせてマイナーチェンジしていくので、こんなものじかな?とも思うのですが、たぶん変わったのは酒の方だけではないのでしょうね。



あの頃の飲み友達と会って、ターキーを飲んだらどんな味がするのだろうかとも思います。

あいつら、今頃どうしているかな?



2013年8月10日土曜日

納涼ハイボール

レコードやCDのジャケ買いがあるように、お酒をジャケ買いすることもあります。

でも更に突っ込んで、たまにはジャケ飲みなんてのもどうでしょう?

 暑い日には涼しげな絵の描かれたもの、例えば帆船の描かれたウイスキー、カティーサークとか。


 カティーサーク号はイギリスと中国を結ぶ、お茶(ティー)の高速輸送船でした。

 冷たいハイボールを飲みながら、帆船のラベルを見ていると暑さも忘れられるかも知れません。

カティーサークのハイボール、折角だから少し工夫しましょう。

カティーサークの原酒であるハイランドパークは少し塩のニュアンスがあります。これをぐらすの縁に塗って塩を付けます。ソルティドッグでお馴染みのスノースタイルですね。


 帆船、潮の香り、白波...涼やかさと夏場の塩分補給を兼ね備えた納涼ハイボールです。






洛陽

今日は月読の初期からの常連さんが遠くに旅に出た日です。だから閉店後、このトモダチと少しだけ飲んでいました。

 10才以上も年上で、お客さんでもあるのにトモダチというのは変ですか?
でも以前、彼が仕事仲間に僕を紹介するときに「こいつはダチやな」と言ってくれたので、だから飲むときはトモダチなのです。


僕はこの世にいなくなっても、誰かが覚えている限りその人は死んでいないという、何だったかの言葉を信じています。だからこの場で彼のことを書いているのもトモダチを友達に紹介している感じですかね? 忘れていない証に。


 僕は月読をOPENする前に、30年以上続いたジャズバーの最後の幕引き係を請け負いました。彼はその店の初代からの常連客であり、傍若無人の暴れん坊として他のお客様から一目置かれていたのです。(笑)

 多くの常連さんは自分が愛して通いつめた店の最後にやってきた、見慣れぬ若造に対して冷ややかでした。(そうでない人も勿論、たくさんいますが)
でも彼が「お前がいちばんこの店に似合ってるな」「お前が最後で良かった」と言ってくれたのは今でも僕の密やかな自慢です。

いよいよその店の幕を引き、月読に移転するとき、彼は「遠くなるしもう行かへんで! せやけど義理で一回だけは顔出したるわ」と言ってたのに、実際は何度となく多くの友人を連れて来てくれました。


 結局、彼は逆に多くの義理を僕に背負わせて、ボトルキープして飲みかけのジャックダニエルと吉田拓郎のLPレコードを遺したまま、月読に姿を見せなくなってしまいました。

きっと今夜も拓郎を聴くでしょう。
このトモダチが置いていったLPには収録されていないのですが、彼のことを思い出すとき、どうしても吉田拓郎の『洛陽』とかさなるのです。

―みやげにもらったサイコロふたつ
手のひらでふればまた振り出しに
戻る旅に陽が沈んでゆく ―

ホントに、たまには飲みに来てくださいよ、月読に。
 忘れてないからさ。

―献杯―








2013年8月8日木曜日

日傘

午後、買い物に行った帰り道。

 僕の前を日傘をさしたおばあちゃんと小学4年生くらいの孫とおぼしき少年が連れ立って歩いている。

 二人の背丈はちょうど同じくらいで、時折、日傘の骨の先が少年の頭に当たるらしく、「痛いよ、おばあちゃん」というような風情で、少年は頭に手をやる。

二人の歩みは遅く、彼らを追い越したあとで、後ろの方からおばあちゃんの声が聞こえてくる。

 「お前が大きいなったんかなぁ、私が小さあなったんかなぁ」

 孫に向って言っているような、独り言を言っているような、小さな声。

 夕立がきそうな空。






空に落ちる日

ある村で古く小さな社が台風で壊れたあとの話です。


社の建っていたあとには直径1メートル程のとても深い穴があいていました。

村人が集まり喧々諤々。

やがて警察やマスコミ、学者達もその穴に集まりましたが、どんなに偉い学者が探ってもその穴の底が何処まで続いているのか分かりませんでした。

まるで地球の中心まで届いているような、そんな深い穴です。

誰かが穴を覗き込んで言いました。

「おーい でてこーい」

返事はありません。

次にその男は小石を穴に向かて投げ入れました。

石は音もせずに穴に吸い込まれていきました。

やがて誰にも理解できないこの穴は「埋めてしまおう」ということになったのですが、そこに利権屋が現れます。

村人に立派な集会所を新しく作ることを条件に、その利権屋は村人から穴を買取ります。

そして時が過ぎ、完成した立派な集会所で村人たちの秋祭りが行われている頃、利権屋は官庁を抱き込んで『穴埋め屋』をひっそりと、しかし精力的に始めます。

その穴埋め屋のいちばんの取引先は原子力発電所でした。

「核廃棄物を処理するにはもってこいの穴ですよ!!」と。

全国の原子力発電所は核廃棄物をこぞってこの穴に捨てる契約を行いました。

最初、不安で反対していた村人もいましたが、利益配分を貰うことと、数千年は絶対に安全だということで納得しました。

こうして穴はどんどん活用されていきました。

大学で伝染病の研究に使われた動物の死骸。

引き取り手のない浮浪者の死躰。

その他、都会の汚物のすべてがこの穴に埋められていきました。

穴は捨てたいものは何でも引き受けてくれ、都会の住人に安心を与えてくれました。

都会は汚れなくなり、やがて空も海も澄んできたようです。

その澄んだ空に向って高いビルがどんどん建てられていきました。


時は流れ、ある日のこと。

建築中の高いビルの上で作業員が休憩していると、彼の頭の上で「おーい でてこーい」と聞こえてきます。

彼は空を見上げますが澄んだ青空が広がっているだけです。

気のせいかな? と思い、再びビルの立ち並ぶ都会のスカイラインを眺めて悦に入っている彼の横を小石がかすめて落ちていきました…

*―――――*―――――*―――――*―――――*

およそ40年前に発表された星新一のショートショートの中の一話、『おーい でてこーい』のあらすじです。

このプロットが元々は何処にあるのかなんて問題ではありません。重要なのは40年以上も前に”穴の結末”が既に分かっていたということです。

この物語の登場人物はすべからず皆一様に愚かです。

利権屋も、村人も、官僚も、学者も、原発、都会の住人も。

でも…

ラストシーンで作業員は欲の象徴であるビル群にみとれて、小石が落ちてきたことに気が付きません。

如何にも滑稽です。

では現実の世界ではどうか?

小石どころか、もう既に放射能が穴から落ちてきているのに未だ気づかずにいるなんて、こんな馬鹿げた話は達人・星新一をもってしても当時は想像も出来なかったでしょう。

風刺物語の登場人物を軽く凌駕して、天才の想像を絶する程に僕たちはとても、とても愚かで滑稽だ。



<カクテル・スカイダイビング>


自分は穴を利用してこなかったとは言わない。

その代償として、今度はいつか自分が空に落ちる日がくるのだろう。

でも、その時までしっかり空をみて、耳を傾けようと思う。

穴の上に再び社を建てることができるように。










2013年8月7日水曜日

朝顔のための早起き

八月過ぎてやっと朝顔が咲きました。




 水月という名の青。

 夢かウツツか、ウツツが夢か。

空蝉

★先日のこと。

朝4時から滋賀県・草津の蓮の群生地と水生植物園に車で向かう。


 途中、京都から大津に入る前にひとつ峠を越えるのですが、そこは源氏物語でも有名な逢坂の関です。

 恩讐めいた話の多い源氏物語にあって、空蝉の物語、とくにこの逢坂の関の最後は美しくて一番好きな場面です。


 ★目的地に着く。
 辺り一面の蓮に圧倒されながらも写真を撮る。
 昔は蕾の写真が多かったように思えるのですが、今は盛りの過ぎた、散りかけの華に惹かれるのです。


午後の死

歯の詰め物が外れたので、先日から歯医者に行ってます。

 今日が二回目で歯石を落として終りのはずが、ムシ歯が発覚!
お盆あけから治療開始です。

あぁ、ドリルで...
 (T ^ T)


こんな日のカクテルは「午後の死」というアブサンをシャンパンで割ったもので。

このカクテルはヘミングウェイが自殺を試みたとき、火薬を口に詰め込み、発火させようとしたのですが、あえなく失敗。火薬の余りのマズさに手元にあったシャンパンでクチを濯いだのが始まりで、その後、あの刺激が忘れられなくなって、火薬をシャンパンで割ってたそうですが、その後、一般に手に入りやすいアブサンに変わったという事です。

 因みに午後の死とは闘牛の始まる午後五時の事を指しています。
 次の歯医者の予約、五時からなんですね、コレがまた。
(ー ー;)


2013年7月26日金曜日

酒は大人のミルクです。

本日、Bar月読の営業中にフェイスブックでつながっているお客様から真顔でこんなことを言われました。

「フェイスブックに”あの手の”記事をあんなに載せて大丈夫? お客さん、減りませんか?」と。

ご心配、ありがとうございます。…大丈夫じゃないかも(笑)

ただ月読を開店してからもうすぐ9年。
 その間、”あの手の”話をFBやブログでしても決定的なダメージは受けないように店を築いてきたつもりですし、もしそれでダメになるようでしたら僕の負けなのでしょう。

その時は店を…閉めませんよ。また一からやり直すだけです。

そもそも僕はイデオロギーについて話したい訳ではないし、特定の政党を批判している訳でもないのです。

 ただ現・与党の党首の方針が”人として間違っている”と思うだけで。

 そしてそれは無視できるものではなく、自分や家族や友人、それからもしかしたらこれから出会うかもしれない誰かの生命に関わることなので。

実際、先のお客様から心配していただいた通り、本来、バーテンダーはこういった事に対して自分の意見を明確にはしません。例えお客様から直接、尋ねられたとしてもです。

 でも今、メディアがまったく信用できないじゃないですか。国営放送でさえ原発と関わっていて。
 メディアが知っていることを公表しないのは”何もしてない”ではなく”悪質な嘘つき”だと思っています。

 そしてそのことに対して、僕はもの凄く嫌悪感があるので、もし自分がお客様が減るからといって口を噤んでいては、スポンサーの威光を恐れて事実を黙殺しているメディアとたいして変わりないように思えるのです。

月読は9年前からそういう店だったし、これからもそういうスタンスです。(もちろん店では言いませんよ。その代わり”書く”分には読んだ人が「月読には行かない」という選択ができますから)



『デュカスタン・ファーザーズ・ボトル』という哺乳瓶の形をしたブランデーがあります。

フランス、時の首相が国民に向って「酒を飲まずに家に帰ってミルクでも飲んでなさい」と言ったことに対する皮肉と反抗から「酒は大人のミルクだ!!」と作られたボトルです。

”酒を飲むな”というのは”オトナになるな、従順なコドモでいなさい”という暗喩があります。

フランス国民はその時、見事なユーモアで『NO』を示しました。

翻って今の日本。

「知恵をつけるな、コドモでいなさい」と、安っぽい砂糖で甘く味付けられたアベノ・ミルクを飲まされて。

そんなことで喜んでいてホントにいいの?

扉の向こうで高級ブランデーを飲みながらほくそ笑んでいる奴らが確かにいるのに。

2013年7月19日金曜日

アトノマツリ

★終わっていない。

祇園祭、毎年17日の山鉾巡行が終わると祇園祭も終わったと思っている人が多いのですが、実はこれは『前祭』と呼ばれるもので、1週間後の24日に『後祭』というものがあるのはあまり知られてはいません。

昔は山鉾巡行も行われていたのですが現在は御神輿だけです。(来年から復活させるという話もあるようですが)

豪華絢爛な前祭に比べて、昔から後祭は地味で見応えが無かったようで、諺にいうところの『後の祭り』(時期を逸して用を成さないこと)はここから来ているようです。



*―――*―――*―――*―――*


ねえ、知ってるかい?

子供は放射能に被爆してハタチまで生きられないみたいだ。

両親はバクダンが落ちてきた夜から何処を探しても見つからないし。

絶望した老人は自ら首を括るのが流行りなんだって。

そういえば昨日、友達は赤紙がきて遠い国に人殺しに行ったよ。

でも武器を持つのが嫌だと言った弟は今、暗い檻の中に居るはずなんだ。

僕かい? ゴメンよ、これから君を撃つとこなんだ。だって君はムコウのクニの人だからね。



仕事、充実していますか? 順調なのに残念ですね、お国のためにならない仕事はもう許可が下りないよ。

そちらのあなたも忙しそうですね。ああ、増設ですか、原発の。



あなたの作品、好きだったな…楽しみにしてたのに。彼の絵も、彼女の写真も、あの人の彫刻も…でも全部、政府の決めた公序良俗に反するからね。


もし君が望むならギターもピアノも弾けるんだよ。ただし軍歌だけだけどね。


*―――*―――*―――*―――*


絵空事ですか? こんな世界はTVや漫画の中だけですか? いいえ、明後日が幕開けですよ。

好きなものを守るために何が出来ますか?

戦う方法を知っていますか?

考えるのは億劫、行動するのは面倒ですか?

誰かがどうにかしてくれますかね?


何もしないで数年後、こんな世の中が来たときに、あなたはどうしますか?

大声出して泣きますか? 嘆きますか? それとも喚きますか?


それを『後の祭り』と言います。








2013年7月17日水曜日

マツリゴト

山鉾巡行が終わりました。

昨日、月読は定休日なので宵山に行ってきました。祇園祭はスサノオの尊の力をもって疫病を振り払うためのお祭りですから、月読(の尊)とは兄弟なのです。

スサノオの尊の効力かどうかはともかく、現代は疫病が大流行することもなく、他の多くの祭りがそうであるように五穀豊穣の祈願もまた今日は満たされています。

たぶん今、祭の意味は『平和賛歌』。

本来、『祭事』と『政事』は語源が同じ『奉事』から来ていますが、現在の為政者の『政事』は平和賛歌ではなく、戦争、弾圧、利権といったものです。

祇園祭の格式が整ってからの長い歴史の間に2回だけ祇園祭が行われなかった事があります。

応仁の乱と第二次世界大戦。いずれの理由も戦争でした。

たとえ戦争がなくても、迷彩服を着て銃を構えた警備兵に抑えられながら観てまわる宵山や山鉾巡行、アリですか?


出来ることはひとつだけしかありません。

来年また、同じ音色の祇園囃子を聞くことが出来ることを願って…


2013年7月16日火曜日

虹の味

★先日、ウイスキーの試飲会に行っていろいろ飲んだ挙句、やっぱりこれが断トツに美味しいということで再び東京の酒屋さんに発注。

最後の1本だった。



『シングルモルト ブラックアダー/ロックランザ12年』

このボトラーズブランドの出しているロゥ・カスクシリーズは、フィルターを使わず、カラメル着色も行わずに樽の中身をオリ(沈殿物)もいっしょにボトリング、除去しているのは樽由来の大きな木片だけで、ボトリング工程で失われる量は0.5%未満という、ほぼ樽の中身そのままというウイスキーの逸品です。


普通、ウイスキーを何種類かの樽(シェリー樽とかバーボン樽など)を使って寝かせると、多様な香りがひとつにミックスされた完成品になるのですが、このロックランザはそれぞれの香がまるでバームクーヘンの層のように独立して存在しています。

杏 マンゴー パイナップル チョコレート コーヒー バニラ…
口に含むとその香りや味が順番に現れて来ます。それらが”渾然一体”というのはよくあるのですが、”独立して存在”というニュアンスは初めてでした。

虹を口に含んだらかくや、というようなウイスキー。

少数生産品なのでBar月読で手に入るのはたぶんこれが最後の1本になるでしょう。モルト好きの方には是非、飲んでいただきたいウイスキーです。



2013年7月15日月曜日

サンタマリア

★今年の2月以降、Bar月読でスタンダード・ラムは沖縄・伊江島産のサンタマリアに変更しました。(FBやブログで再三書いていますが)

Barにおいて日本産のスピリッツ(ジン・ラム・テキーラ・ウオッカなど)をメインに据えるというのは大変珍しいことで、大リーグで例えるならイチローやダルビッシュくらいの突出した実力が必要です。このラムのキャラはどちらかというと野茂みたいな感じですけど…

ともかく、まさか自分の店で国産スピリッツを中心に使用するなどとはカケラ程にも思っていませんでしたが、この大抜擢は結果的に大成功で、お客様の評判も上々です。

ただ在庫がなくなると通販で取り寄せなければならないのが玉に傷。昨日、まとめ買いして一安心(と言っても4本ですが)。

京都でも常時購入出来るようになって欲しい気持ちと、でもあまりメジャーになって欲しくない気持ちと両方あって複雑です。


2013年7月6日土曜日

スコットランドからの謎かけ

今年5月中頃、Bar月読の営業中に宅急便が届いた。
たまに通販で酒を注文することがあるだけれど今回その覚えはない。ただ配達員の人が抱えてきた荷物はボトル一本くらいの大きさに相違なく、差出人の名前を見る前から少しばかりの予感はしていた。

受け取りのサインを済ませ、差出人の名前を見る…が、名前はなく、恐らくは酒であるだろうと思われるその小包を送った東京の某酒販会社の名前が書かれている。
この会社ということは、やっぱり…

さらに遡ること5月3日(金曜日)
月読のご近所で料理屋を営んでいる友人より営業中に電話がかかる。
こちらに二人組みのお客様を紹介していただけるらしい。

ただ、ちょっと心配だったのはその内の一人がウイスキーのボトラーズブランドのマネージング・ディレクターだということ。それでもって、「ウイスキーが飲める(食後酒として)バーはこの辺にあるか?」ということらしいのです。



ちょっとだけ『ボトラーズブランド』の説明をしますと、シングルモルト・スコッチウイスキーの蒸留所は自分の所で造ったウイスキーにはその銘柄に蒸留所の名前をつけます。例えばマッカラン蒸留所で造られて瓶詰めされたウイスキーは『マッカラン』という名前のシングルモルトウイスキーとして売られます。グレンリベット蒸留所のウイスキーは『グレンリベット』というウイスキー名です。(稀に例外あり)
これらの蒸留所が自分で造り、自分で熟成させ、自分で瓶詰めしたものをシングルモルトの世界では『オフィシャル』とか『オフィシャルもの』という風にいいます。

ところが『ボトラーズ・ブランド』というのは蒸留所を持たず、例えばマッカラン蒸留所から出来上がったウイスキーを買い付けてきて、独自の樽や熟成方法で仕上げて瓶詰め、販売する業者の総称です。
もし僕が『月読ボトラーズ』という会社を立ち上げて、グレンリベット蒸留所から樽を買ってきたとしましょう。でもそのままではオフィシャルと同じなので売れません。何故なら消費者だって中身が”同じもの”ならそれを造った本家の蒸留所のものが良いというのが心情でしょう?(値段の違いはさておき)
そこでボトラーズは工夫する訳です。オフィシャルが使っていない樽で風味付けをするとか、原酒のまま加水せずに売るとか、あとは着色しない(オフィシャルのものは殆ど着色されます)、オリを取るために普通はフィルターをかけるのですが、それをせずに原酒そのままの味を出す…といったように。
そうして例えば『月読ボトラーズ グレンリベット 15年 大吟醸カスク 無着色 ノンチルフィルター』というような銘柄が完成し、オフィシャルの味を既に経験したファンの興味をひくのですね。

こういった訳でシングルモルトの世界ではオフィシャルのものよりも、ボトラーズものの方がよりマニアックな世界を形成するのも事実なのです。





さて、話は戻ります。
ボトラーズのマネージング・ディレクターが観光の道すがらとはいえ、来店されるのは一大事です。月読の品揃えにそれがあるといいのですが、もしないと――――。
果たして、それは危惧した通りなかったのです…

その人は最初、少しがっかりしたような表情を見せましたが、気を取り直して「関西には少ないケド、東京にはとても沢山取り扱ってくれている大きな酒屋があるんだよ」と言っていました。

そしてかなり長い時間、いろいろ話をさせてもらっている中で(もう一人のお連れの方に通訳をしてもらいながら)、「あなたの会社はどんな蒸留所の原酒を扱っているのですか?」と僕の質問に対し、「いや、蒸留所(元の酒)は問題ではない、大事なのはどんな樽を使って仕上げるかだ!!」と一点張りの答え。
ん―――、ボトラーズブランドの方だからそういう答えになるのは判らなくないけど、消費者にとってみたら、幾つかある商品の中から使われてる樽と原酒(蒸留所)の味をヒントにその味を想像して選ぶのに、蒸留所がわからなければ選べないじゃないか?…と思っても言えない。いや、言いたかったのだけれど語学力のなさと、通訳をしてくれているお連れの方に少し疲れが見えていたので遠慮しました。

その他にも幾つかボトラーズの樽についての質問をした(通訳してもらった)のですが、元来、日常英会話もままならないのにこちらの真意がちゃんと伝わっているのかどうかは不明です。

それでも、お連れの方が言うにはこんなに彼がBarでお酒の話や自分の会社のことを饒舌に話すのは見たことがないということなので、まあ半分くらいしか通じてなくても、愉快に過ごして頂いているのなら良かった、と一安心。

さて、彼は月読に来る前にもうすでに日本酒を何杯か飲んでいて、ここに着てからはアイリッシュ・ウイスキーを飲んでいました。このアイリッシュの銘柄と彼の名前がリンクするからだというのが理由だったけれど、おそらくは自社ブランドのボトルがなかったので、敢えてスコッチを避けてのことだったと思われます…(ゴメンナサイ)

そしてその1杯目のグラスが空になって次の注文をするとき、彼はとても不思議なことを訪ねてきました。

僕の立っている後ろには棚があって、売り物のボトルが並んでいます。そのうちの1本を指さして「そのウイスキーはピーティーかい?」(個性的な強い香がするかい?という意味です)と。

彼が指さしたボトルはオフィシャルブランドの『カリラ12年』でした。
何が不思議か、というとこのカリラというモルトは数あるウイスキーの中でもかなりの個性派で強くクセのある香りがすることで有名です。しかも数多く市場に出回っているので珍しいものでは決してないのです。

つまりその道の専門家にとってカリラがピーティーであることは明白で、日本人が納豆の臭いを(敢えて“匂い”とは書かない(笑))知っているのと同じくらい当たり前の事実なのです。


さあ、ここでこの意表を突いた質問に僕は頭をフル回転させてその真意を考えます。たぶん1,2秒の間に目まぐるしく。

まずもう少し時間を稼ぐ。

「えっ?  …これ(カリラ)のことですか? 隣のものではなくて…」

「そうだ。そのボトルだよ」と彼が言う。

僕は光速で考える…
えっ、えっ? 何だ? 彼がカリラを知らない筈ないやろ… 
何か意味があるはず…
日本人のバーテンダーはカリラを知らんと思ってるのか?
いや、違う。“僕が”カリラを理解しているか確かめてるのか?
いや…まあ、それは有りうるか…
でもしかし、自分の店の棚にあって売り物にしているボトルの味を知らん訳ないやろ?

と、こんな考えを頭の中で瞬時に巡らせながら…
あっ、と閃く。
解った!! 危ない、危ない…

僕はカリラのボトルを棚から取り出し、
「ええ、もちろんカリラはとてもピーティーですよ」と答える。
ただし、グラスに注ぐ時はそのボトル、中身があと2杯分くらいしか残っていないカリラを棚に戻し、奥のストックから新しいボトルのカリラを手にして、少し笑いながら彼の顔を見る。

彼はその新しいボトルを見て「フフン!」と鼻を鳴らしたように思う。

ようするに彼は棚にあった残り少ない量のカリラを見て(ボトルの中に空気の割合が多くなったウイスキーは劣化が早く、早く飲みきらないと、どんどん香りが弱くなってゆくのです。とくにカリラのような個性的でクセのあるものはその傾向が顕著)、「そのボトルは大丈夫か? 残り少ないまま、長く時間が経ってないか? 本当にまだピーティーなままかい? もし君がピーティーだと答えて、飲んでみて香りが抜けていたら失格だよ」ということだったと思われるのです。
…あくまでも想像ですけどね。


そんなこんなでカリラを彼に注ぎ、暫く時間が経ってから、また彼が僕に質問をしてきました。

「君のいちばん最初にインパクトを受けたシングルモルトの銘柄はなんだい?」

(通訳してもらって答える)
「僕が初めてウイスキーを飲んだ頃はまだシングルモルトは日本では珍しく、殆ど見かけなかった。だからバランタイン(ブレンデッド・ウイスキー)とかになるのかなぁ…?」

後から考えると、この時、僕は彼の質問の意図を正しく理解していなかったのだろうと思われます。

彼は少し困ったような顔をしたように見えた。
(この時、すでに彼は自社ブランドのシングルモルト・ウイスキーをプレゼントしてくれるつもりでいて、僕の好きな蒸留所のウイスキーを知りたかったのでしょう)

僕が的確な答えを言えないままだったので、彼はボトルが並んでいる棚からヒントを自分で探そうと考え体勢を変えた時、肘がカリラのグラスに当たって溢れてしまいました。

そこで僕は新しいグラスを彼の前に用意して、カリラの代わりにアランのマネージャーズ・チョイスというシングルモルトを注ぎました。
「これは溢れたカリラの代わりで店のサービスですよ。ああ、このアラン・マネージャーズ・チョイス(普及品のアランではなく、限定品の特別仕様のアラン)は一番最初に感動したものではないけど、ここ数年内では別格に美味しいと思ったモルトですね…」

これを聞いたとき、彼は子供のようにいたずらっぽい笑顔をしながら、なにやら隣のお連れの方とヒソヒソ話。時折、チラッとこっちを見てはまたヒソヒソ。



―――――そして時間が過ぎ、お会計。

「あなたの会社のボトルがなくて申し訳なかったです。ここをあなた達に紹介してくれた料理屋の主人は僕の友達なので、気を利かしてここを勧めてくれたのですが、近くに大きな規模の有名なバーが他に幾つかあるので、そこに行っていたならきっとあなたのブランド・ボトルが置いてあったに違いないのですが…」

僕がこう言うと彼はこう返しました。

「それは違う。この店は小さいかもしれないけれど、私のカンパニーも小さいのだ。小さいからこそ、創意工夫があり、大手にはない楽しみがあるのだよ。事実、私はここに来てとても楽しかった」と。




さて、後日―――――。
彼から贈られてきた包を開けると小さなメッセージカードと共に、『ロックランザ』というシングルモルトが1本。もちろん彼のボトラーズ・ブランドの品です。

営業中でお客様が居たのにも関わらず、思わず声をだして笑いそうになりました。
何故ならメッセージカードには走り書きで「サンクス」の意しか書かれてはいなかったのですが、贈られてきたボトルそのものにメッセージがあったからです。

「君にこのボトルの意味が解るかい?」と。

シングルモルトは樽に入れて長い年月を寝かします。
稀にその間、蒸留所の実質は同じままでも、名前が変わることがあるのです。前記で説明したとおり、シングルモルトは蒸留所の名前と同じですから、蒸留所の名前が変わるとそのモルトの名前も変わります。

――――― ロックランザ。

それは十数年前の蒸留所の名前です。

現在、その蒸留所の名は――――― 『アラン』

「Yes! 君のお気に入りの蒸留所だよ」

彼のいたずらっぽい顔が見えた気がした。

2013年6月28日金曜日

2013 6/30 の特別営業日について

★数日前に当ブログでもご案内させて頂いた6月30日(日曜)の特別営業日について、今回は手染メ屋さんのイベントでも使っていただける関係上、月読に初めて来てくださる方も少なくありません。

それと手染メ屋店主の青木さんと長丁場を会話でやり取りするという大雑把な企画上(ホントに大丈夫か?!)、大方の話題は引き出しの多い青木さんにお任せ…というか丸投げするとして、お酒に関してはあらかじめ話のネタになりやすそうなものを幾つかピックアップしておこうかと思います。

ただ、これから挙げるものは少々マニアックなものになりますが、当日は普段と同じ営業体制、メニューで行いますので、とくにこれらのお酒の話題にこだわらなくても大丈夫です。

一応、Bar月読(の店主)はこんなメニューを好んで置いています、ということのご紹介です。もし興味がお有りでしたら青木さんと一緒に酒の肴にしていただければ幸いです。


えー、あと、ご紹介するメニューに当店ではカッコイイ名前のオリジナルカクテルなんかがあるわけではありません。

水割りとかハイボールとかジントニックとか、いたって普通です。なのでそのまま載せると、ちょっとしょぼくてガッカリした感じになってしまいます…

そこで思い切って『究極の』とか『至高の』とかゴージャスな形容をしたいと思うのですが、世界基準ではありません。国内基準でもありません。エリアは富小路通り内、押小路から御池通りの間限定での『究極の~』です。そこは宜しくご了承下さいませ。(そのエリアに他にBarはない。つまりは当店比較です!)




☆『発想の転換で作るちょびっとだけ究極なシングルモルトの水割り』


もともと水割りというのはウイスキーに最も大切な香りを無くしてしまう作り方です。とくに香りの個性を楽しむジングルモルトでは初めから”美味しくなくなる”と分かっていて作るカクテルの一種なのです。その弱点を如何にして克服するか?という水割りです。




☆『ウイスキーの銘柄を選択してそれぞれ違う香りを楽しむ、フルーツの薫るハイボール2種』


ハイボールは銘柄を選ぶことで香りの違いを明確に楽しめます。
今回はとくにビタースイートな柑橘系の香りがする銘柄とメロンやスイカなどの瓜系フルーツの香りがする銘柄を2種、ピックアップして楽しんでいただきたいと思います。



☆『究極のジンジャーエールで作るいくつかのカクテル』


これは正真正銘、究極のジンジャエールです。
アメリカ産、オーガニックのジンジャエールで生姜、砂糖、水だけで作られています。香料が一切使われておらず、そのため柑橘系果汁との相性も抜群です。
ジンバック、モスコミュール、シャンディーガフなどの他、軽いアルコールのカクテルも美味しく作れますし、もちろんソフトドリンクとしてもお飲み頂けます。




☆『オツマミとの相性を楽しむ至高のラム』


沖縄は伊江島産のラム、サンタマリア。ラムの生産は中南米やカリブ諸島がメッカながら、ホワイトラムにおいてこれ以上の美味しい銘柄を知りません。
カクテルにしてももちろん美味しいのですが、とくに今回はオーガニックの黒糖胡桃とのマリアージュ(二者ともサトウキビが原料)をストレートかロックで楽しんで頂くのを推します。
もっとも強くて飲めない方にはカクテルにしてご提供させて頂きます。




☆『幻のウイスキーを飲んでみませんか?』


かつてサントリーがまだ山崎などのモルトウイスキーに力を入れていなかった頃、「ザ(ジ)・ウイスキー」と名付けられたブレンデッドウイスキーがありました。
陶器ボトルに入った当時の最高級品であったのですが、もう既に終賣となっており、現役バーテンダーでさえ飲む機会は殆んどないであろうというウイスキーです。
飲みやすさ、まろやかさを徹底的に追求した幻のウイスキー、飲んでみませんか?
無くなり次第、終了ですが、当日に限り原価以下の1000円でご提供致します。





☆『究極のカシスと力強いオレンジ』


フランス産のオーガニック・カシスです。手づみされた無農薬のカシスをワイン(普通はホワイトリカー)に漬けて作られた、古来よりの製法で作られたカシスです。

これでカシス・オレンジを作りたいのですが、問題はオレンジの品種です。一般には海外産の”オレンジ”が使われるのですが、実はこの輸入オレンジ、その個性自体が元々そうであるのと同時に、大量生産で農薬漬けで作られているので味が脆弱です。これは家庭でも果汁を絞ってもらうとよくわかるのですが、甘味はあっても酸味やアクはなく、果汁も少ないです。何よりジュースにして飲んでみてもまったく美味しくはありません。
オレンジのカクテルに使う品種は日本の夏みかんの系統がもっとも美味しく作ることができる品種だと思います。実際に飲んでみると果汁が多く、リキュールや蒸留酒に負けない酸味がしっかり備わっているのがよくわかります。
(当日、いい柑橘が手に入ればメニューに加えますが、無い場合がありますのでご了承下さい。)
甘いのが苦手な方やもっと強いアルコールが欲しい方にはジンやウオッカを使ってオレンジブラッサムやスクリュードライバーなどをご提供致します。




☆『本物のトニックで作るジントニック』


元々トニックウオーターはキナの皮から抽出されるキニーネがマラリアに効果があることが判明して、熱病対策に作られた飲み物ですが、残念なことに日本においてはこのキニーネが禁止薬物としてトニックウオーターには使われておりません。代わりに人工的なキナ・フレーバーが使われています。ところが近年、日本でもキナ入りのトニックウオーターが発売されました。『フィーバー・ツリー』というトニックウオーターがそれです。

これを使って作るジントニックはやはり味が少し違います。夏には暑気払いの効能もあるので是非一度、お試しください。

詳しくは以前のブログ記事「ジントニックは危険な香り」を参照下さい。






もう少しご紹介したいお酒もまだまだあるのですが、”前振り”としてはこの辺で。

では当日、宜しくお願い致します。