ホームページ

〜Bar月読ホームページ〜
http://bartsukuyomi.wix.com/home

2016年7月5日火曜日

それは今年はじめてセミの声を聞いた午後

暑さで倒れそうな午後、それでも夕食の買い物に出かけ、這々の体で家に帰る道すがら。

小学生の一年生くらいかな? 二人の女の子が自分の顔の倍くらいあるプリントを広げながら、”花は咲く”を大きな声で合唱しながらこちらに向かって歩いてきて、やがてすれ違った。

その歌声はとても楽しそうだった。

♪花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう♪

…っていうあの曲。

今の音楽の教科書に載っているのかな?

そういえば僕が中学生のとき、フォークソングが好きな先生が音楽の授業で教科書を使わずに、自分の好きな曲を藁半紙(僕の育った地方ではザラバン紙と言ってた)に刷ってきてよく唄わせていた。”なごり雪”、”旅立ち”とか、”あの素晴らしい愛をもう一度”とか…

音楽の授業でいちばん覚えているエピソードといえば小学6年生(5年生?)のときのことだ。毎年恒例の校内合唱コンクールで、僕のクラスにだけ、あるトラブルが持ち上がった。

どこもそうなのかも知れないけど、僕の小学校では音楽の授業だけは担任の先生が教える他の教科と違って”音楽の先生”というのがいた。

音楽の授業は普通、気楽に楽しく過ごせるもののはずだ。ところがこの先生、年配のかなりヒステリックな女性でとにかく怖かった。授業の間はみんなピリピリした緊張感を強いられ、どちらかというとかなり苦痛な時間だったのだ。

あのとき、いったい何が原因だったのかもう忘れてしまったけど、僕等のクラス全員がこの先生の機嫌を損ねてしまって、合唱コンクールの課題曲、自由曲ともに「私はもうあなた達には教えません、勝手にやりなさい‼︎」と放棄されてしまった。

合唱コンクールの練習は通常、音楽の授業時間に行なわれるはずが、この先生はそれからずっと通常の教科書に沿った授業を行ったのだ。つまり僕等のクラスには合唱コンクールの練習する時間を与えられなかったわけだ。

普通、そんなことしないでしょ?
小学生相手に本気だしてさ。

まあ、僕等もすぐに謝りに行けばよかったのかも知れないけど、そうしなかったしお互い様かも知れないけど。(でもみんな心底、あの先生が怖かったんだと思う)

で、それからどうなったかというと…

面白いもので、こんな状況のときほどクラスは一致団結する。この年頃は男女がわりと反発しあってなかなか相容れないものだけど、このときは違った。

昼休みや放課後の短い時間に、みんな集まって合唱コンクールの練習をしたんだ。教室の片隅でピアノの伴奏なしで、男女それぞれのコーラスパートを決めたりして…

で、テレビドラマだと、これで優勝したりするのだろうけど、現実はそう甘くはないからね、結果はいちばんにはなれなかったけど、印象に残るいい思い出にはなった。何より担任の先生がすごく喜んでくれたしね。

あのときの課題曲はもう覚えてない。自由曲はこのトラブルが持ち上がってから、
「さてどうしよう? 」
「じゃあ自分たちだけでなんとかしよう!」
となったとき、担任の先生が提案した曲だった。たしか割と強引に決められたようにも思う。

…自分が好きな歌だったから、唄わせたかったんだろうな、”戦争を知らない子供たち”

♪おとなになって歩き始める
平和の歌をくちずさみながら
僕らの名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ♪

あれから30年以上が過ぎ、僕等はいつの間にか大人になって、たしかに歩き始めはした。

でも平和の歌を口ずさんできただろうか?
考え、選んで、行動し、責任をもってきただろうか?

あのときのクラスのように、またひとつにまとまれたらいいのにな、と思う。

すれ違った女の子たちのうち一人は、どうやら家に帰ったらしく、僕が振り向いたときはもうすでに一人の女の子だけだった。

その子はたった一人になっても、大きな声で最後まで歌いきり、それからすぐに元気よく駆けだしていった。



私は何を残しただろう。

あなたたちの未来に花が咲きますように。








0 件のコメント:

コメントを投稿