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2013年11月14日木曜日

苦い友人

何気なく本棚に目をやったとき、懐かしいものと目が合った。

 『ふたごのでんしゃ』

 小さい頃に一番好きだった本。正確には”寝付くまで何度も繰り返し読んでもらった児童書”。

古い友達といえるかも知れない。

 当時から40年以上過ぎた今、この古い友人と意思の疎通ははかれるのだろうか。

 読むのを少し躊躇う。



 古い友人といえば、カクテルにオールドパルというスタンダードなものがあるのだけれど、このカクテル、殆どのカクテルブックに載っているにもかかわらず、その由来は書かれていない。

わずかにある情報といえば、禁酒法時代以前からある古いカクテルということと、名前の良さだけでスタンダードカクテルになったとかいう酷い説明だけ。

たとえばマルガリータなんかは狩猟に出かけて流れ弾にあたって亡くなった恋人を偲んで創ったというエピソードが有名なのでロマンティックな場面でよく使われる。つまり恋のカクテルという訳で、これなんかは注文するお客様の方も、お任せで頼まれて作るバーテンダーの方も非常に”意味”として扱いやすいカクテルだ。



ところがオールドパルはそう簡単にはいかない。例えば同窓会の二次会なんかで連れ立ってバーに行ったときに頼めばいいじゃないか、と思うかもしれない。けれどそう簡単ではないのだ。

 残念な事に味が万人受けしない。

マルガリータは多くの人に愛飲される爽やかで甘酸っぱい味であり、『亡き恋人を偲ぶ』=『マルガリータの味』にちゃんとリンクしている。

ところがオールドパルはアルコール度数が強くて苦い。材料はすべてお酒、そして味の決め手はカンパリという、よく知られた苦味のあるリキュールが中心となっている。

ベースのお酒はライウイスキーというパンチの効いた癖のあるアメリカ系ウイスキー。

どうしてこれにオールドパルなんて名前を付けたのだろう?

 『古い友達』は穏やかで優しく、温まるような甘い香りを醸すカクテルであるべきだったのではないのだろうか?

レシピを考えてもアメリカ生まれの癖のあるローカルな酒+イタリアンなカンパリまでだと、何となくゴットファーザーなんかをイメージ出来るのだけど、そこにフランス産のベルモットまでもが混ざってくるとオリジナルを創った人の意図が見えなくなってくる。

 古い友人のイメージは苦甘いだろうか?

 少なくとも僕が古い友人を思い出すとき、そこに苦さは感じないのだけれど。



カクテルだけでなく酒全般にいえることなのだけど、単に味が美味しいかだけでなく、そこに内包された意味やあるいは風景や歴史なんかを頭の中で味わうという楽しみも存在する。

クラシック音楽なんかでもそうだけど、ピアニストがその楽曲をどう解釈するかで旋律が違って聴こえるように。

つまりカクテルでもオールドパルのようなタイプはオリジナルの創り手の意とは違ったとしても、今現在の作り手や飲み手がどう解釈するかで味が変わり、違う楽しみ方が増すのだろう。



 『ふたごのでんしゃ』を読まずにテーブルの上に置いて暫く眺めてみると、物語の内容よりも遠い日の風景のほうが先に頭の中に浮かんできた。

いつの間にかソファーの隣に小さい頃の自分が横に並んで座っていて、両足を前後にバタバタさせながらテーブルに置かれたふたごのでんしゃを「早く読んでくれないかなー」というように少し距離をとってじっと見ている。

 今現在の僕とは違い、瞳はまだ綺麗に澄んでいる。

 過去のそれぞれの場面に在る自分自身、これもまた『古い友達』なのだろう。

 彼等と対面するときは甘く、そしてちょっとだけ苦い。

 僕はオールドパルをそう解釈することにした。




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