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2017年12月30日土曜日

年末年始

~ お知らせ ~

昨日、12月29日をもちまして、2017年度の営業を終了いたしました。

年明けは3日より営業いたします。

よろしくお願いいたします。


2017年12月20日水曜日

カウントダウン

月読は今月の上旬に、開店してから13周年を迎えました。(いま14周目にはいっています)

お世話になった方々、またお越しいただいたお客様方、誠にありがとうごさいました。

以前、木屋町で営業していた店から、今の場所に移ってくるときには、常連のお客様から「そんなとこに移って大丈夫か?」と驚き、あるいは心配されたものですが、この10数年でこのあたりも飲食店が立ち並び、聞くところによると”bar”と呼ばれる店だけでも15店舗近くもあるそうです。今や『御所南』はれっきとしたブランドです。



開店した当初は「10年続けられるかな…?」なんて遠い先のように思っていましたが、あっという間に干支を一周してしまいました。

御所南の景色が変わっていったように、10年の月日というのは、世の中の一切合切をいろいろと変えていきます。

月読が開店したとき、この建物はすでに築96年だったので、今では約110歳という高齢になっています。

見ず知らずのこの場所で営業を始めたとき、親切に声をかけていただいた隣の家のおばあさんも、今は姿がなく、その家は更地になっています。

この辺り一帯の地主さんが亡くなって、別の地主さんに譲渡され、それに伴い不動産屋も入れ替わりました。来年の今頃、この場所には新築のマンションが建っている予定です。

…という訳で、来春にはこの建物は取り壊しになり、bar月読は閉店することに至りました。

今日はそのご報告です。



当初、この建物に決めた理由は、大きな窓があったからでした。月読というbarは閉鎖的な空間にはしたくなかったのです。

毎年、春には店の窓から桜の花を眺めて過ごすことができました。それはとても幸せで豊かな時間だったのですが、残念ながら次の桜の開花を待たずに閉店することになったのが心残りです。

…が、これもテナント物件の宿命です。



本来ならば…
気持ちとしては、お世話になった方々に直接お会いしてお伝えしたかったのですが、こういった方法でのご報告をご容赦下さい。

あと、おそらくは尋ねられる事柄なので、先にお伝えしておきます。

「次はどうするのか?」

…現時点ではまだ未定です。
第一希望としては『髪結いの亭主』がいいのですが。w

「営業の最終日はいつか?」

…月読はこれまでの13年間、周年記念のパーティというものを行なったことはありませんでした。
これには諸所の理由があるのですが、それは置いておきまして、最終日も決めず(告知せず)に終わりたいと思います。

最終日を特別なお祭りの日にはせず、日常のままの営業で普通に過ごして、翌日にそっと蝋燭の火を吹き消すように、密やかに閉店させていただきます。

いろいろとご意見もありましょうが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。(少なくとも冬が終わるまではやっています)



…それではあと少し

短い間ではありますが、
bar月読でのお付き合いを、よろしくお願いいたします。

                                                 bar月読 店主

2017年11月9日木曜日

今、そこにあるフジツボ


人間の記憶というものは、ときに曖昧で、しかも本人が思っている以上に早く忘れてしまうみたいだ。

さらに厄介なことに、忘れたはずの記憶がなにかの拍子にとつぜんと思い出したりすることだってある。

曖昧な記憶をとつぜんに思い出したりしても、はたしてその記憶は信用に足るものなのか?

この世はいつだって藪の中。なにが正しいのかなんてわかりはしない。

ただし記憶のなかでも、かなり信用に足るものだって存在する。それはフィジカルな体験として覚えた記憶。いわゆる『身体が覚えている』というやつだ。

たとえば大人になってから、子供のころに遊んだ竹馬にかんたんに乗れてしまったり…あ、そういった意味では自転車の方がわかりやすいだろうか。1度でも自転車に乗れるようになったら、どれだけ間があいても乗り方を忘れたりはしないものだ。

そんな『身体が覚えている記憶』のなかで、たぶん珍しいカテゴリーにはいるものを僕はもっている。


フジツボの記憶。

僕の父の実家(つまり祖父母の家)は、京都の北部、日本海に面した丹後地方の久美浜というところにあった。(過去形なのは、もう2人とも鬼籍に入ってしまったからだ)

僕が子供のころは、夏休みになると久美浜に数週間のあいだ泊まりにいって、思う存分に海水浴を楽しんだ。久美浜の海水浴場はどこも白砂の遠浅で、子供が遊ぶには適していたのだけれど、水と砂しかないところでは子供だってやがて飽きてしまう。そんなときは、海水浴場の端っこの方にある岩場に探検に出向くのだ。

ところで、泳いでいるあいだは、とうぜんのことながら素足だ。岩場(海の)で遊んだ経験のある人にはよくわかると思うのだが、岩場を素足で歩くのはとてもキケンなのだ。(そもそも歩くと普通に痛いし)

なにがキケンか?

フジツボである。
(フジツボの説明、いらないよね?)

フジツボの上を歩くと、富士山の火口のような鋭利な部分で足の裏を切ったりする。(ちなみにフジツボの語源は中国の”藤壺”であり、形が日本の富士山に似ているからではないらしい)

それでも子供はいちいち気にして遊んではいられないから、何度かはフジツボで痛い目にあう。そこで体得するのだ。フジツボを踏まない方法を…ではなく、不意にフジツボの密集地帯に足を置いてしまったとき、どうするかを、だ。

岩場の影に足をおろしたとき、過去の痛い経験から、頭の中で「あ、しまった⁉︎ フジツボ(の密集地帯)を踏んだぞ‼︎」と電光石火のごとく理解するようになる。

この瞬間、なるべく足の裏にかかる自分の体重をフジツボ密集地帯に対してフラットに保つように心がけ、けっして慌てて動かないようにするのがコツだ。慌てて移動しようとして、体重が斜めにかかるとフジツボの火口で身を切ることになる。

しばらく静止して呼吸を整えたのち、なるべく斜めに体重がかからないよう、細心の注意を払って、ゆっくり、ゆっくりと足を垂直にあげて移動していくわけだ。

垂直軸でバランスをとって静止。これを頭で考えずにできるかどうかが大きな鍵となる。
しかし残念なことに、大人になると海水浴にはいかなくなる。そうするとせっかく体得した『フジツボ密集地帯・離脱方法』も宝の持ち腐れ、記憶の彼方に消えてしまう。いつしか僕の記憶からも、それは深い眠りについてしまっていた。

ある日のこと。
僕は家の掃除をしていた。ひと月に約1週間くらいは、嫁さんが仕事の都合上で九州に行っている。つまり独身生活なのだ。

部屋に掃除機をかけるとき、ふつうは椅子やゴミ箱なんかを別の場所に移動させてからするものだと思う。とうぜん、僕もそうする。

そういった手順を踏みながら、掃除をする最後の場所、風呂場の脱衣場にきた。ここには洗濯機と洗面台なんかもあって、6畳よりもやや狭いスペースだ。

この場所で事件は起きた。

洗面台の左横には、いつもならゴミ箱が置いてある。ただそのときは、掃除機をかけるため、あらかじめゴミ箱を縁側に移しておいたので、そこには何もなかった。いや、”ないはず”だった。

僕は脱衣場の床に掃除機をかけるまえに、まず洗面台の鏡を拭き掃除した。

ひと通りの作業が終わったあと、別の部屋に置いてある掃除機を取りにいこうと、足を踏み出した。

左足、第一歩目。

そこは普段ならゴミ箱が置いてあるはずのスペースだ。

そこに左足が着地した瞬間、僕の身体はキケンを察知した。足の裏にあの遠き日の”火口”を確かに感じたのだ。記憶はいっきに40年を遡り、その眠りを覚ました。

「あ、フジツボ ‼︎」

僕は0.1秒くらいで、身体を垂直軸にバランスをとり、静止を保った。

そして、僕は静止しながら考える。

なぜ、京都盆地のど真ん中でにフジツボがいる…?

いや、世の中は不思議なことでいっぱいだ。もしかしたら、淡水や陸上に生息する新種のフジツボだっているのかもしれない。

でも、それがどうして自分の家の脱衣場の洗面台の横にある、ゴミ箱の置いてあったスペースでなければならないのか?

考えたところで理解不能だ。それで僕は、フジツボ密集地帯・離脱方法の第2ステップにとりかかる。垂直軸バランスを保ったまま、左足をゆっくり、ゆっくりと上に上げる。

僕の左足の裏から、なぜか張り付いていたフジツボが剥がれて、パラパラと床に落ちていった。

青く透き通った色のフジツボ。

フジツボの正体は、夥しい数の使い捨てコンタクトレンズの山だった。

おそらく嫁さんが顔を洗いながら、コンタクトレンズを外し、よく確認しないまま適当に、ゴミ箱が”あると思われる場所”にポイポイと捨てていった結果、京都市北区の一画にフジツボ密集地帯が発生したものと思われる。

井上陽水が『とまどうペリカン』で、

♩あなたひとりで走るなら
私が遠くはぐれたら
立ち止まらずに 振り向いて
危険は前にもあるから♩

と歌っていたけど、まったくその通りだ。

キケンは海水浴場の岩場だけにあるのではない。一人でいる自宅の洗面台の横にもあるものなのだ。

その後、フジツボの件を嫁さんには言ってはいない。この世の事象(主に嫁さんに関する)には、決して『変えられないもの』があるのだということを、僕はもうすでに”体得”し”記憶”ているのだ。

もし今度、うちに遊びにくることがあるなら、そのときはビーチサンダルを持参してもらえればありがたい。

それとも『フジツボ密集地帯・離脱方法』を習得してみる?

僕はきっとその道では優秀なインストラクターになれると思う。







2017年9月14日木曜日

ノルウェーの森

今年、小沢健二が久しぶりに新曲を発表した。

流動体について

僕はとくに小沢健二のファンではないし、新曲が出るたびに興味をもって聞くわけでもない。

むしろオザケンに対しては、「ウキウキ通りを行ったり来たりできる王子様に、庶民の気持ちがわかってたまるか!」という、所詮は持たざる者の僻みをもっている。(ただし『さよならなんて云えないよ』の世界観は素晴らしい)

なのにこの曲を偶然耳にすることになったのは、かかりつけの医者から処方された薬を受け取りに近所の薬局にいった。その店内でFMから流れていたからだ。

もともと僕は歌詞とメロディとの価値を6対4くらいの割合で判断している(もちろん日本語に限るが)。だからこの曲を聞いたときも、同様に歌詞の方が気になったのだけど、その”気にかなり方”はいつもとは違うものだった。

たんに”スキ・キライ”ではないこの感覚。

何だろう、この感じは…

疑問はずっと頭のどこかに引っかかってモヤモヤし続けていたのだけれど、ある日、庭に生った無花果の実を眺めているとき、突然その光が霧を振り払うように射し込んできた。

無花果…

赤い実と緑の葉。


流動体について』の世界観。それは僕にとって、村上春樹著のノルウェーの森を想起させるものだった。(あくまでも主観的にだが)

決してその二者の内容が相似しているというわけではない。あくまでも歌詞の中にもでてくる”平行する世界”としての話だ。

つまり、もしノルウェーの森の主人公である”僕と直子”にとって、別の(平行する世界での)結末があったとしたら。

もし”ノルウェーの森、ハッピーエンドバージョン”なるものがあったとしたら、物語の冒頭で主人公が飛行機から降りてくるシーンは、小沢健二の描いた『流動体について』のようになるのではないか…というのが、僕の勝手な想像である。(それが飛行機であろうが、船であろうが、地下鉄であっても)





30年前、まさにこれからバブル経済が崩壊しようとしていた矢先。僕はまだ大学生であり、当時、何より大事だったことといえば、日本経済の行く末でも、間近に迫った就職活動でもなかった。ただ”彼女がいた”ということが、『絶対的すべて』の事象だった。

当時の僕は、”身勝手な愛情”という名の石炭を一生の間にいちばん大量に燃やして機関車を走らせていた時期だったし、その大量の石炭投入がもたらした結果は、ただ機関車を暴走させただけだった。レールを外れた機関車は彼女を傷つけ、そしてそれは抽象的な意味において、僕自身の自傷行為でもあった。

必然的な結果として、僕は彼女にフラれることになる。

その彼女が別れ際に最後のプレゼントととして、僕に手渡したのがノルウェーの森。表紙が赤と緑の上下巻だった。





『彼女から最後の贈り物』

その謎めいた響きのフレーズは、新たに見つかった23番目の寓意を含んだタロットカードのようでもあった。

そこには彼女からの、何かしらのメッセージがあるはずだったし、僕にとってその隠されたメッセージは”なくてはならないもの”だった。そのメッセージを読み解くことは、僕にとっての最後の希望であり、彼女との残された細い繋がりのようにも思えたのだ。

でも結局はどんなに目を凝らして読んでも、そこにあるべきはずの隠されたメッセージには辿り着けなかった。タロットカードは何度数えたところで結局は22枚なのだ。同様にノルウェーの森は何度読み返してみても、僕にとっては苦く切ない物語でしかなく、ミステリ小説のような劇的な謎解きは…ない。

たぶん、最初に読みはじめたときから、僕は本能的に理解していたのだと思う。そこに隠されたものなんて何もない…”なくてはならないもの”は”あってほしいもの”でしかないということを。

ノルウェーの森の主人公は、物語の最後でこう呟く。

「僕はどこにいるのだ?」 と。

彼女からのメッセージはそこにはない…それが骨身に染みて完全に理解できたとき、僕もまた、僕自身の座標軸を失った。

あのとき、僕はいったいどこにいたのだ?

そうして赤と緑の2冊はブックエンドに押さえつけられたまま、本棚の隅っこで永遠に提出されることのない宿題として、長い眠りについたのだった。





僕にはプロの作家の友人がいる。
彼女は昔、興味深いことを言っていて、小説における文字の”羅列”には美しさがあるというのだ。

物語の内容だとか、文法だとか、”言の葉”の使い方ではない。手にとった小説のページをランダムにめくり、その偶然開かれたページの”文字の並び”が美しく見えるかどうか? それだけで、その小説の良し悪しはほとんど判別できるというのだ。

数学者が数式を眺めて美しいと感じるのと同じように、それはある種の機能的な『造形美』といっていいのかもしれない。





あれから約30年の歳月が過ぎ去ったあと、僕に仕事上の都合で再びノルウェーの森を読む機会が訪れた。

他の本とは見間違えるはずのない、赤い表紙の本。それを静かに、ゆっくりと本棚から取りだし、少し戸惑いながら表紙を開く。

約30年ぶりに読んだノルウェーの森。それは以前に読んだときとはまったく別の小説のようだった。件の小説家がいっていた文字による造形美とはまた別に(もちろんそれも含めてのことだが)、長い歳月に錆びることのなく熟成し、完成された美しい世界がそこにあった。

これが30年という歳月なのだろう。当時、苦く思えたこの小説は、こんなにも綺麗なものだったし、僕は僕で「今、ここにいる」と迷わず言えるようになっていた。





もし、”ここにいる、今の僕”が30年前に戻ることができるとしたらどうだろうか?

いずれにせよ、やはり直子を救うことはできなかったはずだ。そして 自分自身も。

ただ直線上にある過去と未来とは違い、この世界の他に平行する”別々の世界”があるとしたらどうだろう?『流動体について』の歌詞のように。

”僕”と直子が結ばれる『流動体について』の歌詞中の世界もあれば、”僕”と直子がそれぞれの道の先で、別々な幸せを手に入れている世界があってもいい。(そのバージョンの『ノルウェーの森』を是非とも読んでみたいのだが)

たぶん、これが30年目にして辿り着いた僕なりの宿題の答えだ。(提出期限が過ぎてないことを祈るのと同時に、ウキウキ通りの王子様は、やはり名君だったと認めざるを得ないようだ)





そんなことを考えながら、僕は開店前の店でテーブルの上に置かれた赤と緑の本の表紙と、店の窓(2階)から見える、通りを行き交う人々の風景を交互に眺めている。

9月の夕刻。今夜の人通りはいつもよりカップルが多いみたいだ。その中のひと組に、どこか気の弱そうなノッポな青年と、小柄だけれど背筋をピンと伸ばし、少女の面影を残した女性が手をつなぎながら楽しそうに微笑みあって、店の前を通り過ぎていった。

あんな2人を以前どこかで見たような気がする。

できれば、いつまでもこの世界で、つないだその手を離さないように、と願う。



僕はここにいる。そして平行するすべての世界の直子が幸せでありますように。



今夜、僕は酒のかわりに、ほの甘いカルピスを飲む。

もちろん王子様に敬意を表して、だ。








2017年9月1日金曜日

火のないところに煙は立たず

結婚式のスピーチ、定番中の定番。

『3つの袋』の話。

会社の上司とか、お偉いサン、よくある退屈な話だ。

おもしろくもないし、けっこう長い。

早く乾杯したいんだよ。

せっかくのシャンパンの泡が抜けてしまうじゃないか!

胃袋さん、給料袋さん、お袋さん…

さて、それとは別バージョンで、『3つの坂』の話というのもある…らしい。

らしい、というのは、僕が今まで招いてもらった結婚式で、『3つの袋』の話は聞いたことがあるけど、『3つの坂』の話を聞く場面にはまだお目にかかったことはないからだ。

曰く、「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして…魔さか』(このあと説明云々…)

        魔さか

そう聞いても、「あー、そーゆーの、あるある、あるよなー」くらいにしか思わなくて、平常時では取り立て切羽詰まった実感はない。

これまでの人生で『魔さか』の瞬間はいくつもあったはすなのに、時間の流れがそれを何処にでもあるような公園の人目につかない銅像のように、硬く動かない何かに変えてしまう。視界に入ってはいても、過ぎ去った『魔さか』はもう見るこはできないのだ。

その『魔さか』を昨日、見た。

8月の終わりは、夏の終わりを意味する。日差しは昨日よりも弱く葡萄の葉を透かして、涼しくなった風がそれらを揺らしながら吹き抜けていく。8月30日はそんな夏の終わりにふさわしく穏やかな日であったし、時計の針が重なり、31日にかわった時も、店は同じように静かに1日の終わりに向かっていた。

25時半を過ぎた頃、カウンターには常連の女性客がひとりいた。彼女は他の店でビールを約10杯分飲んできていて、かなりクタクタだった。だけど自分では「今日、わたしはそんなに酔ってません!」といっていたので、もしかしたらクタクタなのは、たんに夏の終わりのせいだっただけかもしれない。ただ何れにせよ、その日は平日にしては忙しく、一日中座る間もなかったので、僕もかなりクタクタだった。

だから彼女がピスタチオを齧りながら、その日の通算7回目のアクビをし終わったとき、「もうそろそろ帰ろうか? (閉店時間も過ぎてるし)タクシーを呼ぶよ」と確認して、タクシー会社に電話をして、彼女のチェックを済ませてもらった。(『甘やかすだけが優しさではない』が、この店のモットー第23条だ。もちろん相手にもよる)

やがてタクシーがきて、階段を降りて店の外までいき、彼女を見送る。夏の間、夜中でも鳴き続けていた蝉の声はもうそこにはなかった。

本日最後のお客さんを乗せたタクシーが、御池通りを曲がったのを見届けてから、僕はポケットからキーを取り出し、看板代わりに店の入り口にぶら下げている月の人形の鎖を外した。

そのとき風が吹き、ふっと異臭がした。

最初、タクシーの排気ガスがまだ漂っているのかもしれないと考えてたのだけど、その臭いは排気ガスのそれとは明らかに違っていた。プラスチックなどの化学物質が燃える臭いだった。少なくとも僕はそう思えたのだった。

そこで僕は考えた。外した鎖を手に持ちながら。

『プラスチックの燃えるイヤな臭いは、燃えているときより、火が消えてから、その後の煙の方がよく臭う』

だから最初、「この辺りで、誰かプラスチックを燃やしたんだ。それで”今は消えているから”、こんなに臭うんだ」と…

でも待てよ、こんな夜中に、いったい誰が路上でプラスチックなんかを燃やすのだ?
…ありえない。

でもその化学物質が燃えるような臭いは、微かだけど、まだ辺りに漂いつづけている。
僕はクタクタに疲れているんだ。早く店の掃除を済まして家に帰って寝転がりたい…”魔さか”近所の家が火事なんてことはないだろう。

”魔さか”この近くで、誰かが冷徹な含み笑いをしながら、裏路地の人目につかない物陰で放火をしている最中だなんてことはないはずだ…と考えた。

『魔さか』

…ない、ない。

それで僕は手に電飾人形を持ちながら、階段を上がりかけた。

…いったい何が僕を引き止めたか。

たぶんそれが”ニオイ”の疑問だったからだ。ニオイの判断を誤るのは、自分の職業的生命線に関わる大問題だ。

そのニオイは絶対にそこにあってはならないニオイだった。たとえ夏の終わりの風に乗って遠くから運ばれてきた僅かな異臭だったとしても。

どうしても気になったので、僕は月の電飾人形を手に持ったまま、店の周りの路地を一周して火や煙がどこかの家屋から出ていないか、注意深く見てまわった。

まだニオイはする。

でも周りの家からは、どこからも火の気配はなく、住民はみんな夏の終わりの最後の夜を満喫して静かに眠っているようだった。

路地をひと回りして、店の階段までもどってきた。1階の居酒屋はもうとっくに閉店していて誰もいない。入り口はガラスの格子ドアで、外からドア越しに店内を見ることができるのだけど、今夜はもう電気は消してあり、中は真っ暗だ…

真っ暗…のはずだった。

『魔さか!』

奥の厨房にあるはずのない、ある種の”明かり”が点いていた。その明かりは人工的な電気の明かりではなく、命を持っているように揺ら揺らと蠢く明かりだった。やわらかな夏の終わりにはふさわしくない、強く悪意を含んだ炎のユラメキ。

『魔さか』

下の店が火事だったなんて。

魔さかのとき、だいたいにおいて人はパニックに陥る。僕の場合、8割方パニくっていて、残り2割程は変に冷静だった。

まずパニクって何を考えたか?

☆消防車を呼ぶために電話する。(その間に燃え広がったらどうする? それが最善か?)
☆自分の店の消火器を持ってきて、ドアか窓ガラスを壊して、自分で消火する。(個人プレーで消しきれなかったらどうする? 責任負えるのか?)

☆消防車を呼ぶにせよ、ドアを壊して自分で消火するにせよ、”そもそも本当に火事なのか?” 何かしらのオブジェが光っているだけだったらどうするんだ?)

☆この家屋、古い木造だから、たぶんあっという間に燃え落ちるだろうな。

☆店、再開できるだろうか?

☆今のうちに少しでも貴重品を運び出すか? いやいや、通報が先だろ? でも貴重品ってなんだ? そんな高価な酒も置いてないし、でも備品はみんな平等に大事だよなあ…

☆あっ!、蓄音機をどうしよう。青木さん(手染メ屋の)に謝らなきゃなぁ… 1人では運べないけど、多少傷がついてもいいから、階段から滑り落とすことができないか?

☆まてまて、蓄音機本体はお金さえあればもう一度手に入るが、SP盤の方が2度と手に入らないから貴重なんじゃないのか?

☆いや、でもSP盤も大事だけど、自分のLP盤も運び出したい。

☆それはきっと1人では困難な作業だ。

☆青木さんに電話して事情を話したら手伝いに出てきてくれるか?

「あ、もしもし青木さん。夜分にお休みのところを本当に申し訳ないのだけど、…実は月読の下の店が火事でね。いや、どうやら僕が第1発見者みたいなんだけど、とりあえず蓄音機とSP盤だけ先に運びだしたいので来てくれるかな? 悪いんだけど」

☆違う、違う、消防車と消火器の二者選択だろ?

☆消火器で本物の火事を消すなんて初めてだ。上手くできるのか? 大仁田厚が消火器を使うときも「ファイヤー」っていうんだろうか?

☆これはきっと火事じゃない。勘違いだ。だから気がつかなかったフリして、さっさと家に帰ろう。

☆いや、そのまえに裏の隣接する家に知らせなきゃ、大惨事だ。

☆火災保険、いくら出るんだろ?

↑ 以上のことが、たぶん3秒くらいのあいだに僕の頭の中を駆け巡って、絡まって、絡まって、そして何処かに消えていった。


その後、冷静な2割くらいの部分で考えた。

☆なんらかの火災的事象が起こっているのは間違いない。

☆でも煙はそれほど上がってないし、火の手は広がってはいない。ずっと同じ規模で燃えているみたいだ。

☆それはどういう状況?

☆おそらく金属のような大きな不燃物の台座(シンクとか)の上で、それより小さいな可燃物が燃えている。

☆下の店の店長の名刺をもらっていたな。

☆彼はよく店を早仕舞いしたときには、まっすぐに家に帰らずに、何処かで飲んでいる。
☆近くにいたらドアを開けて、消火器で消せばいい。

☆遠くにいたら、状況を話して、それから聞いて、場合によってはドアを壊して入る確認をとる。

☆(もう一度見て)やはり火の手は広がっていない。(燃え続けてはいるけど)

☆最初に異臭に気がついてから、これまで相当に時間が過ぎている。(こんなものでは済まないはずだ)つまり状況判断は”当たっている”

↑ 以上の理由で、僕は店に戻り、下の店の店長の名刺を取り出し、電話をかけた。(携帯のナンバーが記されているのは何故か覚えていた)

案の定、彼は酒場にいたみたいだった。受話器の向こうからは、それらしきザワザワした人々の酔った声が聞こえてきた。

「もしもし、おたくの店の厨房が火事みたいなんだけど…」

こんな間の抜けた会話を自分がするとは思ってもみなかった。

彼は「わかりました、すぐ行きます!」といって電話を切ったのだけど、いったい彼はどこの酒場にいて、”すぐ”ってどのくらいなんだ?

彼を待つ間、僕は用意した消火器を階段の隅に置いて、ドア越しに揺ら揺ら燃え続けている明かりを見ていた。(思った通り、火の手は変化していない)

やがて下の店の店長が走ってやってきた。(1分くらいして)

どこで飲んでいたのか知らないが、予想以上に早かった。彼は居酒屋の店長なんかやめて、東京オリンピックを目指すべきかもしれない。秘められた才能は誰にでもある。

しかし彼もそうとうパニクっていたのだろう、店の前まできたとき、彼が最初にした行動は、僕に向かって「お疲れさまです!」と挨拶をしたことだった。

礼儀正しいのは彼の長所の1つだ。だけど早くしないと、僕も君も明日から”疲れる場所”がなくなる。

僕は彼に「お疲れさま」とはいわずに、ドア越しの厨房を指差して、「あれ、火が出てないか?」といい、彼は慌てて裏口の鍵を開け、店内に駆け込んだ。

事の顛末としては、彼がフライパンを洗って、乾かすためにコンロに火をかけ、空焚きをして火を消し忘れた。その結果、フライパンの取っ手の部分が熱に耐えきれなくなって火がついたようだ。

魔さか、の初歩的なミス。

でももし、お客さんの帰るタイミングが違ったら、タクシーの来るタイミングが違ったら、風が逆に吹いていたら、僕が風邪をひいていて、鼻が利かなかったら…

人の運は一定量だとよくいうけれど、もしそれが本当なら、きっと僕の運はこの先10年分ほど使い切ったに違いない。(その意味においては、今週末の競馬がとても心配だ)


さて、

結果オーライだったにせよ、自分の判断は危険だったのではないか?(早く消防署に連絡をすべきだったのでは?)

電話をするとき、指が震えた。消火器の扱いが迅速にできなかった。(日々の訓練の重要性)

近所付き合いは大切だ。(自分だけではカバーしきれない事が多々あるし、カバーしあう事で惨事を最小限にすることができる)

…等、今回の一連の出来事で学ぶべきことはたくさんある。

たくさんあるのだけど、もっとも重要な教訓は、『結婚式で上司のスピーチはためになるから黙って聴け』ということに他ならない。

3つの袋についても再考すべきだ。

人生では、シャンパンの泡が抜けることくらい大したことじゃない。我々若輩者はもっともっと我慢するべきなのだ。

写真のカクテルは『ポンピエ』

カシスとベルモットをソーダで割った、かなり優しいカクテル。

意味はフランス語で、消防士。


2017年8月21日月曜日

真夏の夜の夢

昨日の夜はとても蒸し暑い夜だった。それは肌に何か得体の知れない、生温かいものがベットリと纏わりつくような、年にそう何度も経験することのない嫌な暑さの夜だ。

こんな夜は2年ほど前に旅行で行った埼玉県、浦和の夜を思い出してしまう。

その年の夏、沖縄県在住で画家を生業にしている友人がいて、彼から毎年恒例にしている浦和での個展を観に来るように誘われたのだ。(浦和は彼の実家がある)

京都に住んでいると、浦和はそんな機会でもないとなかなか行くこともないので、嫁と2人して、「じゃあ、行こうか!」ということになった。

新幹線とホテルの手配は嫁がしてくれた。だいたいいつも彼女に任せっきりなのだ。

旅は2泊で、食事も友人たちと共にするので、宿泊先に予算をかける必要はない。嫁が選んだホテルは”駅と個展会場からなるべく近くにある”という条件のもと、かなり古びたビジネスホテルだった。

そこはアメニティは普通に満足できるものだったのだが、両隣を立派な観光ホテルに挟まれて、奥に少し窪んだような場所にひっそりと建っており、真正面からみると、まるで「こんなところにいて申し訳ありません」とでもいいたげに、ビルが頭を下げているようにも見えた。

そのオドオドしたビジネスホテルは改装中のため、壁面が木材で組まれた工事用の足場で、びっしりと覆われていた。

荷物を持って入り口の前に立つと、お世辞にも「ここに泊まりたいなあ」という気にはならず、「なんだかなぁ…」という印象は否めなかった。でも滞在中はほとんど外出するので、寝床だけ確保できれば十分だったし、それ以上深く考える必要もなかった。

仕方がなかったのだ…

部屋は405号室だった。

受付でキーを預かって、嫁と2人で部屋に向かう道すがら、「ふつうホテルって、縁起が悪いから4階の表示は無しにするんじゃなかったっけ?」と聞くと、嫁は「こんなホテルでそんな気の利いたことはしない」と一蹴された。



部屋は思っていた以上に綺麗に整っていた。ただ唯一存在する窓は外側に工事のための木枠が組んであり、もともと小さな窓がさらに細分化されていて、殺風景なことこの上ない。まあ、どっちにせよ、すぐ目の前に隣の豪華なホテルの壁が迫っていて、何ひとつ窓としての実用性をはたしてはいなかったのだけど。

ただ不思議だったのは、その窓の構造上、”もともとは開く仕様”になっているのに、なぜか今は開かないように向こう側から何かでストップがかかるようになっていた。ただこの時は深くは考えはしないで、「外で工事をするので、安全のためにそうなっているのだろう」くらいにしか思っていなかった…

荷物を置いてから、空調や冷蔵庫、クローゼット、タオルなどの点検をした。小さな机があったので、引き出しを開けてみると、そこにはお約束の聖書が1冊。かなり古くから使い込まれている様子で、少し汚れが目立っていたので、綺麗に整えられた部屋にしては、何かしら違和感があった。でも僕らはキリスト教徒ではないので、そのことについてもさしたる疑問は持ち得なかった。

荷物をおいてそこそこに、僕らは友人の個展会場に向かった。部屋を最後に出たのは僕だった。ドアを閉めるとき、木で組まれた足場だけが見える窓からぼんやりとした明かりが差し込む部屋に、ふと何かがいるような気配がした。それはほんの一瞬のことだった。

「!…?」

でも先に出ていた嫁がエレベーターのスイッチを入れて、僕を急かすように呼んだので、そんなことは気のせいだと思い、その後、忘れてしまった。

個展会場で友人家族と半日過ごし、閉館後、食事に向かった。浦和といえば鰻を食べないわけにはいかない。有名な鰻屋をはじめ、友人に色々と案内をしてもらい、二次会、三次会と進み、ホテルに帰ったのは夜中の1時をまわっていただろうか。ポツポツと小雨が降り出し、まるで雲の中を歩くような蒸し暑く不快な夜になっていた。

部屋に戻って、交代でシャワーを浴びた。

僕は前日の夜中まで仕事をしていて寝不足だったし、もちろんその夜は友人たちとかなりの酒量を飲んでいたので、寝床に入るとすぐに猛烈な眠気に襲われて、考える間もなく秒殺で深い眠りに落ちたのだった。

何時間が経っていたのだろうか?

僕は突然、何かの気配で目が覚めた。

身体は寝不足と酒のために重く、怠かった。

部屋の電気は消されていて(たぶん嫁が消したのだろう)、嫁は隣のベッドで寝息をたてているのが分かった。意識はハッキリしているのだけれど、疲れのために瞼が思うように開かない。木枠の足場が見える小さな窓から、薄明かりが差し込んでいて、部屋の中が微かに明るいのがわかる。

暫くすると、机の方向から声が聞こえてくるのがわかった。

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

意識は半分くらいハッキリしない。

身体は重い。

その状態で、

「ああ、あの汚れた聖書の入った机の方か…」

と考えていた。

でも余裕があったのはそこまでで、

「ぅーーぅーーー ぅーぅーーー」

という声は机(足元)の方から確実にこちらに近づいてきているのが、その声の大きさで理解できた。

徐々に徐々に声は近くなってきていた。

「うーーぅーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー ぅーぅーーー」

「うーーうーーー うーぅーーー」

僕は焦った。

まず電気を点けたいのだが、自分で消したのではないから、咄嗟にスイッチがどこにあるのか判らなかった。

次に逃げることを考えたが、声が近づいてきている机のその向こうにドアがあった。残された唯一の外界への出口は木枠の組まれた窓だけだったが、あの窓は”開かない”ようになっていた。それに何より、横で寝ている嫁を置いていくわけにもいかない。

そうこうしているうちに、「うーーうぅーー」という声は僕の顔のすぐ近くまできてしまった。

どうしよう? どうしよう? どうしよう?,と焦って考える頭の中に、なぜかまたあの
古く汚れた聖書が浮かんだ。

十字でも刻んで祈ればいいのだろうか?

しかし何度もいうが、僕らはキリスト教徒ではないので、そんな付け焼き刃でなんとかなるはずないではないか?

そのときたぶん、声はもう僕の顔の数十センチ近くまできていた。

そこで僕は閃いた。

「僕はキリスト教徒ではないが、神社はたまに行く!」

そう考えて、目の前の不気味な声のするあたりを目指して、柏手を大きく1回だけ打った。
「バシッ!!」という音が部屋に響き渡った。

その音を聞いて嫁も目が覚めたらしく、身体を起こして、枕元にあった部屋の電気のスイッチを入れたのだった。そして心配そうに聞いてきた。

「どうしたの?」

僕は明かりのついた部屋で、自分の両手のひらを開いて眺めてみた。

そこには僅かに血がついていた。

嫁がもう一度、聞く。

「どうしたの?」

「…やっぱり、蚊がいた❤︎」

まだまだ蒸し暑い日が続きますが、残り少ない夏をお楽しみ下さい。

夏はやっぱりモスキート…ではなく、『モヒート』ですよね。



2017年7月26日水曜日

夏の鰻に乾杯

休日と重なったので、20年以上ぶりに土用の丑の日に鰻を食べた。(鰻だけなら年に1、2回くらいは食べる)

鰻食べながら、録画してあったカサブランカを観る。



鰻と梅干しは食い合わせが悪いとされているが、鰻とボギーもあまり良い食い合わせではなかった。鬼平犯科帳にするべきだったのだ。

次にはこの経験を活かしたい。今度はいつ、休日と土用の丑が重なるだろうか?

きっとボギーなら、

「そんな先のことはわからない」

というのだろう。



と、ここまで書いて、投稿する前につらつらっとFBのページをみたら、『過去の自分の投稿をシェアしませんか?』という”お知らせ”が来ていた。

あ、2年前に埼玉の浦和で食べるな、鰻。土用の丑の日に。

「そんな昔のことは忘れたな」

古い映画は、いつだって正しいことを教えてくれる。






やがて悲しきローハイド

bar月読のご常連さんであるK氏は生粋の江戸っ子だ。だから銭湯と同じで、バーでも長湯…いや、長居はしない。まだ陽が沈みきらないうちからマティーニやウイスキーを数杯飲んで、さっと風のように去っていく。粋である。

会話も洒脱だ。知的エッセンスとユーモアがあり、若い女性客からの人気も高い。綺麗どころとカウンターで隣り合わせても、もちろん長居はしない。軽妙な会話で女性客を楽しませたあと、頃合いを見計らってサッと席を立つ。実に粋なのである。

K氏はまた、たいへん博識でもある。ついこのあいだ、映画『ブルースブラザース』の話題になって、僕がローハイドを「ローレン、ローレン、ローレン〜」と口ずさむと、
「あれはローレンと聞こえて、みんな間違って理解しているけど、正確には”Rollin', rollin', rollin'”で、”ローリン”がホントです」と教えてもらった。牛や馬を追って操る、かけ声ということらしい。


さて、月読のまわりに牛や馬はいないが、野良猫は多い。あるとき、K氏がチェックを済ませて店の階段を降りて外に出ると、通りの向こうに野良猫の子どもがいた。

そこでK氏はその子猫に歩み寄りながら、

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

という(そういう風に僕には聞こえた)なにかの擬音を早口で子猫に話しかけた。

その音はとても新鮮だった。

『北の国から』で蛍がキツネに向かって

「るー、るるるるー」

とやってるけど、猫に向かって、

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

と、かけ声? をするのは初めて聞いた。

これは愛猫家のスタンダードなんだろうか?(K氏は昔、トラちゃんという名前の猫を飼っていた)、それとも伝統的な江戸っ子の流儀なのか?

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」

と早口で子猫をあやすK氏の後ろ姿を見送りながら、なんだローハイドの「ローリン、ローリン、ローリン…」みたいで、とてもカッコよく思えた。そして実際に自分でも使ってみようと心に決めたのだった。

後日。
僕の住んでいる古い借家の庭には、野良猫の”クロちゃん”が遊びにくる。



クロちゃんは生粋の野良猫である。エサをやってもいっこうに媚を売らない、とても愛想の悪い猫だ。エサを食べ終えたら、庭のトタンのワク木をツメでガリガリとやって帰っていく。

だから今度、クロちゃんが庭にきたら、例の「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」という、『ネコ・ローハイド』を試してみたいと思っていた。操れるかもしれない。

しかしそんなときに限ってクロちゃんはこない。何日か待ったけど、やっぱりこない…
でも僕は「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」をどうしても試してみたくて仕方がなかったのだ。

クロちゃんがこないとなると、うちには僕のほかには嫁しかいない。

彼女は実家でコジマという猫を飼っていて、実は本人自身も猫(という生き様)に憧
れている。

だいたい”憧れる”時点で、そこからは程遠いものなのだが、実際的に彼女は猫より、かなり”イヌ”的なキャラクターだった。嬉しいときにシッポを振っているのが丸見えになる。

その話題をなんどか彼女としたことがあるのだけど、僕がそういうといつも、

「違う、私は猫。女豹や!」

といい張る。(だいたい豹は猫とは違うし)

なので今回は妥協策として、ネコのクロちゃんの代わりに”女豹の嫁”で試してみることにした。

台所仕事をしている彼女の背中に向かって、K氏のように

「ぷすっ、プスッ、ぷすっ、プスッ、ぷすっ」
というかけ声をやってみた。

彼女はyoutubeから流れるオザケンのラブリーを口ずさみ、機嫌よく野菜を切っていたのだが急に手をとめ、血相かえて僕に歩み寄ってきた。

「いま、私に向かって、ブス、ブス、ブスっていったやろう‼︎」

いや、いってない…Kさんがな…

「Kさんが女性にブスっていうはずないやろ!」

いや、ネコにな…”ぷすっ”ってゆーたはったんや。

「人間はブスで、ネコはプスッなんて聞いたことないわ!」

ローリン、ローリン、ローリンー

「歌ってごまかすなー」

牛や馬と違って、女豹はカンタンには操れない。

畳敷きの部屋にブルースがこだまする。


Kさん、ブルースブラザースはやっぱりローリンじゃなく「ローレン、ローレン、ローレン」と歌ってるんじゃないだろか?

ネコの名前のついたカクテルは、あんまりパッとしたのがないので、今回はソルティードッグで。



塩辛い犬。

ほんとはイギリス海軍の上官が、塩まみれで働く下級甲板員を揶揄したスラングで、たぶんあまり”いい言葉”ではないのだろう。それでもユーモアがあっていいのかもしれない。たぶんローハイドを歌うよりはずっとましに違いない。





2017年6月15日木曜日

最短距離をゆく

「北極へ行くには、どっちの方向ですか?」

こういったのは、大学時代につき合っていた彼女だった。かれこれもう30年くらい前の話だ。

それは映画の上映開始時間を待っている間、喫茶店で時間つぶしをかねて、遅めの昼食をとっているときだった。

僕はこれから観るであろう映画についてぼーっと考えていた。だから彼女が話しかけている内容についてはずっと右から左に聞き流していたので、間の抜けた返答をして少しばかり彼女をムッとさせてしまった。

えっ、 北極? 南極ならまだしも、北極にいくのは難しいと思うけど…

「違うの、だから罰ゲームなのよ!」

つまりこういうことだ。

それは彼女と同じ大学に通う女友達5人で、何かしらの簡単なゲームをする。ジャンケンでもいいし、あみだくじみたいなものでもいい。そして負けた人が、あらかじめ決められていた任意の場所(なるべく現実離れした場所)にいく方法を、通行人を適当に捕まえて、その人に食い下がって尋ねるという、あまり意味のない暇つぶしのゲームをしたというレポートだった。

”暇つぶし”なんて、考えてみればずいぶんともったいない話ではある。

でも当時、僕らは大学生だったし、ほとんどの大学生がそうであるように、時間は無尽蔵にあると思っていた。それは水道の蛇口を捻れば水が出てくるのと同じように。そして時々、朝目覚めると(僕の場合、往々にして昼過ぎだったが)、その溢れ出た水の中で溺れそうになっていた。でも今では砂漠の中で一滴の水を探し歩いているような毎日だ。ツケは必ずまわってくる。対価は支払わなくてはならない。

吉田拓郎がマークIIの中で

『年老いた男が川面を見つめて、時の流れを知る日が来るだろうか』

と歌っているが、今その心境が少しは分かるような気がする。

ただ彼女はそんな時間の洪水の中で、ただ流されて漂うだけのボウフラ学生とは違って、何にでも最短距離を通って目標を達成できるよう、キチンと計画を立てて、それをコツコツ実行するような才女(いわゆる”生徒会長”のような)タイプだった。

彼女はまた決断の早さと行動力も優れていて、たとえば思い立ったらシベリア鉄道に乗り込んで、大陸縦断の一人旅をするようなことも平然としていた。

これも今になってよく分かるのだけど、”世界の広さ”というのは、実際にそこにいって体感したものだけが獲得するものであって、たとえばどれほどグーグルアースで各地の隅々をながめたとしても、それは知識だけでその世界の”広さ”を獲得したわけではないのだ。

そういった意味において、彼女はすでに一般的な学生よりも、広大な”世界”を獲得していたし、それに対して僕といえば、地方都市の狭い井戸の底で日々、右往左往する”小さな世界”の蛙(カワズ)でしかなかった。

そんな彼女がその場のノリとはいえ、友達とバカバカしいゲームをすることもあるんだと妙に感心したのと、それと同時にいつも”最短距離”を選択し、広い世界を獲得し続ける彼女が、さしたる目標もなく、ダラダラと時間を浪費している、遠回りタイプ(”足踏み”というべきか?)で、小さな世界に満足して過ごしている僕と一緒にいることについても、それはとても不思議なことだった。

彼女の話によると、ゲームの最初のお題は『万里の長城』だった。何回か彼女以外の友達が負けた。その度に通りの通行人を捕まえて、…それは得意先まわりの会社員だったり、散歩中のお年寄りだったりした… その場所の方角と、そこにたどり着くまでの交通手段を赤面しながら尋ねたらしい。(彼女がいうには実際にやってみるとかなり恥ずかしいということだった)

彼女たちの暇つぶしに捕獲された気の毒な通行人のほとんどは、困惑したり、ときには苦笑いしながらも、その無意味なイタズラに”真面目”につき合ってくれたようだった。

そしてお題の場所にたどり着く方法(交通手段とか)の返答の仕方ははそれぞれ違ったけれど、方向を尋ねたときだけは、皆共通して地平線に近い低い空を眺めて、その場所の在るべき方角を腕を上げて指差した。

ゲームというものはクリアーされ、進行していくごとに難易度は高く設定されていく。
最初のお題の『万里の長城』が『ガンダーラ』になり、さらに『スフィンクスのいる砂漠』になった。(僕としてはガンダーラの方が超難問に思えるのだが)

そしてとうとう彼女が負ける番が回ってきた。そのときのお題がまさに『北極』だった。
映画の上映開始時間がせまってきたので、僕は注文していたサンドイッチと緑色のクリームソーダを少し急いで食べる必要があった。僕は幼少期からの習慣みたいなもので、喫茶店でサンドイッチとクリームソーダ(緑のものに限る)を注文するのが好きだった。もちろん今ではもうしない。

そして”サンドイッチとクリームソーダの組み合わせ”と同じくらい、映画が始まる前のCM、つまり”上映予定映画のダイジェスト”を観るのが好きなのだけど(こちらは今でも好きだ)、その時間と引き換えにしても彼女の話の続きを聞きたかった。後回しではなく、今すぐに。そこには何かしら予感めいたものがあったのかもしれない。

彼女が選んだ通行人は30代の”たぶん”若い植木職人だったらしい。”たぶん”というのは、彼女が考える植木職人というのは、だいたい50歳以上をイメージしていたし、見かけがどんな服装をしていて、どんな道具を持ち歩いているのかよく知らなかったからだ。

その若き通行人は作業用の黒っぽいグレーのジャンパーを着てジーンズを履き、肩に大きな鞄をぶらさげていた。腰に巻きつけられたベルトには何種類かのハサミがかけられていて、手には竹ぼうきを持っていたので、”植木職人”とそう判断したのだった。

「あのう…ちょっとすいません…」

彼女は気の毒な若い植木職人に声をかける。

若い植木職人は自分に声をかけられたのかを、いまひとつ確信がもてないまま、返事をせずに彼女の方を振り向く。

「ええっと、北極に行くには、どっちの方向ですか?」

(きっと彼女は顔を赤らめながら尋ねたのだろう)

そして若い植木職人は、間違いなく自分に声がかけられたのを認識できて少し安心するも、すぐまた戸惑うことになる。

「えっ? 北極…ですか? シロクマのいる、あの北極?」

「はい…その北極です…スイマセン…」

若い植木職人は彼女の態度をみて、すぐさまそれが何かのイタズラやゲームの類だと理解したようだった。

ただ彼はそれまでの通行人とは違う方角の示し方をした。つまり腕を上げ、その方向を指差したりはしなかった。

「…それだったら、北極星のある方角ですね。春夏は北斗七星を、秋冬はカシオペア座を眺めるといいですよ」

でも、それでは夜しか”歩けません”よね?

「だったら昼間は切り株の年輪をみてはどうかな。北極の方角は間が詰まってるから。ところで北極には歩いて行くの? ずいぶんと時間がかかるね」

若い植木職人は笑いながら彼女に尋ね返す。

次の質問を先取りされた彼女は少し慌てながら、答える。

「そうなんです。それ以外の方法が思いつかなくて。北極まで行くのに、どうすればショートカットして”最短”で行けますか?」

若い植木職人はほんの少しだけ考えて、彼女に自分が手に持っていた竹ぼうきを差し出した。
「よかったら、これ使ってみるかい?」

ゲームはその回で終了した。

「どう? 素敵でしょう!」

ここまで話してから、彼女はうっとりとした目をして(少なくとも僕にはそう見えた)、喫茶店の窓越しに通行人を眺めた。若い植木職人はそこには居ない。おそらく彼女が偶然また彼に出会う確率もまずあり得ないだろう。それでも僕は彼に猛烈なヤキモチを焼かずにいられなかったし、同時に不吉な未来を確信したのだった。いつか必ず、それも近い将来、広い世界観を持った、最短距離を行く”大人な誰か”に彼女を奪われてしまうのだろうと。そして嫌な予感というのは、いつもだいたい当たるのだ。

そしてその後、僕たちは映画館に向かった。

主人公の少女がホウキに乗って空を飛ぶ映画…『魔女の宅急便』を観るために。
やがて彼女は大学を卒業して(僕は半年間の留年をして、ちょうどその頃フラれた)、優良企業に就職して、最短距離で出世をして、最短距離で外国人と恋に落ちて結婚し、彼の住む北欧へと嫁いで行った。

北欧に行くには、北極回りの航路で飛行機に乗ったのだろう。最短距離をとるのがきっと今でも彼女の流儀なのだ。



ちょうどカクテルに『ポーラ・ショート・カット』というネーミングのものがある。ラムベースの赤くて、強くて、少しだけ甘いカクテル。

1957年にコペンハーゲンと東京間の北極回り航路開設を記念したカクテル・コンペで優勝したものだ。(念のために説明すると、たとえば日本からヨーロッパに行くとき、北極回りをする方が航路が短く、つまりショートカットできる)




そしてつい最近のことなのだが…

休日、僕は家を出て、北の大通りに昼食をとるために蕎麦屋に出かけた。ミシュランで星をとったので、なかなか入るのが困難になった店なのだけど、その日は僕にしては珍しく並ぶのを覚悟してそこに向かった。

その途中、あともう少しで件の蕎麦屋に着くというところで、不意に背中から声をかけられた。若い女性の声だった。

「あのう…小世界はどこですか?」

あれから30年あまり過ぎている。

まだそのゲームをしているやつがいるのかと、信じられなかったが、振り返るとそこには現実に若い女性が確かにいた。

それにしても”小世界”ってなんだ?

『万里の長城』から何回ゲームを続ければ『小世界』なんて難易度の高いところにたどり着くのだろう。

「これに乗って自分で探してこい!」

と、竹ぼうきを叩きつけてやりたかったが、僕は竹ぼうきを持ちながらミシュランで星をとるような小洒落た蕎麦屋に行ったりはしない。いくら井戸の中の蛙でも、そのくらいの常識はわきまえているのだ。

よく見るとその女性は大きなスーツケースを手に持っていた。もう片方の手には紙切れ。それは地図であり、その女性はアジア系の外国人旅行者だった。

地図には”正確”に読むと『小世界旅社』と書いてあった。そういえば僕の住んでいる家の南の大通りの方に、そんな名前の民泊のような場所があったのを思いだした。ただそこは入り組んだ細い路地にあり、僕の語学力では外国人にそこを説明するのは不可能に思えた。(もしかしたら日本人にさえ難しかったかもしれない)

仕方がないので、目前の蕎麦屋に背を向けて、

「れっつごー、つぎゃざー」

ということになった。



その旅行者は台湾から来たようだったが、そのくらいしか聞くことができず(あとは何日くらい日本に滞在するのかを聞いた気がする)、それ以外は黙って目的の”小世界”まで歩いた。

その沈黙の間、僕はあれからいったいどのくらい自分の世界が広がったのたろうか? と、これまでに流れ去った川の水のことを思った。それとあのウイットに富んだ若き植木職人は今頃どうしているのだろうか? というようなことを。

歩くこと15分くらいで目的の『小世界旅社』に着いた。台湾からの旅人はお礼をいったあと、出迎えた彼女の旅行仲間たちと小さな世界の入り口にある暖簾を潜って中に消えていった。僕は境界線のような路地に1人残され、家を出たときよりも更に遠くなった小洒落た蕎麦屋のことを思い、そして途方にくれた。

結局、蕎麦はあきらめ、小世界の裏側にある、大通りのタコ焼き屋にいってタコ焼きとイカ焼きが入った”Aセット”を注文した。ここはたぶんミシュランとは永遠に無縁だろうけど、蕎麦屋と違って待たなくてもすぐ買えるのがいいところだ。川の水は残り少ない。

静かな昼下がり。Aセットの包みをぶら下げながら家に帰る途中で考えた。結局のところ、今日、僕は遠回りをしたのだろうか? それともショートカットしたのだろうか?



2017年5月26日金曜日

スピリッツってなんでしょう?

「スピリッツって、なんですか?」

barをやっていると、たびたび受ける質問です。

「美味しんぼ…とかが連載されてる漫画雑誌です」(まだやってるのか?)…とは答えてはいません。

もちろん、お酒、アルコールのお話です。

お酒には大きく分けて、2種類あります。

醸造酒と蒸留酒です。

醸造酒というのは、原材料をバクテリアの力を借りて、発酵させて造る種類のお酒のことです。たとえば、お米を使って日本酒、葡萄を使ってワインといった具合に。これらのお酒は人工的な手法を使って、アルコール度数を上げることはされません。(アルコール添加された日本酒などは除く)

さて、思い出してみて下さい。

アルコール度数が40%の日本酒のラベルをみたことがありますか? アルコール度数が50%のワインを飲んだことがあるでしょうか?

絶対にないはずです。

なぜなら、そんなものはこの世に存在しないからです。

超簡単に説明します。

日本酒もワインも原料の米や葡萄を液化して、それをバクテリアがアルコールとガスに分解して造られます。そして発酵がどんどん進むとアルコール度数も上がっていきます。
さて、ここで問題です。

仮にアルコール40度のワインを造ろうとしたとします。発酵をどんどん進行させていきます。

でも、アルコール度数40度のワインは絶対にできません。なぜなら、発酵の途中で”バクテリアが自分で造ったアルコールに自分自身が滅菌消毒されて、20%(正確な数字は忘れた)くらいの地点で全滅するから”です。

つまり自然の力だけで造れるアルコール度数の限界はかなり低いところにあって、焼酎やウイスキー、ジン、ウオッカなどの40度を超える高アルコール度数のお酒は、人工的にしか造れません。

人工的にアルコール度数をあげる方法を、『蒸留』といい、”蒸留機”を使って、できた高アルコール度数のお酒の総称を『蒸留酒』といいます。簡単にいうと、醸造酒を蒸留機を使って、人工的に水とアルコールに分離させて、度数を高めていく方法です。

”蒸留”は中世の錬金術の実験過程で、偶然に発見されたともいわれていますが、不老不死の霊薬を作っていて、偶然にできた蒸留酒。それを飲んだ中世の錬金術師たちは、もちろん、それまでに醸造酒しか飲んだことがないから、高アルコールによって急速に酔いが回り、心臓がバクバク波打ち、それこそ本当にスピリッツ=魂、命の元と考えたのかも知れません。

さて、この人工的にアルコール度数を高めた蒸留酒のことを、一般的にスピリッツといいます。

とくに樽で熟成していない、透明の蒸留酒(ジン、ホワイトラム、ウオッカ、テキーラ・ブランコ)のことを、ホワイトスピリッツといい、概ね、《スピリッツ=ホワイトスピリッツ》のことを指していう場合が多いです。



先日、『共謀罪』が衆院を通過しました。

その前後のニュースで幾つかの醜聞も明るみに出ました。でも大手メディアは豆粒ほどの報道でお茶を濁し、知らん顔。世間は相変わらず静かで、支持率は高いまま。声を出すのはいつもと同じ人々。

そんな折、お客様から久しぶりに「スピリッツって何ですか?」と聞かれ、上記の説明をしていたのですが、途中からボンヤリと別のことも同時に考えていました。

『安倍一味が”自らの作った共謀罪で、自分自身がいちばん最初に滅菌されるべき”ではないのか? バクテリアは低アルコールでも消滅するけど、安倍一味は反支持率40%くらいでは滅菌されないし、なんとか”蒸留”できないものか…』などなど。

もちろん、接客中にこんなことは声には出してはいませんが。ただ少し”スピリッツ”の話には続きがあります。

「スピリッツといえば、イーグルスのホテルカリフォルニアという曲が有名ですが、ご存知ですか?」

そこに”スピリッツ”という歌詞が、ダブルミーニングで使われています。(ただ書いた本人は否定しているらしいですが…上記にもあるように、ワインはスピリッツじゃないし)

So I called up the Captain,
“Please bring me my wine”
He said,
”We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”

いわく、

「ワインを持ってきてくれないか」

「あいにく、そのような”スピリッツ”は1969年以降、当ホテルにはご用意がございません」

* ホテルのバーにスピリッツがないことと、69年以降、ロック界が商業主義に陥り、魂を失ったことを二重に含ませています。

まあ、当人が言ってるのだから、”違う”のでしょうが(くどいようですが、ワインはスピリッツじゃないし)、あまりにも有名なこの解釈、このままの方が好きですけどね、カッコイイし。

さて「スピリッツって何ですか?」

2012年以降、日本の多くのマスメディアが失くしたものが、それです。

But…
Welcome to the bar tsukuyomi.
幾つものスピリッツを取り揃えて、お待ちしております。


2017年5月19日金曜日

慶事

誠に恐れ入りますが、

2017 5月 20日 (土曜日)

は、慶事のため、Bar月読は臨時休業とさせて頂きます。


ご迷惑をおかけ致しますが、ご了承ください。







2017年4月13日木曜日

夜の帳

『夜の帳』というコトバが昔から好きで、なぜ好きかというと、そこに意味などなく、ただ単に”好き”なのだ。

よく『月読』という屋号はどうして名付けたのですか? という質問をお客様や雑誌の取材時にいただく。

便せん上、「夜のカミサマである月読命にあやかって(バーだから)、ご利益がありますことを願って」と答えるのだけれど、本当は名付けた意味なんてなく、ただコトバの響きが好きだっただけなのだ。



それと同じように『夜の帳』というコトバの響きに強く惹かれてしまう。

毎年、春になると店の窓一面に桜の花を見ることができる。もちろん桜の花は好きなのだけど、桜の花が咲くとき、この窓から見える景色の中でいちばんに好きなのは、じつは花ではない。

日没時、薄紅色の花がそこにあることによって、夜の帳が降りてくる様がはっきりと見てとることができて、それがこよなく好きなのだ。

やわらかい春の光に包まれた景色に、夜の帳が降りてくる。誰もが言うように、やはり夜の帳の色は青なのだ。

逢魔が時。一瞬、どこかに連れていかれそうになる、妖しい青。




2017年2月24日金曜日

アンチョコ

昨日、bar月読が始まって以来(約12年以上の間)、初めてご注文いただいたカクテル。

『サッポロ』

レシピ確認のため、こそっとアンチョコ見ました。w

ちなみに”アンチョコ”って、語源は”安直”らしいです。

そして閉店後、片付けものしながら、鼻歌で石原裕次郎の『恋の町札幌』を歌った安直なワタクシ…

♪時計台の 下で逢って
わたしの恋は はじまりました
だまってあなたに ついてくだけで
私はとても 幸せだった
夢のような 恋のはじめ
忘れはしない 恋の町札幌♪


札幌は寒いだろうけど、京都もまだまだ寒いです。


2017年2月22日水曜日

いざ! 鎌倉

結婚する何ヶ月前だったか、もう忘れてしまったのだけど、彼女の母方の祖母が亡くなったので鎌倉まで行ったことがある。(いま嫁に確認したら結婚式の一年以上前だった)

店の営業が終わってから、ほぼ徹夜で新幹線に飛び乗って、乗り換えて、乗り換えて、江ノ電に乗った。降りたのが何という名前の駅だったかも忘れてしまった。確か『チャーミーグリーン』のCMに使われた”坂”がある街だったように聞いた記憶がある。

初めての鎌倉。
初めての顔合わせ(親戚の方々と)。
まさか、”家族席”に座ることになるとは思ってもみず。
…でもまあ、流れに任せて(それ以外に選択肢はない)、まな板の上の鯉になるしかない。

式が始まるのを待ちながら、この場合、僕は”参列”になるのか、”列席”になるのか、どっちなんだろうとか、徹夜明けのボヤけた頭でどうでもいいことを考え続けていた。

さて、お坊さんがお経を読んでいる間、問題が発生した。
それは大問題だった。

昨日の夕方から何も食べていない。新幹線の中でも、眠るつもりだったので、何も買ったりしてなかった。(結局、眠れなかったし)

人間、大抵の生理現象は短時間ならなんとか抑え込むことが出来る。そこは精神力だ。でも、お腹の虫が鳴く音は自分の意思でコントロール不能だ。

…しかし、だ。

”ここ”ではいけない。

人生の中で、いったいお腹の虫が何回くらい平均して鳴くのか知らないが、”今この場”は最もあってはならない場面ではないか。選りに選って、ここで鳴くか⁉︎

気のせいか、鳴く音が少しずつ大きくなっているし、間隔も早まってきている気がする。
しかしホントに自分ではどうしょうもないのだ、お腹の虫の音。

で、どうしたか。

連想した。

何か食べなきゃいけない→食べ物はない→あったとしても食べられない→空腹を抑えるときどうするか?→水をたくさん飲んでやり過ごす→水もない→じゃ、空気を飲もう
というわけで、式中ずっと目立たないように大きく息をパクパク吸って、お腹に送り込み続けたのだった。そのおかげで、たぶん見た目が本物の”(まな板の上の)鯉”になってたはずだ。

その日、夜から店を開けるので、一足早く失礼させてもらった。

江ノ電の駅(JRだったかも)で蕎麦を食べた。

鎌倉の店のBGMは、どこでもサザンがかかってるのかと想像していたのに、その蕎麦屋ではミッシェルポルナレフがバラードを歌っていた。

江ノ電に乗って移動中、途中の駅では小泉今日子と中井貴一がドラマのロケをやっていた。

やはり鎌倉は、お腹の虫が鳴ってはいけない街なんだとシミジミ思った。

よく「ご飯のかわりに酒を飲む」という人がいるけど、僕はまず”食べる”が優先だ。
写真はちょっと珍しい、”肉料理に合うジン”というコンセプトのシンケンヘーガー。
ラベルに肉が描かれてるの、たぶんこの酒だけじゃないかな。


2017年2月1日水曜日

折れた煙草は吸えません

クレタ人はいつも嘘をつく。


クレタ人である預言者がいいました。


「クレタ人はいつも嘘をつく悪い獣だ・・・」と。



『嘘つきパラドクス』の一節。   (実際はパラドクスではない)


誰かが「自分は嘘をついている」という。さて、それは本当のことを言っているのか、そもそも、それが嘘なのか?





“嘘つき“といえば有名なナゾナゾもある。

旅人のあなたは分かれ道にやってきた。 片方は正直村に、もう片方は嘘つき村へと続いている。正直村の住人は必ず正直な答えを言うが、嘘つき村の住人は必ず嘘の答えを言う。旅人は正直村に行きたいのだが、どちらの道が正しいのかを知らない。 そこに村人がやってきた。この村人はどちらの住人かはわからない。

旅人はこの村人に一回だけ質問をすることができる。はたしてその一度の質問で旅人は正直村に行く道を知ることができるだろうか?

答えは――――――― 。







もうけっこう長いつきあいになる小説家の友人(女性)がいる。世の中に”小説家”というものを生業にしている人が、いったい何人くらいいるのかは知らないが、たぶん珍しい部類にはいる友人なのだろうと思う。

まだ彼女が小説家ではなかった頃、もとは月読のお客様だったのだけど、彼女とは妙にウマがあったのだ。

理由はわかっている。僕が会話というキャッチボールを誰かとするとき、ときどき野球のボールではなく、何か変わったボールを投げてしまい、相手を不快にさせたり、もしくは退屈させたりしてしまうみたいで、でもその友人は僕と同じ種類のボールを投げるのが好きで、グローブも僕よりずっと大きなものを持っていたからだ。まあ俗にいう“メンドクサイ会話”が二人とも好きなのだ。

それで“店と客”だけではなく、たまにお互いの夫婦を家に招いて食事をしたりするようになった。





作家になってから、彼女は律儀にも新刊が出るたびに月読に届けてくれていて、たまに作品の中に月読の風景をそっと登場させてくれたりもしている。(もちろん屋号は出ていない)それは店の窓から見える電柱だったりするのだけれど、もしかしたら僕の思いすごしも多分にあるのかもしれない。



あるときはこんなこともあった。

「マスター、今度の本にこの前、マスターが言ってたセリフを使わせてもらいました」と。

この前っていつだ…? いったい僕はどんなことを彼女に言ったのか? 訊いたけど教えてはくれなくて、「探してみてください」という。

ハラハラしながらそのセリフを探したが、さっぱり覚えていないので結局わからないままだ。






そんなことが色々ありつつ、昨年末、彼女が新刊をもってきてくれた。それは何人もの小説家の作品が載っている月刊誌だった。

「今回はエッセイで短いですけどね。あと、少しだけ月読のことを書かせてもらいました。事後報告でごめんなさい」と彼女がいう。

内容は彼女の自伝的なもので、月読が載っているとはいっても、読者にわかるほどのこともなく、ほとんど”通行人A”みたいな感じで、わざわざ断りを入れなければならないようなものではなかった。それどころか作品に少しでも使ってもらえるのはありがたいことだと思う。

その時間、お客様は彼女しかいなかったので、僕はカウンターの中で立ったまま、その月刊誌をパラパラと流し読みをした。月読がどんな風に登場しているのかを知りたかったからだ。本題である彼女の自伝的な部分は、読まなくても”もう知っていること”だった。たった2ページに凝縮された半生は、今まで彼女と話した時間に比べるとずいぶんと短い。

さっと読み流し、彼女のほうを見ると、「“ここ”(私の目の前)で読まないで下さい」と珍しく照れくさそうな顔をした。それが“小説“であるときはそんな表情はけっして見せないのだろうけど、自分自身について書いたエッセイは、はやり彼女でも―――つまりプロの作家でも恥ずかしいものなのだろうか?

僕がそう思ったのを感じ取ったのかどうかわからないが、すぐそのあとで彼女が付け加えるみたいにこういった。

「作家は嘘つきですから」


もともと彼女の瞳は猫のようだと思っていた――――が、少し光った気がした。

嘘つきですから 

嘘つきですから

嘘つきですから…

僕の頭の中で、そのセリフが繰り返し繰り返し、妙に印象に残った。




エッセイに書かれていた内容は、今までに彼女の口から聞いて知っていたものと相違はなかった。嘘ではない。

では、いったいなにが嘘なのだろう。


「嘘つきですから」 ――― 嘘つきの嘘は真実か? 


「嘘つきですから」 ――― 正直村に行くにはどちら?




僕はナゾナゾの答え、正直村への行き方を知っている。だけど彼女のいった“嘘“について辿り着く方法を知らない。でもそれでいいのだ。

たぶん「バーテンダーも作家に負けず劣らず、かなりの嘘つきなのだから」。






ところで、意外なことにカクテルの名前に“嘘つき”(ライアー)とか“正直”(オネスティー)とかいうネーミングのものはない。個人の店などで創作されたものはあるかも知れないけど、スタンダードカクテルにはない…ありそうなのにね。

だからなにかのカクテルを“嘘”にこじつけて紹介しようかとも思ったけれど、やっぱりやめておくことにした。

だって僕は正直村の住人だから ――― さて、このウソ…






2017年1月10日火曜日

Yな人生

原チャリに乗っての通勤途中、信号待ちしながら目の前に止まっている車のテールマークを眺めていて、ふっと思う。

初めて英語を習うとき、アルファベットの歌を覚える。

♫ABCDEFGー、
♩HIJKLMNー、
🎶OPQRSTUー、
♪VW&XYZ.
…っやつ。

このいちばん最後の節、”VWXYZ”。
これが問題だ。

例えば車。(そんなに詳しくないけど)
フェアレディZとかセリカXX(ダブルエックス)とか。
あと、VはVサインとか、ビクトリー。それからWはウインに、古いところではWライダーとかもあるぞ。(知らないだろうな…)
ついでにいうΖガンダムとかもある。

えーっと、結局、何がいいたいのかというと、まわりの文字はみんなカッコいい象徴とか代名詞的に使われるのに、何故だか”Y”だけがイケてない。なんでだろ?
五つの文字仲間のうち、四つまでもがカッコいい象徴に使われるのに、Yだけが取り残されている。黄レンジャーみたいなものか? イエローはYだし…

車の名前みたいに、試しにカクテルにつけてみた。
Vマティーニ
Wマティーニ
マティーニXX(ダブルエックス)
マティーニZ
Zマティーニ(ゼータマティーニ)

では、Yマティーニもしくは、マティーニY。

…ダメだ。やはりどうにも宜しくない。

そんなことを信号待ちの数十秒の間に考えながら、再び原チャリで走り出す。そしてまた走りながら考える。

そういえは、今までの人生のなかで、自分は”Y”っぽいなあーと考えたことも多々あった。
まわりのみんながカッコ良く思えたり、頑張ってるなあ、と思うのに、いったい自分は何やってんだろ?…とか。

学生の頃から僕は、クラスのなかでも割とモテるタイプの友人と行動をともにすることが多かった。そのおかげで、卒業後、偶然おなじクラスや学年の女子に会っても、「ああ、(カッコいい)○○君といつも一緒にいた人ね」という、悲しい思い出されかたをする。

ああ、なんというYな人生だろう。

今はただひたすら待っている。
トヨタでもホンダでもいいから、カッコいい車の名前の前後に”Y”という象徴を付けてくれることを。


アルファベットの名前のついたカクテルをひとつ。
カクテル XYZ