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2014年5月5日月曜日

さよならの符合

コルトレーンと言えばマイフェイバリットシングスを思い出す人は多いでしょう。レコードアルバムもマイフェイバリットシングスがタイトルになっているものがやはり有名ですね。

この曲はA面の一曲目に入っています。では2曲目が何か覚えている人はいるでしょうか?
余程のJAZZファンで無い限り覚えている人はいないのではないでしょうか。逆に言えばそれだけマイフェイバリットシングスが有名過ぎるということですが…

2曲目のタイトルはEverytime We Say Goodbyeという曲です。

実はこの曲、前から気になってたのです。
タイトル、僕たちがサヨナラをいうときはいつも…って、なんか意味深でしょ? なんとなく村上春樹のタイトルっぽくもあるし。
コルトレーンの演奏ではボーカルは入ってなくて、どちらかというと殆どソロにちかく、スローナンバーでそこはかとなく悲しい曲ですか、きっと歌詞が存在するのだろうと思っていました。


探してみました、歌詞。
以外にも想像していたのとは全然違って、どちらかと言えば可愛い内容の歌詞でした。

彼氏のいる女の子の幸せな気持ちと、会えないときの寂しさを歌ったもので.「サヨナラをいうたび、私は少し死んでしまう。神様は意地悪、彼を行かせて知らんぷり。彼といると春風が吹くようで、それは素敵なラヴソング。でも明るい歌も突然、色をなくしてしまうの、サヨナラをいうときはいつも…」と、こんな感じの内容です。

ところで、この歌詞を読んで気になったのは冒頭の部分。”サヨナラをいうとき、少し私は死んでしまう”というところ。

探偵小説ファンなら一度は読むチャンドラーの”長いお別れ”。
エンディングで主人公のフィリップマーロウが彼女との別れに際して同じようなセリフを言うのですね。
「サヨナラを言うことは少しの間、死ぬことだ」と。(清水俊二 訳)

昔、これを読んだとき、何か”少しのの間、死ぬ”っていう言い回しがピンとこなくて、チャンドラー独自の世界観かなあ、なんて思ってたのですが、ここでこの歌詞をみたとき、どうもこういった”少しの間だけ死ぬ”っていうのは西洋では慣用的に使われてるのかなあと思ったりして…
まあ、殆どどうでもいい話ですがね。

そう言えば最近、村上春樹も長いお別れを翻訳していましたが、彼はこの部分をなんと訳したのだろう?
気になるけど、長編の古典をもう一度読み返す気力も根気もないなあ…


さて、ではサヨナラの場面で相応しい酒は何か?
いろいろあるけど今回はベタでもギムレットにしときましょうか。
もう閉店時間を過ぎているのでギムレットには”遅すぎる” ですけどね。



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